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経営改革の条件
こういった構造的な問題をどう乗り越えるのかということが、私は非常に大きな問題だと思うのです。それはマネジメントの問題であると同時に、根底的にはガバナンスの問題に行きつく。部局の自治というのが非常に強力な限り組織の改革は困難である。なぜならば自分の組織、それを超えた利害、あるいは資源配分、横の資源配分という判断はできないからです。
しかし他方で社会的な不満は非常に高くなっていて、例えば中教審などでは、企業の人は口を開くたびに「大学というのは何のための組織だ、何をやっているのだ」と「企業だったら、こんなことは許されない」というようなことをいつも言っているわけです。先ほど申し上げたように大学はその本質として、官僚制的な、統一的な目的を持ってそこから意思決定を派生させていくようなかたちでの組織運営はできないし、望ましくもないと思います。アメリカの大学でも実はそんなことはやっていない。ただ今のままでいいのかと言えば、そうも思わないです。
ガバナンスに関してはやはり部局の中だけに閉じ込められたガバナンスの形態というのは変化するべきだと思います。ただそれは制度的な改革でもって一括してやれるというものではなくて、何らかの具体的な目標を達成する中で達成されるものだと思います。そういう意味では、教育改革というのは実はガバナンスを改善する上でも、非常に大きな契機になるのではないだろうか。ただし、そういった改革自体も上から押し付けるのはなくて、そのプロセスをやはり透明化するということは重要だと思います。
そのためには、教育のあり方を考え、それから授業をつくり直し、その結果を客観的に把握して、さらに改革に結びつけていく。そうしたフィードバックの過程を作ることこそが、大学経営の重要な課題となっているのではないでしょうか。
そうした変化を起こすには、何が重要なのかということになってくるわけです。もちろん政策も重要でしょう。どこが今、日本の大学の問題であるのかということを明確に提示すること、変化に必要なインセンティブをつくっていくことも非常に重要だと思います。ただ個々の教員・職員に関して言えば非常に危機感はあるのではないかと思いますけれども、具体的な努力の方向が見えないというのが、大きな障害になっていると思います。
そういった意味で、経営人材の育成が大きな課題となってくる。
経営人材の育成
第一の問題は、冒頭に申し上げた、大学におけるリーダーの資質にかかわります。必要な学長像、幹部系人材像とはなにか。どういう人が、どういう機能を果たすべきなのかということの議論に戻るわけです。
ここ10年くらいの日本の大学の変化を見ていると、国立大学の法人化というのは非常に大きな影響を与えていると思います。いうまでもなく法人化は国立大学については学長の権限を、拡大しました。国立大学法人というのは実は非常に特異なメカニズムでありまして学長の権限が恐ろしく強い、チェック機関が明確にないわけですね。もちろん経営協議会はありますが、経営協議会は実はチェックの権限を持っていませんし、強いて言うと学長選考委員会が監督機関と言えないことはないのですが、それ以外はないのです。
ところが制度的に学長の権限を強力にしても、学長の判断が正当である保証は実は必ずしもない、制度的にだけ学長の権限を拡大させると実はかなり危険なことになる。形式的にはリーダーシップが発揮される条件ができたが、それは実は相当大きなリスクが生じていたことをも意味している。実際、法人化直後の学長がおこなった改革には後で、かなり問題が生じた例も少なくない。
結果として、法人化前後の学長というのは相当改革派だったのですが、逆にそれ以降の学長は、私は「癒し型」になっているのではないかと思います。調整型と言ったほうがいいかもしれませんが、あえて癒し型と呼んでおきます。いずれにせよ、安心できる学長を選ぶ傾向が堅調になっている。私立大学でも面白いことに同じ傾向がありまして、過去、ここ3~4年くらいに選ばれている学長というのはみんな癒し型というか学内調整型の学長、特に巨大私学はその傾向が私はあるのではないかと思います。皮肉なことに、制度的には改革して権限が多くなった結果として、むしろ学内調整型になってしまった。
しかし現在の状態はどうかというと、私は癒し型学長が行き詰まりつつある、動けなくなっている、と感じます。ある意味ではそれは当然かもしれない。癒し型はリーダーシップを発揮しないためから選ばれたわけですから、リーダーシップを発揮できないわけです。では何が必要なのかということです。自明に聞こえるかもしれませんが、私は個人としての資質というのも非常に重要ではないかと考えます。特に適格な判断力と説得力というものが重要である。大学の課題について適格に判断する、広い視野から判断する。しかしそれは独走するのではなくて、それを学内に対して説得する。そうした資質をもつ幹部職員を意識的に養成していく必要があるのではないか。
第二に事務職員についてですけれども、私は今日は具体的なデータに基づいてお話する時間がありませんで、このあとの発表の先生方が多分、お話しになると思いますので詳細な議論はそれに譲り、大筋を申し上げたいと思います。
まず大学の事務職員というのは基本的に、組織の維持管理を支える管理運営の要員だという、これは忘れてはいけないことだと思います。多少保守的にみえても、この機能がきちんと働いていないと、大学は本質的に分解する可能性を常にもっている。
その中で、何がいま起こっているかというと、事務職員が将来のキャリアに対する展望と、大学の中での自分の位置づけがなかなか描けない。大学の危機がいわれる中で、非常に事務職員に対する期待は高くなっているのだけれども、実は日常やっているのは基本的には管理運営、維持管理であって、それを出ることはむしろ許されない。その中で危機感が空回りしているという状況が生じているのではないかと思います。
では、もしこれまで申し上げた意味での経営というものが重要になっているのだとすれば、大学職員は何をするべきか。私はその一つは、大学について広い視野をもっているということだと思います。日本の大学はアメリカの大学と比べても、大学職員が大学経営にある程度の参加意識をもっている。それは日本の大学の一つの特徴だと思います。ただ、それが活用されるためには、広い視野を持ってもらわないと、危機意識の空回りが起こってくる。
そうした意味では情報収集とか分析とか、そういったことについての一種のテクニカルな知識も必要になってくるでしょう。もう一つ非常に重要だと思いますのは、教育機能において職員の役割というのを明確にし、その能力を活かすということです。(続く)