日々、ニュースを目にするたびに、この国の将来はどうなっていくのだろう、未来を担う若者は、この国を支えるにふさわしい教育をきちんと受けることができているのだろうか等々、とても不安になります。(子どもを持つ親としても)
様々な人が様々な形で献身的に努力されていることは事実なのですが・・・。この国の教育はどこに向かうのでしょうか。
やや辛口の3つの記事をご紹介します。社会、国、親・・・いろんな問題がありそうです。皆さんはどうお感じになりますか?
東京特派員・湯浅博 学力劣化に耐えられず (2008年5月22日 産経新聞)
むかしの寺子屋は「読み書きソロバン」が主力だった。冬のすきま風などものともせず、静座で声を張り上げた。遺憾ながら、いまどきの大学生より洟(はな)垂れ小僧の方がよほど暗算がうまかった。
かつて国際標準を上回っていたわが中学の数学授業時間数はいま、年間105時間で世界最低クラスだ。改定されるとしても200時間のインド、シンガポール、台湾、ベトナムに遠く及ばない。
社会党が騒いで高校が全入になり、いまや大学が全入に近くなった。「教育の普及は浮薄の普及なり」という金言に従えば、やがて国まで危うくする事態がくる。
理工系大学院の修了証をいまの企業人は信じない。学生の中には、交流の電圧が100ボルト、乾電池が1・5ボルトさえ知らない者がいる。微分積分、三角関数どころか、電卓がなければ2ケタのかけ算すらできない。
これは最近、自動車部品メーカーの技術担当役員から聞いた本当の話である。
院生にしてこれだと学部生においてをやである。算数さえ危ういから私学の幾つかは学習塾に教師派遣を依頼して補講をしている。「高校数学」の講座があることが逆に大学の“売り”になっているというから呆(あき)れる。そんな大学の理工系学部はいらないと思うが 「いや、ドングリの背比べ」と聞いて事態の尋常ならざるを知った。
ただ、「ゆとり世代」の学生たちにその責任をすべて転嫁しては気の毒な気もする。高校までの学習内容が3割削減され、学習機会が剥奪(はくだつ)されているのに周囲の冷たい視線にさらされる。
都内のある大学を訪ねると、学生たちが中国人留学生を支援して、四川大地震の災害支援のカンパを募っていた。彼らの正義と誠意を四川にだけでなく、ミャンマーのサイクロン災害にも振り向けてほしいが意欲は買いたい。それでも、理工系の大学院教授の顔つきはさえなかった。
先端技術の講座を持つ主要な大学院では、院生のおよそ半分が中国人留学生に占められているのだという。留学生たちは学業に貪欲(どんよく)だから知識、技術の吸収が早い。彼らが帰国して米国や欧州の留学組に合流すると、世界最強の技術が生み出されることになる。
部品メーカーの役員は、「とくにハイブリッド車や燃料電池車の分野で、日本勢が中国に追い抜かれる日がくる」と危機感を語る。最先端技術であるほど容赦なく、かつ合法的に流出していく。
そんな現状なのに日中首脳会談が開催されると、わが首相は「3000人の中国人留学生を受け入れる」などと安易な約束をする。国の決定に国立大学はいやでも配分を受け入れなければならない。
こうなると、企業も独自防衛に乗り出さざるを得なくなる。入社試験では「人柄重視」「協調性」をやめ、「学力重視」に切り替える。人柄重視は基礎学力があって初めて意味があったからだ。
近ごろは企業が独自の社員向け再教育機関を開設するところが増えている。だが、モノを教えて給料を払う矛盾にいつまで耐えられるのか。桜美林大学の芳沢光雄教授によると、日本企業が自国の学生に見切りをつけ、中国人やベトナム人を大量採用する日だってそう遠くないかもしれない。
教育劣化の特効薬を先の役員に聞くと、「弥縫(びほう)策だけでは役立たない。ゆとり教育の以前に戻せ」と明確だ。お国の教育政策に焦りとともに怒り心頭なのである。
大学に「過保護者」急増 入学式は満杯、就職相談に同伴 (2008年05月24日 朝日新聞)
大学生の入学から授業、進級、就職など、過剰なまでに干渉する「過保護者」が目立っている。大学教職員の多くは、近年に急増したと言う。だが「子離れ不全」として放置できなくなった。大学間の生き残り競争が激しくなる中、各校は保護者サービスにも腐心する。
「子どもはきょう、休むので先生に伝えてください」「板書の字がよく見えないそうだ。善処して」
大都市圏にある私立の9大学に、父母からかかる電話の内容を聞いたところ「過保護な質問や依頼が増えた」と感じる職員が多かった。
そばに学生がいると分かるのに、母親がもっぱら聞く。父親からの電話も多い。
間接的に聞いた教員の冗談を真に受けて抗議したり、学長に改善要求の直訴状を書いたり。父親が学生を伴って就職相談窓口を訪ね、求人票を見て、学生より熱心に質問する姿も目撃されている。
入学式は、どこの大学でも父母で膨らんだ。法政大や東洋大は約1万4千人を収容する日本武道館を使い、「1学生につき保護者2人まで」と制限するのに満杯状態。明治大は今年度から、武道館で午前、午後の2部制にした。
人数制限をしない大学では祖父母や、乳幼児を連れた親類もついて来る。開場の2時間前から並び、ビデオ撮りに便利な場所を目がけて走る親も多いという。
大学選びのオープンキャンパス(体験入学)でも、両親と一緒の受験生が目立ち、中部大や関西大は父母向けのコーナーや説明会を開くようになった。「入試も、以前なら校門で子を見送ったものだが、最近は保護者が帰らない。控室に入り切らなくなる」と、首都圏の大学職員。
「少子化のせい」「子離れできない」というのが、教職員の大方の見方。進学率が上がり、大学が大衆化したためでもあるが、「学生の自立を阻み、指示待ち人間を増やす原因になる」と心配する声が上がる。
過保護な親は米国でも90年代から「ヘリコプター・ペアレント」として注目されるようになった。常に子どもの頭上にいて、何かあればすぐに降りてきて干渉する姿が「ヘリ」としてやゆされる。
だが、保護者の実情に詳しい小野田正利・大阪大教授はこうも言う。「今の保護者には大卒が多く、大学を知っているが故に、いろいろ見聞きしたくなるし、高水準の『顧客満足』を求めたくなる。その思いをある程度、大学側が受けとめる必要もある」
多くの大学は、保護者向けの説明会や交流会を拡充した。立教大は毎年、全国の約20カ所で教育懇談会を実施するうえ、昨年度から首都圏の会合を2回から5回に増やした。学部ごとの説明、教職員との交流に加え、学生の成績表を渡したうえで単位や就職などの個別相談も受け付ける。
明治、法政、立命館、関西の各大学なども同様で、「父母のための就職読本」を配るところも。小規模な関西国際大だと毎年、保護者と教職員の日帰りバス旅行もある。
全学生の単位取得状況や成績表を保護者に郵送する大学は珍しくない。「留年する前になぜ知らせなかった」「単位認定の仕方がおかしい」といった抗議に備え、説明責任を果たす意味もある。
「過保護の親もこの際、大学の味方につけ、就職まで一緒に学生を後押ししてもらう」。ある大学の渉外担当者はこう話す。
教育再生 地に足が着いていないのでは (2008年5月27日 毎日新聞社説)
政府の教育再生懇談会が第1次報告を福田康夫首相に提出した。子供をネットの有害情報から守ることや小学校からの英語教育強化などを掲げている。
「再生懇談会? 教育再生会議ではないの」という方もいるかもしれない。
教育再生会議は06年10月、安倍晋三内閣が教育改革政策の目玉として設け、安倍氏退陣後の今年1月に幕を閉じた。その間3次にわたる報告で「ゆとり教育」の見直しと学力の向上、徳育の充実、教員免許の更新制などを提言した。
その最終報告で、提言項目を促進するための新たな会議を設けるよう求めており、福田内閣が2月末に有識者によって構成、発足させた。それが今回の教育再生懇談会である。
一方で、教育の重要施策を審議し答申する文部科学相の諮問機関・中央教育審議会(中教審)がある。今春告示された新学習指導要領はこの答申に基づいている。これで小学校の5、6年生に英語が導入されることになった。
ところが、再生懇は報告で英語教育について「小学3年生から早期必修化を」と主張し、まず大規模にモデル校を設けるよう求める。先生や保護者は「どうなっているのか」と言いたくもなろう。
ことほどさように、学校教育の基本指針で腰が定まらないような印象を与えては、現場は戸惑う。
近く閣議決定される初の「教育振興基本計画」にもそれはいえる。文科省側と、財政再建優先の財務省側が折り合わず、計画を担保する数値目標は宙に浮いた。
文科省側はあくまで新指導要領に必要という小中学校の教員2万5000人増や、10年間で国の教育支出を国内総生産(GDP)の3・5%から5%へ引き上げることを主張するが、なお確たる見通しはない。
教育に限らず、政策は立案過程と目的がわかりやすく、一連の流れが見えやすくあるべきだ。今のさまざまな教育政策はどうだろうか。どこで何が論じ合われているのかと戸惑う人は少なくないだろう。
確かに、英語教育の抜本的な見直しを論じ合うことは必要だ。子供たちを囲む有害情報の遮断策も、重要な喫緊の課題といえる。これらについて、さまざまな機関で積み重ねられてきた論議も踏まえて重複を避け、もっと整理した形で改革論議や考え方を示し、方向づけていけば、国民の理解は得やすいはずだ。
それでこそ財政上の特別措置にも納得が得られ、当局同士が角突き合わせる不一致ぶりも避けられるのではないか。
私たちは新指導要領の前倒し実施が決まった際も「とる物もとりあえず」で先を急ぐばかりでは子供の学習意欲をそこねる懸念があると指摘した。教育改革論議では常にその戒めに立ち戻らなければならない。