2014年9月20日土曜日

朝日新聞の誤報道

嘘-朝日新聞「従軍慰安婦」報道の軌跡」(2014-09-12 nippon.com)をご紹介します。

朝日新聞の検証にもかかわらず変わらぬ事実

最初に確認しておかなければならないことがある。昭和の戦争において、アジア全域で日本と日本軍が関与した「従軍慰安婦」は現実に存在したということである。しかも、戦地においては軍の暴力を背景にして現地の女性を強制的に慰安婦にした例が複数あったことは、まぎれもない事実なのである。この点、ほかの戦争において軍隊が占領地で行った暴行と何も変りはない。

ただそれは、あくまで「戦地」においてである。「従軍慰安婦」システム自体は、当時、日本で公認されていた管理売春組織を日本軍の占領地にもっていってだけのものである。(ちなみに日本の管理売春制度は1958年に完全廃止される)。「従軍慰安婦」の大半は日本本土の日本女性、さらに当時日本領であった朝鮮、台湾の女性であった。管理売春制度とは公認された“人身売買制度”に他ならず、当事者の人権を著しく踏みにじるものであったことに何の疑いもない。しかし、この人権侵害は「戦地での強制」という戦争犯罪とは別物である。

近年、「従軍慰安婦」問題で日本を激しく非難しているのは韓国であるが、その主張は戦争犯罪であったということに集約される。ただ残念なことに、日本は1894~95年に清国(当時の中国の王朝)と戦争して以来、朝鮮半島では戦争を行っていない。まして、朝鮮半島の国と戦争を行ったことは近代以降、一度もないのである。

吉田清治が作り出したフィクション

ところが、韓国ではいまだに、そして日本でもある段階まで、この問題は「戦争犯罪」として扱われた。その根っこには一つの嘘がある。それが、吉田清治(1913~2000年)という人物の証言である。吉田氏は戦時中、日雇い労働者を管理する山口県労務報国会下関支部で動員部長であったと自称していた。80年代に2冊の著作を出し、その中で自らの体験として「済州島において戦時中、約200人の若い女性を狩り出した」と記述した。のちに問題が大きくなってから、報道関係者、歴史研究家、さらには韓国の研究者まで現地に赴き裏付け調査を行ったが、だれも、何の証拠も、証言も得ることはできなかった。

このままであれば、単なる「創作」ということで世間の注目を集めることもなく消えていくはずだった。しかし、1982年、この吉田証言を朝日新聞が記事として取り上げたことで事態は急変する。いうまでもなく、朝日新聞は戦前から日本で最も影響力のあるメディアである。その報道のおかげで、朝鮮半島における「慰安婦狩り」は事実として韓国で大きく扱われ、対日批判の中心的なイシューとなっていた。

この件がさらに混乱したのは、戦時に国民の勤労奉仕として集められた「女子挺身隊」と混同されたことにある。「女子挺身隊」は日本国内と領内であれば学校組織を中心にどこにでも存在した組織である。そのため「慰安婦組織」は広範に存在したかのような言説が飛び交う羽目になった。


朝日新聞「慰安婦問題」検証の要約

① 強制連行の有無
1982年9月2日の大阪社会面での吉田清治証言に基づく済州島での「慰安婦狩り」報道。および92年1月12日の社説での「『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され」と表現したことについて。

日本の植民地だった朝鮮や台湾では、売春組織の業者が『良い仕事がある』などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていない。一方、インネシアなどの日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されている。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことである。

②吉田清治による済州島で「慰安婦狩り」証言
吉田証言を大メディアとして初めて報道以来、16回にわたり掲載した件について。

済州島を再取材したが証言を裏付ける話は得られなかった。吉田清治の証言は虚偽と判断し、記事を取り消す。

③1992年報道と政治的意図
1992年1月11日の「慰安所 軍関与を示す資料」報道は宮澤訪韓を狙ったものと非難されていることについて。

その意図はなく、詳細を知った5日後の掲載。一方、政府は報道前から資料の存在の報告を受けていた。

④ 「女子挺身隊」と「慰安婦」の混同
1991~92年の記事で、朝鮮半島出身の慰安婦を「女子挺身隊」の名目で強制連行したものであると報道したことについて。

女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とは全く別もの。記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから誤用した。

⑤1991年8月11日の「元慰安婦 初の証言」の背景

韓国メディアより先に報道した。だが、執筆した記者は韓国の慰安婦裁判支援団体幹部の親戚で、何らかのバイアスがかかっていたのではないかという疑い。

記事取材のきっかけは当時のソウル支局長からの情報提供。意図的な事実の捻じ曲げはない。

流れを大きく変えた1992年1月報道

その頂点となったのが、1992年1月の宮澤喜一首相訪韓前後の報道である。前年、元慰安婦の女性が初めて名乗り出て、日本政府を訴えるに至った。この過程も、韓国メディアより先に朝日新聞が報道した。その騒動の中で、首相訪韓の直前、「慰安所」への慰安婦たちの移動に軍や公的機関が便宜を図る資料についての報道があり、宮澤首相は、韓国で謝罪を繰り返し、さらに翌年、河野洋平官房長官が慰安婦問題についての談話を発表することになった。(ただしこの談話は、従軍慰安婦の存在と慰安施設の運営への公的関与、戦地での強制などを認めたものの、韓国での強制には特定して触れていない)。メディア各社も本格的に朝日の報道に追従し始めた。

さすがに、政府まで動くとなると、一連の報道への検証が急速に進むことになった。その結果、吉田証言の事実無根、「挺身隊」と「慰安婦」の混同などが明確になり、1992年8月以降は、日本のメディア各社は吉田証言を前提とした報道を控えることになる。ただ控えただけで否定も修正も行わなかった。

日韓が入り込んだ袋小路

しかし、メディアがだんまりを決め込んでいる間に事態はさらに加速した。1996年には、国連人権委員会に吉田証言を証拠として採択したクワラスワミ報告書が提出される。さらに、アジア全域の元慰安婦への償いのために政府主導で設立した「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」の「償い」を受けた韓国の元慰安婦7人が国内で非難を受け、のちに政府からの生活支援を切られる羽目になる。「河野談話」の認識ではなく、韓国の「従軍慰安婦」も戦地での強制として扱わなければ受け入れないという態度が今もなお韓国を支配している。

この姿勢は、アメリカの韓国系住民を通じてアメリカ国内でキャンペーンされ、2007年の下院対日非難決議につながる。当時、第一次政権時の安倍晋三首相が「広義の強制はあったが、狭義の強制はなかった」、つまり韓国では人身売買による従軍慰安婦は存在したが、戦地での強制と同じレベルの強制はなかった、と釈明したが、アメリカの政府にも社会にも、「歴史修正主義者」のレッテルを張られる始末だった。日本政府としても、「河野談話」以上の対応、つまり吉田清治の「嘘」を事実として認定することはありえない。したがって日韓関係は展望の利かない袋小路に入り込んでしまった。

韓国の事情-「対日戦勝国」の認知を求めた李承晩

韓国では、「従軍慰安婦」問題への被害者意識が最初からあったとはいいがたい。本当に戦時中に犯罪性の高い行為があったのなら、BC級戦犯裁判で取り上げたオランダのように、終戦直後から問題が提起されていたであろう。現実には、「強制された従軍慰安婦」が取りざたされたのは1980年代に入ってからであり、それも日本側の証言や報道が先行する形であった。

しかし、いったん「強制された従軍慰安婦」という設定が提示されると、これが浸透するのは早かった。韓国にはその事実は存在しなかったものの、その設定を受け入れる理由が十分あったからだ。

いうまでもなく韓国は、第二次世界大戦の終結によって、旧日本領朝鮮が分断されて生まれた国家である。南北両国とも大日本帝国が消滅したおかげで成立したのであって、決して自力で独立を勝ち取ったわけではない。しかし、相互に排他的な存在で朝鮮戦争が発生した。その後、激しい国家アイデンティティのぶつかり合いを続けるのである。

この争いは正直にいって北の方に分があった。北朝鮮は、日韓合併後、旧満州吉林省延辺地区を中心とし、中国共産党の支援を受けた抗日パルチザン組織が中核になり、「独立運動の正統」を名乗っていた。一方、韓国は、戦前、中華民国国民党政府と行動を共にしていた大韓民国臨時政府をその前身としており、李承晩・初代大統領もその首班だった。臨時政府は日中戦争中、「光復軍」という軍事組織を作ったが実際には機能せず、抗日戦の実態はなかった。そして臨時政府も国際的な承認を受けることはなかったのである。その上、後ろ盾であった中国国民党政府は、北朝鮮の後ろ盾である共産党政権との内戦に敗れ、1949年に大陸から台湾に撤退してしまう。

しかし、韓国の李承晩政権は半島統一を巡る朝鮮戦争の中で、北朝鮮に対抗しうる「抗日の歴史」を主張し続けた。その結果、1951年9月に行われた連合国、国際社会と日本の講和会議であるサンフランシスコ平和会議への出席と署名を求めるのである。つまり国際社会に韓国を対日戦勝国として認めろ、と主張したのである。当然、連合国側によって峻絶されたが、韓国は李承晩ラインの主張など、その後も朴正煕政権成立まで、内外に「対日戦勝国」として振る舞い続ける。

無理があるドイツとの比較

この「李承晩のフィクション」という亡霊は、今に至るまで生きている。韓国の政治家、各種団体、メディアの対日批判を見ると、必ずと言っていいほどドイツとの比較が出てくる。特に竹島問題では、ドイツが1990年の再統一に際し、ポーランドと国境問題と難民の請求権放棄問題を最終決定した条約を持ち出し、日本もまたこれを見習えという主張が繰り返される。

しかし、韓国とポーランドを重ね合わせるには無理がある。ポーランドは、紛うことなき対独交戦国だからである。しかもナチスの犯罪被害、戦争犯罪被害の当事者なのである。繰り返しになるが、韓国は第二次世界大戦において日本の交戦国ではない。当時の朝鮮半島の住民が納得していたか否かに関係なく「日本」だったのである。だから、韓国には自らを対日交戦国に擬するだけの動機もしくは心理的な素地があった。「強制された従軍慰安婦」問題は、ヨーロッパのドイツやソ連の占領地と同じイメージを自らに付与する格好の材料だったのである。

日本の事情-生き延びた“戦争協力”の全国紙

一方、日本の一部にも韓国が第二次世界大戦の戦争被害者であるかのように擬そうという心理的傾向があった。その一部とはメディアであった。しかも、ここでもドイツとの対比がわかりやすい説明となる。

第二次世界大戦で連合国に降伏した日本とドイツは、降伏条件に従い、戦犯裁判によって責任者が裁かれ、旧体制が解体された。この際、ドイツはナチスとナチズムが、日本は軍と軍国主義が元凶とされ排除された。日本の軍の解体と関係者の排除は、ドイツより徹底したものだった。しかし、それは軍だけ。この間の事情の検証は本論の趣旨とは離れるので紙数の関係もあり触れないでおくが、結果だけ見れば、軍以外の指導層は財閥が解体された以外は、政治家も、官僚組織も、大学も、実質的にほとんど温存された。

特に目立ったのがメディアである。ドイツではナチス・プロパガンダ政策否定の過程で協力者が徹底して解体・追放された。新聞もまた「Stunde Null(零時)」を免れなかったのである。この点、日本はドイツと著しい差がある。

戦前からいまだに「3大新聞」と呼ばれる、朝日、毎日、読売の3紙は、1931年の満州事変以降、日本の中国大陸侵略時に軍部の代弁者であるかのように戦意高揚を行い、爆発的に部数を伸ばした。1945年当時、朝日、毎日は約350万部、後発の読売も約150万部に達し、いずれもこの段階で全国紙の地位を確立している。朝日新聞の緒方竹虎主筆や読売新聞の正力松太郎社長は、戦後、GHQによって戦犯容疑をかけられ公職追放となったが、ほどなくそれも解除された。メディアでは同盟通信が、時事通信、共同通信、電通の3社に解体された以外は、社名題字までもそのまま残ったのである。

歴史問題などで主導権を失った政府・政界

戦時中、総動員体制下の宣伝機関として築き上げた国民世論への影響力は、戦後、減ずるどころか、ますます強まった。政府など公的機関が記者クラブ制度などでメディアに情報を優先的に流し、囲い込みを行ったという事情もある。つまり戦後における総動員体制の継続である。

軍による統制がなくなったうえに影響力は増し、全国紙など大メディアの権勢は絶大なものとなった。一国内でどのくらいの存在であるかは、下のグラフ(略)を参照いただきたい。読売、朝日は日本のみならず世界の新聞部数の1位、2位である。中国、インドといった国は日本の約10倍の人口があり、日本語圏が、ほぼ日本国内に限られることを考えると驚異的なシェアであるといえる。冷戦崩壊直前に、ソ連の「プラウダ」が約1500万部、中国の「人民日報」が約1000万部であったと言われていることから考えても、日本の巨大新聞の国内での存在がいかに飛び抜けたものであるかわかるであろう。

しかも敗戦によって、政府が歴史問題など価値観に関する権威を失い、代わりにジャーナリズムやアカデミズムに主導される世論が主導権を握るという構造になった。歴史・戦争責任にかかわる問題は、政府や政治権力に対しメディアが圧倒的な優位に立てる題材になったのである。自らも戦争責任問題を引きずっていることからも、メディアは「正義の味方」である必要があった。かくて隣国との歴史問題は、日本の新聞にとって好餌(こうじ)となったのである。

出口はあるか-遅すぎた朝日の検証

今回、朝日新聞が過去の報道を検証し、誤りを認めたことは、メディアとして正しい行動であったと思う。しかし、いかにも遅すぎた。最初の吉田証言の報道から32年、政府が行動を余儀なくされ、しかも証言の信用性が失われた92年から22年。この間に、「強制による従軍慰安婦」の問題は、韓国世論の中にビルトインされた。しかも、日本の戦争責任問題の中の代表的な案件として国際社会でも認知されてしまったのである。

国際社会から見れば、日本の「従軍慰安婦」問題全体の中で、韓国との論争点などは、実はごく一部の些末な問題なのである。「従軍慰安婦」問題全体、さらには戦争責任問題全体への日本の態度こそが重要なのである。しかし、たとえ些末な「誤り」であろうと、それを日本が自分から修正しようとすると、外から見れば「歴史修正」を行っていると判断される。相手国が政治的意図をもってこの問題を使おうとしているとわかっていてもである。この点において日本はまだ被告人席に立っているのである。しかも日本国内には、一部の過誤から逆算して、ほかの過去の戦争責任全体までも否定しようという隠然たる圧力が存在する。このことが、さらに日本の行動を制約している。

一方、韓国は、近年、中国に急速に接近していく過程で、相変わらず「李承晩のフィクション」をアピールしている。しかも中国がこれに応え始めているのである。日本ではまだその深刻さが十分理解されていないようだが、中国が行っている光復軍の顕彰や抗日戦での共闘を認める発言は、韓国に対して外交的に重要な意味をもっている。中国はそもそも北朝鮮に正統性を付与していた存在だったのである。北朝鮮の崩壊と統一の可能性が現実味を増すにつれ、統一の主体としての「李承晩のフィクション」を内外に認めさせようという韓国のモメンタムは高まっていくと考えられる。

過去の報道が取り消されても、事態が白紙に戻ることは考えられない。それゆえ、この日韓両国で展開された一連のフィクションは、起点となった吉田清治の「嘘」そのものとは比べものにならないほど深刻で、罪深いものになったのである。

資料 「従軍慰安婦」報道と歴史問題の推移