型にはまった考え方を捨て、新しいものとかかわろうとする人々は、物質的に満たされるだけではなく、自分の仕事のなかに多大な喜びと満足を見出すことができる。
もしあなたがチャンスを待って、言い訳に言い訳を重ねているのなら、いずれは「もう年をとりすぎた」という最後の言い訳にたどり着くであろう。
この世を去るその日まであなたは、世界は自分に背を向けていて、自分の才能はふさわしい評価を得ず、成功した人たちは単に「運」や「まわりの力」に恵まれていただけなのだと考えつづけるであろう。
億万長者とあなたとの間にあるただ一つの差異は、「自身の姿勢」なのだ。
あなたは自分自身にとって、最も質が悪く手ごわい敵になりうるのだ。
「この世のどんな力も、あなた自身ほど、あなたの成長を確実にそして容赦なく妨げることはできはしない」
自分の無限の可能性を理解し、チャンスをつかむことは自分の当然の権利なのだと気づいたなら、ただ前に進めばいい。
1809年、ケンタッキーにある赤ん坊が生まれた。
父親は貧しいうえに、浮浪者であった。
母親は子どもが9歳のときに他界した。
すべてのチャンスは待っているだけではなく、自分で探さなければいけないと言い残して。
父親が反対し、彼は本を読むことも許されなかった。
彼の名はアブラハム・リンカーンといった。
「探せ、さらば見つけられるだろう」という言葉は、人は何であれ、まず探さなければそれを手に入れることはできない、という意味である。
待て、されば訪れるだろうとは意味が違うのである。
◇
『ある父親が息子の通信簿を見て、そのあまりの劣等生ぶりに愕然とした。
父親は息子に法廷弁護士になってもらいたいと考えていたが、校長はその可能性はまったくないと断言した。
少年は落伍者だった。
そう、この人物こそウィンストン・チャーチルである。
彼は法廷弁護士にはならなかった。
ただ英国史上最も偉大な指導者の一人となったのである。
挫折は彼に大志を抱かせた。
奇妙に聞こえるかもしれないが、失敗とは人間を立ち止まらせ、その人生を考えさせ、チャンスを探させる、成功の前兆なのだ。
失敗の数が多いほど、未来の成功への可能性は高くなるのだ』
失敗の数が多いほど、未来の成功への可能性は高くなるのだ』
松下幸之助翁は、「子どもの頃は貧乏で一家離散、 病気がちで体が弱く、学歴もない(小学校中退)人だった。でも、だから成功できた」という。
貧乏、病気がち、無学歴、という3つの困難があった。
並の人間なら、そのうちの一つでもあったら、ペシャンコになってしまう。
それを乗り越えたがゆえに、大きな仕事を成し遂げた。
これは、リンカーンも、チャーチルも同じ。
だからこそ、人はみな、無限のチャンスを持っている。
「失敗とは成功の前兆である」、という言葉を胸に刻みたい。