2012年8月29日水曜日

大学経営とそれを担う人材(5)

前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、金子元久さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。


大学教育の日本的特質

もう一つのデータ(表2:略)は、総理府の生活基本調査における生活時間です。小学校6年生、中学3年、高校3年、大学大学院と生活時間を見てみますと、学習時間が小学校から中学・高校にかけて高くなるのですが、大学に入ってガクッと下がる。その代わりに、買い物・趣味・娯楽が上がるというような状況になっているわけです。

もう一つは、われわれが行った大学生の調査(123大学、45,000人)の調査結果(表3:略)です。これによれば、大学生の社会的活動時間は1 日に8時間くらいなのですが、その中で「授業・実験」に出ている時間が2.9時間「授業の準備」をしているのが1時間、「卒論・その他」これは4年生だけですけれども、一応平均すると0.7時間です。これらをあわせて学習時間とすると、4.6時間しかない。1日5時間を切るのです。もともと日本の大学の設置基準は学生が授業と、それから自分で学習する時間を含めて8時間程度は勉強することを基礎として出来ているのですが、基本的には半分しか勉強していない。日本の学生は実はフルタイムの学生ではありません、平均像はパートタイムの学生なわけです。またアメリカと比べても明らかに学習時間が低い。1週間の自発的な学習に、授業に関連して自分で勉強する時間が1日に5時間弱、5時間以下の学生が4割くらいを占めている、アメリカと比べての非常に特異な状況であります。

もう一方で大学教員は、サボっているのかというと、実は必ずしもそうではない。大学教員の業務時間等の調査が3年おきくらいにありますけれども、これを見ますと大外11時間くらい働いていますから、特に普通の人と比べてサボっているわけではない。ただ、教育にかける時間は国立も私立も3時間弱、1日にですね。あと何をやっているのかと言うと、研究もあるし、社会サービスもあるし、そのほかと言いますか、いろんな業務もある。実は教育にかかっている時間というのは1日の勤務時間の三分の一にも達してないという状況なわけです。

では本当に何をやっているのかということですが、実は驚いたことに教員の担当コマ数は多いのです。調べてみますと大体8コマくらい1学期にやっている。アメリカの大学は大体1年間で3コマとかいうのがリサーチ大学では多いですし、そういった大学でなくても大体1学期、3コマくらいが普通ですので非常に多い。なぜなのかということですけれども基本的に日本の大学の授業というのはあまり先生が時間をかけていないのではないか、非常に少人数でゼミみたいなものをやって学生が調べて来て発表する。それで何となく少人数でやっていると人格形成にもいいとか何とかいうような思い込みがあって、従って授業もあまり学生が勉強することを要求していない。もちろん大学の先生に聞きますと、学生は典型的には授業には出ているけれども自分で勉強する時間は少ないというふうに反論されているのですが「では、どの程度の勉強時間を想定されていますか」と聞きますと1コマ2単位の授業で大体1時間くらいしか想定していなのです。本当は2単位であれば4時間の自分での学習時間が必要なはずなのですけれども、そういったことはまったく無視されている。

従って、日本の先生は実は非常に時間をかけてたくさんの授業をやっているのですけれども、学生に勉強させるということは実はあまりやられていないのではないか。基本的には、授業負担は多いわけですけれども時間はあまり使ってない。それはもちろん研究重視とか、管理業務といったこともあると思いますが、結果としては学生のインプットというのは、授業出席が中心で、自発的に自分から勉強するというのは、実はかなり欠けている。結果として、個々の授業の中身が薄い、体系的な知識の習得が実は不完全にどうしてもなってしまう。それから一番大きいのは、自分が勉強したという実感が多分得られないのではないか、そこから社会の大学に対する不満が強く出てくるということではないかと思います。こういうふうに考えてみますと、私は日本の大学教育というのは非常に危機的であって、今、大学教育ではいろんなところで問題になっていまして、中教審(中央教育審議会)で問題にしていますけれども、実は問題はかなり切迫している。さっき申し上げたような高教像も、非常に大きく変わる中でこういった大学教育のままで日本が再生できるのかどうか、実は、非常に大きな問題だろうと思います。(続く)