よく、年をとった人がテレビを見ながら、いつも文句を言っているようなことがあります。
ニュースショーに登場するタレントの発言を聞くと、「なんだ、あんなタレントなんか何も知らないくせに」と怒ったり、若い女性が流行歌を歌うのを聴いて、「あんなバカ娘の歌のどこがよいのか」などと言ったりします。
また、政治家についてもいつも悪口を言います。
実は、これは自分と比較しているのです。
あのタレントは有名だけど、ほんとうはくだらないと思うことで、自分の優越感を満たそうとしているのです。
政治家に対しても、「くだらない」と言うことで、「自分もだめではないぞ」と思いたいのです。
自分のかつてのライバル、同僚、仲間、あるいは親族などについても同様です。
「あいつはくだらないやつだ」「あんなやつがうまくいっているなんて信じられない」などと言って、相手をおとしめようとします。
自分がだめだと思いたくないからです。
しかし、このように比較でものを考えようとすると、どうしても自分の現実に目が向かいます。
思ったほど成功しなかった、家族も昔の努力が報われず、ばらばらになってしまったなどと自分の現況を嘆き、自分を責める気持ちが強くなるのです。
このようなことは結局自分を不幸にし、晩年を苦しみで満たされたものにしてしまいます。
だから、まず、誰がテレビに出ても比較しないと心に決めるのです。
「あの人はあの人」とか、「世の中にはえらい人がいるものだ」とか、「才能がある人はいるなあ」と思うのです。
多くの高齢者、特にある地位にいたような人が晩年、何をしても、何を見てもおもしろくないなどと言っているのに驚くことがあります。
よく聞いてみると、たいていは自分と比較しています。
「あんなやつより俺のほうがえらいのだ」
「なんだ、あんなくだらないことを言ってテレビで有名になるなんて」と思うことが多くなります。
これらはすべて、比べることで起こります。
「自分なら」とか、「なんだ、あんなことを言って」などと考えやすいのです。
ある高校の剣道の先生と話す機会がありました。
彼は、「生徒の欠点を直そうとすると、それだけで3年たってしまう。むしろよいところを探し、伸ばそうとすると、悪いところが消えていく」と言っていました。
つまり、悪いところは気にせず、よいところ、得意なところに目を向け、そこを伸ばせば欠点は消えてゆくというのです。
長所を伸ばしていくと欠点は欠点でなくなり、逆に長所になるということは実際にあります。
人間には、本来無限の可能性が備わっているのです。
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「嫉妬」や「ねたみ」という不幸は、他人との比較からはじまる。
嫉妬は、他人への批判や、悪口、さらには怒りという感情にもなってしまうからだ。
『「のに」がつくと愚痴になる』という相田みつをさんの言葉がある。
「あんなヤツ、たいしたことなかったのに」、「オレのが年上なのに」と、他人と比較すれば愚痴になる。
愚痴は否定だ。
欠点を直そうとするのではなく、長所を伸ばしていく、という方法は、「感謝する」ということに似ている。
すべての事象の中によいところを見つけ、今自分がここにあることに感謝する。
感謝は肯定。
「比較しないと決めること」
感謝の気持ちで日々生きてゆきたい。