1939年にフロイトが亡くなりましたが、晩年にこのようなことを言っています。
「自分たちの時代の以前に、“幸せ”とか“不幸”を論ずる人はいなかった。
“幸せ”や“不幸”というものを人々が口にするようになったのは、自分たちの時代くらいからだ。
その前の人は、全く口にしていないし、話題にもしていない」
フロイトの時代以前は、人間の心の中に、幸せと不幸という概念が湧いてきていなかったのです。
どうしてかと言うと、情報通信が発達していなかったので、他人がどういう暮らしをしているかを、知るすべがなかった。
周りの人がどういう生活をしているかを知らなければ、皆それぞれ、嫁さんをもらって、子供をつくって、家族で普通に食事をして…というように自分の生活をしていた。
それを幸とか不幸とか言わなかった。
それが、普通の人の生活だったのです。
それが、ラジオや画像として情報が入ってきたり、新聞などでそれぞれの生活がわかるようになって、周りの人と比べるようになった。
比べるようになった結果として、幸せ・不幸という考え方が論じられるようになったのです。
幸せや不幸というのは、全部人との比べ合いから始まっている、ということです。
ここのところがかなり面白い。
幸・不幸というのが、宇宙的に存在しているわけではない。
比べる心、競う心、戦う心、争う心から全部始まっている。
それをやめればいい。
そしたら、いきなり幸せが手に入るということです。
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嫉妬も、不満も、グチも、すべては他人との比較から生まれる。
しかし、情報化社会はどんどん進み、他人の情報はもっとわかるようになり、比較するすることはますます増えている。
そうして、年を追うごとに世の中に、嫉妬や不満やグチが渦巻くことになる。
比較しない唯一の方法は、ボーっとすることであり、力を抜いて生きること。
つまり、鈍(にぶ)くなることだ。
時に、間が抜けていたり、不器用だったり、バカになれたり、と自分を飾ることがない。
鋭(するど)すぎる人は、人から好かれない。
すぐに、イライラしたり、ピリピリしたりしてしまうからだ。
他人と比較しない人でありたい。