「大学におけるブランド構築の本質を考える」(吉武博通・筑波大学 大学研究センター長・ビジネスサイエンス系教授)(リクルート カレッジマネジメント189 / Nov. - Dec. 2014)をご紹介します。
ブランドを切り口に大学が為すべきことを検討する
本誌前号の特集「進学ブランド力調査」に象徴されるように、大学ブランドへの関心は高まり、ブランド価値やブランド・イメージを高めるための取り組みに力を入れる大学も多い。受験生や保護者に選択してもらえるか否かが大学の生き残りを左右する厳しい時代になったことがその背景にある。
その一方で、大学はブランドを論じる前に、教育研究の質を高めることを徹底し、その取り組みや成果を広く開示することで社会に対する説明責任を果たすべきという考え方も根強い。
公的資金への依存度の高い国公立大学の場合、説明責任が問われるのは当然であり、教育の質の保証や情報公開の充実は、国公私立を問わず全ての大学に求められている社会的要請でもある。
他方で、地道な教育改善や特色ある研究を行いながら、注目度が低く、志願者が集まりにくい、あるいは学生や教職員が自校に誇りを持てないといった状況に置かれている大学も少なくない。後者の大学が自校のブランド価値を高めたいと考えることは十分に理解できる。
これら2つの考え方は共に重要であり、ブランドや説明責任の表層のみを論じるのではなく、大学機能の根幹をなす教育研究や組織運営を含めて、トータルでその構造を捉え、あるべき姿を追求する必要がある。
このような考え方に基づき、大学におけるブランドの意味を問い直し、ブランドを切り口に大学が為すべきことを検討したものが本稿である。
ブランディングの起源は品質を保証するための商標
ブランド(brand)は、「銘柄」や「商標」を表す英語の名詞であるが、動詞が「焼き印を押す」ことを意味する通り、放牧場で自分の牛を識別するために牛の脇腹に焼き印を押したことなどが、今日の銘柄や商標につながったと言われている。
小川(2011)は、近代的な商業活動につながるブランディングは、中世ヨーロッパにおいて、商業ギルドが、品質を保証するために、商標(Trade Mark)を用いたのが始まりとした上で、現代的な意味でのブランドを「自社商品を他メーカーから容易に区別するためのシンボル、マーク、デザイン、名前など」と定義づけている。また、ブランディングを「競合商品に対して自社商品に優位性を与えるような、長期的な商品イメージの創造活動」としている。
その上で、ブランド・マネジメントの現代的な意義として、①固定客の獲得、②品質保証、③流通との交渉力、④ブランド拡張、の4つを挙げている。ここでいうブランド拡張とは、ブランド・イメージを活用して関連した製品分野や新規事業に進出することを意味する。
これらを基礎にした上で、ブランドの本質や大学における意味を掘り下げて考えるため、平成26年9月12日に開催された国立大学協会主催の平成26年度大学マネジメントセミナー「ブランド戦略の構築と実践」における2つの講演の要旨(要約は筆者)を、講師の了承を得て掲載することにした。
一人はマーケティング・サイエンスの研究者として東京大学教授などを歴任した後、現在丸の内ブランドフォーラムを主宰する片平秀貴氏、もう一人は片平氏がブランドづくりの第一人者と評する元ソニーマーケティング株式会社執行役員常務河野透氏である。ウォークマン®の名付け親でもある。
ブランドはつくるものではなく、できあがるもの(片平秀貴氏「大学のブランドを育てる」要約)
大学のブランドづくりは商品のブランドづくりよりはるかに難しいが基本的なメカニズムはそれほど変わらない。ブランドづくりで最初に強調したいのは「初心忘るべからず」ということ。初心者のとき自分達はどうだったか、そこからどうやって変わってきたかを忘れてはいけない。いつもビフォアからアフターを作り出そうという心構えが大切だ。
良い商品とブランドは何が違うのか。ブランドは名前を聞いただけでワクワクするものであり、大学であれば、入りたいし、入ってからも毎日がワクワクするような状態をいう。皆が知っていて一目置く、いわば社会的交渉力があることもブランドの要件である。
ブランドになるということは、顧客の頭の中に口座があり、口座に入金があるということである。大学の場合、学生、保護者、企業、プレス、海外の学会など関係者の頭の中に、数多い大学の中から自分の大学の口座をつくることであり、それらの関係者がその大学の何かと触れて、ポジティブな驚きを感じると、その度にその大学の口座に入金がある。それが繰り返されることで、社会の目も変わっていく。
情報過多の現代において目立つためには、①絞り込んで濃厚に、②社会の目と耳をどう開かせるか、③キーワードは1つ、の3点を重視することが大切である。教員の受賞などは小出しに公表するのではなく、いくつか貯めておいて、イベントを仕掛けて一気に発表する。そのような大きなことを何回か続けてやらないとハッと目が開くことはない。優秀な業績をコツコツ残しながら人々の頭の中に入らない大学も少なくない。伝え方が足りない、翻訳が足りない、発信が足りない、伝えるべき人に伝えていないからである。
商品の場合、モノに思いをのせて顧客に届ける。顧客は驚いて感動する。それを受けて企業は、今回は喜んでもらえたけれども、ゼロにリセットして新しいアイデアを考えて、再び挑戦する。この繰り返しで強いブランドができる。
職商人(しょくあきんど)という言葉があるが、教員は教える職人であり、自分の分野について世界の誰よりも習得し、新しいことを見つけ出す職人でもあるはず。それを届けて誰かを幸せにするのが商人。その両方に卓越している人が、強いブランドをつくる。
高校生はその大学の教員がどのような業績をあげているかなど知らない。頼りにするのは、なんとなくいい大学、なんとなくすごそうだといった漠とした名声であろう。その名声は、①個人が感動する、②それがマスコミを通して拡声し社会の声となる、③達人や目利きの称賛がマスに浸透する、という3つの段階を経て獲得できる。フランクミュラーという高級時計ブランドはまだ20年程度の歴史しかないが、スイスでトップクラスといわれる目利きの時計修理職人が一目置いたことからその名声がつくられてきた。
大学の場合、どのような分野でも良いので、優秀な教授がいる、優秀な仲間や院生が集まる、世界的な研究が行われる、世界の研究者が注目するという循環が、いくつかできることが重要だ。
コーネル大学のホテル経営学部のように、世界のホテル業界が人を派遣、熱心な学生が集まる、熱心な教育が行われる、国に戻って卓越した活躍をする、ということで名声が高まるケースもある。高い教育力がその背景にあるが、ハーバードビジネススクールの名声も同じメカニズムで形成されたものである。
研究や教育という大学の本来的な機能において卓越した能力を発揮し、それをうまく翻訳し、発信しない限り名声を得ることはできない。一方で、方向性を定めようにも、学長が変わるたびに目指す方向が変わったり、内部コミュニケーションが欠如したりという問題もある。会議は多いが、腹を割って自分の大学のことを語る場はほとんどない。学問という産業振興への努力と情熱も欠如している。
ブランドはつくるものではなく、このような努力の積み重ねの結果、できあがるものだと思う。
本質を変えず、新しい提案を発信し続ける活力(河野透氏「私がソニーで学んだこと」要約)
自身の経験を振り返るとブランドをつくるためにやってきたという意識は全くなかった。
ソニーというブランドは1960年代にアメリカで形成され、アメリカという舞台がグローバルメディアとなって世界に広がっていった。ブランドを語る前に、まずスタートポイントがあり、そこから自分達はどこへ行こうとしているかという方向性があり、そして現在は何をすべきか、そういう構造があるはずである。ブランドが突然できた訳ではない。
ソニーのスタートポイントは、創業者の一人である井深大氏がつくった設立趣意書ではないかと思う。①自由闊達にして愉快なる理想工場の建設、②日本再建と文化向上に貢献する、③他社の追随を絶対に許さない、真似をしない、他にないものをつくっていく、という3点に絞ったことで明瞭度が高まったと思う。
もう一人の創業者である盛田昭夫氏は、①発明・発見、技術革新のクリエイティビティ、②その技術をどういうふうに転換させるかというプロダクトプランニングのクリエイティビティ、③マーケットのクリエイティビティ、の3つを掲げた上で、技術が良いだけでは意味がなく、どういう形で人の生活に影響を与えるのかを創造することの重要性を強調した。
ソニーには多様な商品があり、様々な人々が関わることになるが、使って頂くのは一人の顧客だから、ソニーは一つというメッセージを含めて、“One Voice, One Image”という考えに基づき、一人の顧客の視点に立って、一人の顧客に訴えることを重視してきた。
ソニーは世の中にないものを生み出し、新しい市場、とりわけパーソナル市場を創ってきた。そこで求められるのはマーケット・エデュケーションであり、それにより効用が顧客に伝わり、新しいライフスタイルの提供とともに市場が形成されてきた。
メーカーである以上、出発点はプロダクトであり、そのアイデンティティがコーポレートアイデンティティになる。しかしながら、近年はブランド名を隠すと違いが見えなくなってきた。技術が進めば進むほど、エンジニアを含めてあれも言いたいこれも言いたいとなるが、そこがわかりにくさや競争相手と差がつかない原因となる。だからこそ明快なポイントに絞ることが大切である。一つに絞ると確実に伝わる。
スペックだけでなく、信頼、信用、所有満足感も力になる。差別化で最も重要なことは態度が変わるように仕向けることである。応援者になってもらうことも大切だ。
総合点が一位でもブランドは形成できない。かつてのシャープは総合点が高かったにも拘らず、一流とは言われなかったが、液晶でトップになった瞬間、シャープというブランドが意識された。ブランドは優等生とは限らない。“全ての人に好かれるクルマは、誰一人として熱狂させることはできない”という言葉があるが、顧客のニーズは千差万別で多様化しているため、万人向けの製品をつくろうとすれば、製品コンセプトが曖昧になったり、現実的な価格設定になったりしてしまう。そこからの脱却が必要だ。
調査機関やコンサルタントの意見も聞くが、そのような編集された情報以上に、無編集の一次情報を重視してきた。世の中でいわれる正解ではなく、自分達が納得できる解にこだわり、他人に依存するのではなく、自分達自身が考えることにもこだわってきた。
そういう活動に顧客からの共感と期待が寄せられ、ソニーはそれに敬意と感謝を払って、また新しいものに挑戦する。その関係が長期に継続して、ソニーファンを生み、ブランドを成り立たせてきた。変わらぬ本質と新しい提案を発信しつづける活力が、ブランドという形で顧客に認識されてきたと言うこともできる。
ブランドとは経営哲学や経営品質であり、そういうレベルまで行かないとブランドにはならない。
ブランドづくりは思いの強さと深さにかかっている
両氏の話から、企業か大学かの違いを超えた根源的ともいえる事柄が如何に大切であるかが理解できる。
その一つが、驚きと感動である。片平氏はブランドを「顧客の頭の中にある名札のついた幸せの泉」と形容しているが、企業が顧客を驚かせ、感動させようと商品に思いをのせるように、大学も卓越した教育で、学生に驚きと感動を与え、強みを発揮できる分野において、卓越した研究で学会や社会に驚きと感動を与えることが大切である。
二つめは、過剰と持続である。過剰なまでに徹底することと、現状に満足することなく、絶えず新たなことに挑戦し続けることで、卓越性もより確かなものになる。大学数が780校を超える中、多少のことでは個性や特色と言えない時代になってきた。そのような状況で他校にない新たな特色を打ち出すことは容易ではない。他校が同じようにやっていることでも、過剰なまでに徹底し、改善や新
たな試みを繰り返すことで、個性や特色を際立たせることができる。
三つめは、態度変容を促すコミュニケーションである。ただ単に知らせるだけではなく、誰に伝えるのかを明確にした上で、何をどのように伝えれば、その人達の態度・行動を変えることができるかを考え抜き、強い意志と思いをもって、真に効果的な発信になるよう努力を重ねる必要がある。
ブランドと呼ぶか否かは別にして、大学が受験生に選ばれ、社会にその存在価値を示していくために、これらの要素は極めて重要である。問題はそれらを実行し得る能力や活力を大学という組織が有しているかどうかという点である。
経営と教学、教員と職員など、組織体としての一体感の醸成が難しい大学に、そのような能力や活力を持たせるために何が必要なのだろうか。その考え方や方法論については本連載の中で述べてきたので、繰り返さないが、ブランドの意味を考えることを通して、組織のあり方を根本的に見直す必要がある。
最もブランドづくりに成功した日本企業といわれているソニーですら、創業者世代が去り、組織が巨大化して以降、ソニーらしい商品を生み出すことができなくなり、低迷から抜け出せずに苦しんでいる。
大学においても、計画を策定し、PDCAを回し、評価に対応し、情報公開の要請に応える中で、画一化が進み、個性が薄れていくことが危惧される。これらに振り回されるのではなく、受験生や社会の目を自分の大学に向けさせたいという強い思いを持ち続け、そのためにこれらのツールを能動的に使うくらいのしたたかさや攻めの姿勢が必要である。
ブランドづくりの成否はトップや教職員の思いの強さと深さにかかっている。