◇
大学の管理運営
ではそうした「管理運営」はどのように行われたのか。
その担い手の一つは学長、「レクター(rector)」です。プレジデント(president)と言わないでレクターと言いますが、ドイツ語だと「C」が「K」になったりするみたいです。レクトールと言うのですが、これはギルド、基本的にはギルドも組合の代表でありますから教員団の一人なのです。大体2年とか3年交代でやっている。ヨーロッパの古い大学に行きますと歴代総長の額なんていうのが飾ってあるのですが、非常に古い大学でも肖像が飾ってあるのはかなり最近で、それはなぜかというと写真がなかったということもあるかもしれませんが、もう一つは学長があまり大したことなかったわけです。教員の回り持ちだったから、そう言った学長がありました。
では職員にあたるのはどういう人かというと「ビードル」という人がいたそうです。この人は事務長、あるいは総務に当たる人です。ギルド的な組織では規則が明文化されてなくてさまざまなかたちで習慣とか伝統とか、そういったものによって運営されていた。従って組織の規則みたいなものを常に監視している人が必要である、それが事務長であり、総務であった。現在で言う総務的な役割でありました。
二番目は「ノータロ」と言う人です。「ノータロ」というと語感があまり良くないですけれども、これは非常に重要で書記とか学籍簿係に対応する。それは大学の組織としての教育機能に対応するわけで、イギリスの大学では大学の事務局長のことをレジストラー(registrar)と言いますが、アメリカでもこの言葉を使うことがあります。それは基本的には学籍簿の管理係である。これは基本的には学籍簿の管理をする人が事務局の中心となり、管理運営の中心となっていた。
それからもう一つ経済的な側面が非常に重要で、出納係というのがもう一つ非常に重要な機能でありました。
言ってみれば総務、それから学務、それと財務と、この三つというのが管理運営上の基本的な機能であって、それはもう中世の大学から実は始まっていたということになります。写真(略)は、パドワの大学のビードルでありまして、これはこのセンターの、高等教育研究開発センターの前身の大学教育研究センターのときの二代目のセンター長の横尾壮英先生という中世ヨーロッパの大学史の権威が書かれた「中世大学都市への旅」という本の挿絵をそのまま入れました。このようにビードルは杖を持って行列の先頭に立っていたらしいです。
いずれにせよ、大学にとって「管理運営」は組織の維持と機能に不可欠であり、それを幹部教員と事務職員が担っていた。後者には現代に通じる総務、あるいは学務、それから財務系というものがありました。
近代大学
では近代になるに従ってどうなってきたか。近代大学の嚆矢とされるのは1810年にできたベルリン大学です。ここで強調されたのは「研究と教育の統一」、さらにいえば特に研究機能の重視です。ところが研究というものは組織でやるものではなくて個々の研究者が、個々の研究の論理で発展させるものです。研究がそもそも自分の論理を持って、その自分の論理が発展していくことによって発展するとすれば、それを外的な基準でなかなか判断できないわけです。従って個々の教員の自律性が大学の機能発揮の基本である。「学問の自由」というのは、社会の中で大学は自由でなければならない、というスローガンのように一般的に理解されています、実は社会の中だけではなくて大学の中でも、個人としての教員というのは自由でなければいけない。
しかし大学はむしろより強力に組織として制度化されていく。巨大化され、しかもそれがさまざまな社会機構の中に組み込まれていく、当然ながら多量の資源を要する。しかもそれまで大学というのは初等、中等教育とまったく独立にできていたわけですけれども、教育体系が発展するに従って教育体系の中に組み込まれ、また大学が大衆化していくのです。従って管理する必要性も非常に大きくなった。ということで近代大学というのは、ある意味では、さっき申し上げた部分的な自律性と組織統合の二つの原理の両方を発展させなければいけなかった、従ってその間の亀裂とか矛盾もさらに深くなってきたというふうに言えると思います。
基本的な教育研究活動については極端に言えば個々の教員が、あるいは個々の学部が独自の論理でもって教育研究を行っている。その部分部分が生産的であることが少なくとも研究の上で一番重要である。そこで個々の部分で効率化、最適化をするというのが基本である。しかし同時に、それだけでは組織全体としての統合性が保てない。各学部の関係を調整し、組織としての一貫性を保つために、管理運営機能が不可欠となる。逆に言うと非常に矛盾に満ちた組織であるからこそ、管理運営が重要な役割をはたす。管理運営は大学というものの本質に根ざすものと言えると思います。(続く)