「NUPSパンダのブログ」から「国立大学は既に国立とは言えないのではないか?」(2015年2月13日)をご紹介します。
国立大学法人は、自らの競争力強化を図る投資は優に及ばず、当面の運営費を賄う収入さえ確保できなくなりつつある。
これまでも折に触れて警鐘を鳴らしてきたが、私のような実務担当の目から見ても、国立大学法人の財務の破綻を回避するには、2016年4月からの第3期には授業料値上げが避けられない状況になっている。
恐らく多くの国立大学では、運営費交付金への影響がないとされる標準額プラス20%までの授業料値上げの検討が行われる可能性が高い。
かりにそれだけの上昇があったとしても、私立大学の大半よりはまだ受益者負担は小さいので、授業料を据え置かなくては学生募集に支障があると考えているような気弱な国立大学は、いよいよ統廃合の対象にならざるを得ないだろう。
10年にわたり真綿で首を絞めるような手法で、国立大学法人の財務を圧迫してきた効果(?)が得られつつある。
財務省は、18歳人口減少が進行する中で、国立大学全体を規模縮小に導くという筋書きが、順調に運んだと手ごたえを感じているのかもしれない。
法人化の際に、運営費交付金は大学法人の収支差を埋める補助だと聞かされたが、それ以降、一律削減が続いたために、そうした説明はとうの昔に実態に合わなくなっている。
財務面で見れば、既に国立大学は、国が設置し運営に責任を持っているとは言えず、元々はそうした存在だった大学=元国立大学とも呼ぶべきものになっている。
このところの状況を具に分析すれば、国立大学法人は一段と支出増圧力にさらされている。
特に、人事院勧告に準拠した給与改訂に関して、完全実施する方針を基本とするものの、財務状況がそれを許さなくなっている法人が26年度現在で4割ほどに上っている。
東日本大震災後の予算編成において、国家公務員給与を2年間にわたり平均7,8%抑制した際に、これと同様の措置を行った大半の国立大学法人は、今になって国家公務員に準拠した給与改訂を行わない訳にもいかない。
下げるときは合わせると言っておいて、上げるときは別だというのは、いかに財務状況が苦しいとしても二枚舌の誹りを免れないからである。
国家公務員準拠の決断をした法人も、恐らく物件費を削減して正規の教職員の人件費に回している。
26年度決算において、こうした苦肉の策の結果が数字で表れてくるだろう。しかも、一度増加した人件費は27年度以降も人減らしをしなければ圧縮できない。
財務が苦しい中でリストラが必要だと分かっていても、先頭に立って実行する経営トップ=国立大学長がどれほどいるだろうか?あまり期待しない方が良い。
もちろん、文部科学省からも、そうした劇薬を持ち込む施策の打ち出しはありそうにない。
したがって、大学法人の人件費が劇的に圧縮されるという事態はまず起こり得ない。
悪いことに、法人財務の3割ほどを占める附属病院の経営も26年度は芳しくないという情報が流布され、消費税率のアップが原因だとする解説がなされている。
こちらも、今年6月末に各大学法人の決算報告が出れば明確になるはずである。
病院が現金ベースで赤字になれば、大学法人の財務に少なからぬ影響が出る。病院では億円単位の損失が予期せずに出てしまうことがあるが、病院を除く大学からその損失を埋めることは、ほぼ不可能である。
そうなると法人は赤字決算になる。
さらに、施設整備費に関しても、26年度補正、27年度当初予算をみる限り、国家財政運営の帰結から抑制基調が明確になっており、安全性が疑われる老朽校舎が放っておかれる状態が長引く恐れがある。
特に、附属学校などは、これといった自己財源はなく基本的に国の補助金頼みでしかないが、補助金の総額抑制の中で待ち年月が長くなっている。
文部科学省にも必要性が分かっていながら、措置するだけの金がないのは実に情けない思いであろう。
以上のような状況なので、結局、最短で28年度からの授業料の値上げを実施する国立大学が出てくるだろう。
多くの法人は様子見かもしれないが、早晩追随することになるはずである。
学生募集の競争力の低い大学・学部では、値上げを躊躇するところもあろうが、かりに運営費交付金に影響がないとされている20%アップ(約10万7000円増)を実施できないようなところは、安かろう悪かろうに陥らないためにも、自ら組織再編(規模縮小)を実施すべきだろう。
さらに、国からの運営費交付金の減から受益者負担の増に繋がる流れは、恐らくその後も続くだろう。
我が国には、私学という高等教育機関が学生の8割近くの受け皿となっており、国立大学の授業料が私学並みになって学生が来なくなれば、つぶれても差し支えないと財務省が考えていても不思議ではない。
もちろん、国立大学は理工系の学生定員が相対的に多く、大学院のシェアも大きいので、そうした役割を否定するものではなかろう。
しかし、私学と競合する部分も確かにあり、現実に、文部科学省から人社系の教育組織に関して見直し方針が示されている。
国立大学は国立だから最後は国が面倒をみると考えている大学人は、好い加減に目を覚ました方が良い。
既に、財務的には元国立になっており、時間が経てば経つだけ、私学化傾向が強まると覚悟して、もらえる予算は可能な限りもらい続けながら、先んじて財務自立の道を探求すべきだというのが、私の考えである。
財務省主計局は、そこまで明確には言わないが、彼らの説明ぶりをロジカルに詰めていけば、どう転んでも近未来に国立大学法人への財政支出を維持するのは難しいことは明らかである。
したがって、国立大学法人にまず必要なことは、競争力が低い部門を捨てることである。
それに伴って不要な人的・物的資産をいち早く切り離すことである。
それによって財源を生み出して、競争力のある部門に自らの判断で投資することである。
文部科学省には、こうした中長期ビジョンに基づく施策は期待できない。
大学法人の経営者が自ら考えて、先回りして実行するしかない。
国立の看板は残っても、国立の実態は失われていくものと諦めることが、迷いなく未来への一歩を踏み出す知恵と勇気を生み出すだろう。
現在行われている運営費交付金の減額を、科学研究費等の競争的資金の間接経費の増額で補う(研究に直接当てられる経費は減少する)というような政策論は、あまりにも枝葉末節な提案である。
本当に国家のために必要な国立大学があるならば、財政が苦しくても運営費交付金の水準を堂々と維持するべきで、朝三暮四のような手法で大学人や国民を騙すべきではない。
こんなつまらないことを議論している国は、我が国のほかにあるだろうか?