誰かと関わるとき、その対象との距離感をはかりながら、もっと近づきたいと押しすぎたり、自分なんてと引きすぎたり、ときに間違い、修正しながら人間関係を織りなしていく。
人生とは、その時々で誰かとのちょうどいい距離を見つける作業の連続です。
人生をある程度長い期間生きたなら、もっとも心地いい距離を自分で見つけられる人間でいたいものです。
それが私が思う、成熟した大人のイメージです。
私がご提案したいと思うのは、ほどよく距離を置くという心がけ。
それは、自分の夫や妻、子どもや、嫁、婿に対して。
そしてご近所さんや、長年の友人に対しても。
自分が思っているよりももう半歩だけ、ちょっと距離を置いてみると、いつもより少し、やさしい自分になれるような気がするのです。
近すぎる糸は、もつれます。
多くの人間関係のからまりは、距離が近すぎるがゆえに起きるもの。
私はこれまでの60年余りの弁護士人生で、ありとあらゆる人間関係の「もつれた糸」の交通整理をしてきました。
正しく引っ張りさえすれば簡単にほどける糸、かたい結び目になってしまった糸…。
そのもつれ具合はさまざまですが、からまった糸の中にいるかぎりは、ほどくすべが見つかりません。
でも、からまった場所から一歩引いて、外からそれを見ることができたら、解決の糸口が見つかります。
つまり、自分の身に起きている問題や悩みごとと、ほどよく距離を置くことができたなら、物事は解決に向かう。
「法」という潤滑油を用いて、かたい結び目に見えた糸のもつれをほぐしながら、多くの方の人生の転機にも立ち会わせていただいたことは、私にとって大きな学びとなりました。
湯川氏は本書の中でこう語る。
『詩人の吉野弘さんの「祝婚歌(しゅくこんか)」をご存じでしょうか。
夫婦円満の秘訣が詰まった詩なのですが、生きる指針のようにも思えて、私がとても大切にしている詩です。
なかでも、一番好きな節があります。
「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい」
人間関係のもつれにおいて、正しさの追求は、解決を生みません。
なぜなら、人の心において、正しさは人の数だけ存在し、真実も、その正しさの定規によって、人それぞれ違って見えるからです』
小林正観さんは、家族間の会話には、丁寧な言葉や敬語があったほうがいい、という。
親しくなってくると、丁寧な言葉や敬語はよそよそしいと感じる。
そして、ぞんざいな言葉や、ため口や友達言葉になってくる。
しかし、淡々と長く付き合うには、家族間だけでなく友人間や、会社の中でも、ほどよい距離感が必要だ。
そのほどよい距離を保つ具体的な方法が、丁寧な言葉や敬語。
人間関係において、ほどよい距離感はとても大事。