2008年5月20日火曜日

大学経営を支える職員の在り方(4)

これから必要とされる大学職員のあり様については、これまでこの日記の中でも、多くの有識者の方々の示唆に富むご意見等をご紹介してきましたが、このような学びの源泉は今後とも尽きないのではないかと思っています。

なぜならば、有識者の方々の主張は、正しいか誤りかという性格のものではなく、私達大学現場に身を置く者それぞれに課せられた役割や立場、そして目的意識は多様であり、であるが故に、受け取り方、学ぶ内容は人によって異なるからです。

人間は、いかなる環境でも適応する素晴らしい能力を持っていると思いますが、長らく同じ大学にいると、どうしても現状に甘んじ、世の中のタイムリーな情報を確保することを怠るようになり、視野が狭くなり、結果としてモチベーションの維持・向上に努力を払わなくなるきらいがあります。

私はこれからも、様々な主張の中で自分を成長させてくれるものに出会った時には、この日記を通じて自分を奮起させるとともに、その感動を共有していただける方が少なくとも一人はいらっしゃると自分勝手に信じ、ご紹介することを続けていきたいと思っています。

さて、今日は、「日本私立大学協会の教育学術オンライン」に、平成19年2月に掲載された「大学職員のキャリアパスを考える」という寄稿をご紹介します。

これは、日本福祉大学常務理事・学長補佐・執行役員・事務局長であり、大学行政管理学会の会長でもいらっしゃる福島一政氏が書かれたもので、「大学職員にとって必要な資質とは何か」「その必要な資質はどのようにして身につけるのか」「大学は、プロフェッショナルな職員を育てるためにどのようなキャリアパスを用意すべきなのか」などについて言及されています。少々長くなりますが、がまんして読んでいただければ幸いです。

はじめに

大学職員という職業は、昔はあまり知られていなかった。しかしながら一部では、それなりに正確な実務さえこなしていれば世間並み以上の給与が保障される上に、大学という知的で自由な雰囲気の中で働くことの満足感のある「楽な」仕事だと知られていたようだ。

ところが、18歳人口が急激に減少し、「大学冬の時代」になって様相は一変した。2006年度の新入生は4割の大学で定員割れをしていることに示されるように、多くの大学で学費収入は目減りし、かといって学費値上げもままならず、受験生の減少で入学検定料収入も減り、補助金も資産運用収入も増える見通しは立たたない。一方で、よい教育成果を上げようと思えば、教員人件費は増やさざるを得ず、教育研究経費の増加や施設設備への投資は避けられない。そうなるとターゲットにされるのは職員である。新しく開発しなければならない仕事もそれに伴う実務量も飛躍的に増えているにもかかわらず、人員は削減され、実務的な仕事はアウトソーシングされる。しかも給与は上がらず適切な人材養成システムや人事評価制度もなかなか整備されない。加えて、財務や人事、広報や企画といった分野には経験豊富な企業人の採用が多発する事態である。このままでは、国公私立を合わせて約7万人いる大学職員の、現在の大学にふさわしい力量形成が不十分になるばかりか、彼らのモチベーションの低下にもつながってしまうだろう。そうなれば、日本の高等教育機関の危機は一層深まるばかりとなろう。

しかしながら、心ある大学経営者は、職員の能力を開発し、大学経営の一翼を担ってもらうようにしなければならないと強調される。10年前に設立された大学行政管理学会は、全国の大学職員が自ら、自分たちの能力開発をしようと「決起」したものでもある。これらの動向の中で、意欲ある大学職員たちは、同学会などでの実践的な研究活動のほかにも、仕事を続けながら大学院で学んだり、様々なセミナーなどに参加して自らのキャリア形成に涙ぐましい努力を続けている。その多くは「手弁当」とも聞いている。

それぞれの大学は、これらの大学職員の意欲に応え、経営・行政・教学の全ての領域で責任を果たすことができるよう、そして大多数の大学職員が自律的な意欲が持てるよう大学としてのキャリアパスを検討することが必要だと考える。

大学職員にとって必要な資質

今の時代の高等教育を取り巻く情勢を変革の視点で見てみると、単に18歳人口が減少するから「改革」をするわけではない。

第一に、いわゆる大学の「大衆化」である。大学・短大進学率が50%を超えるとどのような事態になるか。「大学生の学力の低下」などというレベルではなく、低学力の学生が一定程度存在することになる。さらには、学習意欲に乏しい学生も相当程度存在するということである。特に、学習意欲に乏しい学生には、教員だけではとても対応しきれない。学びの体系としての正規のカリキュラムのプランニングはもとより、その体系を実際に学生たちが効果的に学ぶことを支援するための、「ヒドゥン(隠れた)カリキュラム」たる入学前教育・初年次教育・全学共通教育・教養教育体系・キャリア開発体系・正課外活動・学習支援体系・環境整備等のプランニングも教員と協働できるようになる必要があろう。それらを実効あるものとしてプランニングするためには、学生の学習到達度や満足度を測る手法の力量も求められよう。一方では、意欲も学力もある学生たちの力量をさらにつけさせるプログラムのプランニングもできるようにならなければならない。いわば、職員の「教育マネジメント」能力が求められるようになる。

第二に、多様な社会連携の展開である。大学間連携、学・産・官連携、地域連携、国際連携などである。「大学コンソーシアム京都」に代表される大学間連携の取組は、全国各地で行われている。「競争」ばかりを強調するのではなく、自立した大学同士の「強み」を生かした「連携」によって、日本の高等教育を発展させるべきであろう。節度を持った新産業の開発や技術開発のために産業界との連携も必要である。まちやむらづくり、地域経済の発展のために自治体や企業との連携も必要であろう。COEなどを契機とした世界レベルでの研究や人材育成では、国外の大学との新しい共同も必要となっている。これらの事業もまた教員だけではできない。連携プログラムのプランニングからコーディネート、日常的なコミュニケーションなど職員がやらなければならないことはいくらでもある。

第三に、本格的な生涯学習社会への対応である。これからの時代、昔のような高度経済成長は望めない。人々の「幸福度」が経済的な指標だけで得られないとすれば、より満足のいく人生を送るために多様な学習意欲が湧き上がってくるのは自然であろう。大学は、それらに応えるために、「いつでも、どこでも、学びたいときに学ぶことができる」プログラムを準備する責任があると考える。この事業も教員だけではできない。需要のある分野を正確に判断することができたり、新しい分野のニーズを掘り起こすことのできるマーケティングの手法も必要となる。「いつでも、どこでも、学びたいときに」に応えることのできる条件を常に改善・開発していくことも求められるだろう。

以上の3点だけを見ても、大学は変わらなければならないのだと考えている。決して18歳人口が減るから、その対策として「改革」しなければならないわけではない。

この3点以外にも職員は、経営の基盤たる財務や人事、企画、環境整備などといった分野での専門的な力量が必要となっている。それを支えるのが、幅広い教養とそれに裏打ちされた科学的な世界観や教育観、コミュニケーション力、戦略的思考、リサーチ力、正確な実務力などといった資質であろうと考えている。これらの資質を身に着けるためにはどのようにしたらよいのであろうか。

必要な資質をどのように身に着けるか

大まかにいって3段階に分けられるであろう。

その第一は、基本的には個人としての自律的な努力で身に着けるべきことである。先述した、幅広い教養とそれに裏打ちされた科学的な世界観や教育観、コミュニケーション力、戦略的思考、リサーチ力、正確な実務力などである。幅広い教養などは、大学で仕事をする以上至極当たりまえのことである。単に知識が豊富であるということではなく、現代社会を生きるうえで必要な歴史観、宗教観、文化観、倫理観などを身に着けていなければならないし、人権を尊重する姿勢が確固たるものでなくてはならない。人間の自主性を損なうような教育観を持っているようでは論外である。これらは、日頃の自己研鑽によって身に着けることが基本だろう。多くの学生と接し、教職員と協働して教育活動を行い、社会連携事業や生涯学習事業を展開しようとすれば、コミュニケーション能力(単に外国語を話すことができることにとどまらない)がそれなりに高くなければ思うような仕事はできない。また、大学職員の仕事は、問題を解釈することよりは、問題を解決することに重心があると思うが、そうであれば、簿記の手法、情報通信手段を的確に扱える力、論理的思考など正確な実務力が無くては話にならない。これからの大学職員が実務家としてだけでなく、さらにプロフェッショナルな存在を目指そうとすれば、戦略的思考やリサーチ力はその基礎となる資質である。これらは最初から十分な力を持つことは無理であろうが、少なくとも基本的な力は身に着けておきたいものである。実際の業務を通してあるいは研修の機会をつくってブラッシュアップしていくことになろう。

第二に、大学の計画的な職員の人事異動で、若いうちに複数の部門を3年くらいずつ経験できるようにすることである。経営部門(財務、人事、企画、事業等)、教学部門(教育、研究、社会連携、生涯学習等)、行政管理部門(総務、学長室等)などの業務を実際に担う中で、該当分野の専門性がある程度理解できるようになるし、自分自身の関心の度合いや適性なども一定程度わかってくるだろう。できれば、この3部門全部を経験できるようにすることが望ましい。

第三に、業務管理の中に「目標による管理のマネジメント手法」の考え方をその大学に適したシステムとして組み込むことである。この中で戦略的プランニングとその実現のためのマネジメント手法を実践的に身につけることができるようにしたい。重要なのは、実現へのマネジメントができる力量を身につけることである。いくら立派なプランニングができてもそれが実現しなければ、何もやっていないに等しいからである。従って、その仕事の結果が処遇に結びつく人事評価制度につなげる。大学の戦略や政策のどこをその職員が担っているのか意識できて、正当な評価がされるようであれば、職員のモチベーションは精神論でない使命感に結びつくだろう。ただ、処遇に結びついた人事評価制度はデリケートな問題も含むので、職員の業務体系全体の中で検討した上で、職員全体が議論に参加し、その多くが納得できる制度を目指すべきである。人事評価制度の提案は、人事部局の責任において行うのは当然だが、もとより完璧な人事評価制度など無いのだから、最初から完璧を目指すのでなく、基本的考え方とある程度の仕組みが出来上がったら実施に移し、問題点が明らかになってきたら改善していけばよいだろう。その全過程で、職員全体の英知を発揮してもらい自らを律する制度をつくりあげるべきである。この議論のプロセスもまた、大学職員としてのセルフガバメントの意識を成長させることになる。理事会の決定だけで上から押し付けることをすれば、その絶好の機会を失い、職員の自律的な成長につなげることができないのは明らかである。多少時間がかかっても、粘り強く、職員たち自身でそのような取り組みができるように仕向けるべきであろう。

以上のことを通して、全学的な状況が把握でき、単に実務処理だけでない業務ができるようになってくれば、一人ひとりの職員の関心の強い分野や得意分野、特技・特性を生かした領域への配置が考えられるようになるだろうし、その領域のプロフェッショナルとしての成長を促すことも比較的容易になろう。従って、以上の3点が、大学職員にとって必要な資質を身につける必要条件だと考える。

キャリアパス多様化を可能にするには

上述したことを前提とすれば、ここから先の職員のキャリアパスは、その大学の状況に見合う、組織的で多様なものにすべきであろう。

これまでのように課長や部長などのポストにつけるキャリアパスだけでは、先述した大学の役割の発展を支える職員を数多く成長させることはできない。大学は、理論と豊富な実践経験を積んだ「骨太」のプロフェッショナルな職員を育てるためにどのようなキャリアパスを準備すべきなのだろうか。

第一に、職員の専門性を求められる必要なレベルまで高めるためには、専門職あるいはプロフェッショナル職のような制度設計が必要であろう。例えば、教育の分野では、フィールドワークのコーディネートやマネジメントのできる職員である。フィールドワークの重要性が分かっていても、フィールド教育をやったことのない教員が多い中では、そのような専門的力量を持った職員がいなければ実現は覚束ない。また、eラーニングを実際の教育手段として有効に活用しようと思えば、インストラクショナル・デザインのできる職員も必要である。パソコンの画面上での講義を学生たちに最も有効に理解してもらう「演出」の専門人材である。さらには、多様化し、複雑化している学生の学習や生活相談に応じ、自立支援を促すために、学生生活支援ソーシャルワーカーも必要だろう。教育企画やその運営といった教育マネジメントのできる専門的力量を持った人材も必要である。

研究の分野では、産業界や官庁・自治体あるいは国際的な関係の研究コーディネートや知財マネジメントのできる専門人材が必要である。

経営や管理の分野では、戦略プランニングのできる専門的力量が求められ、マーケティングやインスティテューショナル・リサーチのできる専門人材も必要となる。現代の大学に要請されている課題を解決するためには、常に新しい事業展開も構想するから、学生満足度の測定を始めとして、現状評価が常時的確に行われていなくてはならないし、環境評価が客観的にできなければならないからである。また、USRや情報保護・リスク管理を含む法務の専門人材、ユニバーサルデザインや環境問題を含むファシリティマネジメントの専門人材も必要である。

以上いくつかの具体例を挙げたが、これ以外にももちろんたくさんある。問題は、大学が、これらの専門職員の大学業務全体での位置づけと処遇を準備しておくことである。そうでなければ、数多くの職員の成長を促すキャリアパスにならないだろう。

第二に、従来からある課長や部長などのポストに加え、法人の理事などの役員として登用することである。データがあるわけではないので正確にはわからないが、10年ほど以前に比べれば、多くの大学で職員の役員登用はすすんでいるように思う。しかしながら、職員が培ってきた能力をフルに生かして経営責任を果たせるようにするには、まだまだ不十分ではないかと考えている。また、大学や学部の行政管理の領域でも、副学長や学長補佐あるいは副学部長や学部長補佐といった、学長や学部長を補佐してマネジメントの責任を果たすことのできるポストの準備もすべきである。国立大学法人などでは職員が副学長に任命されるのは普通に行われているが、私立大学は、まだそれほど多くはない。大学や学部の行政管理を安定にするために、職員の大いなる成長を促すことは必要不可欠であろう。

この場合に留意することがある。それは、このようなポストに就任すると、それを「地位」と受け止めて権限を振りかざしたり、守りの姿勢になってしまったりする人間もいるということである。このようなポストは、あくまでも「機能」であって、その役割を果たせなかったり、戦略展開によっては他の人間に担ってもらうほうがよい場合もある。そのような場合は、別の役割すなわちプロフェッショナル職としての活躍の場を設けるべきである。

上記のようなキャリアパスを設定したときには、第1番目に記述したプロフェッショナル職員として成長する場合もあるだろうし、複数の専門的力量を持った人材として第2番目に記述した管理職やアドミニストレーターになる場合もあるだろう。

もう一つ、職員のキャリアパスをより確かで高度にするためには、大学として様々なレベルの研修制度を設けたり、自己啓発の支援を行うべきである。大学院進学、高度な資格取得支援、大学行政管理学会などで実践的な研究をする中での「他流試合」の奨励等々職員のチャレンジ精神を育てる制度を多くの大学で作ってほしいものである。

現代の大学に課せられた、困難で多くの課題を解決していくためには、実務だけでなく、先に示した専門的な力量を持った職員をどれだけ大量に養成できるかにかかっている。そのためには、大学は、職員が展望を持って成長できるキャリアパスを早急に準備すべきと考える。大学として、職員たち自身がどうしたいのか、職員たちに問いかけることもしてほしい。

おわりに

最近、エンプロイアビリティという言葉を時々聞く。要するに、大学職員としての能力が、学内だけでなく大学の外でも通用するあるいは必要とされるということである。実務しかできないというのであればそれはなかなか難しいであろうが、ここで述べたような形で職員がその能力を身に着けることができれば、自ずとそうなるだろう。ただ、間違っても、外部で通用するために力を磨く、という発想にはならないでほしいと思っている。大学で通用しないものが外部で通用するわけがないからである。もう一点補足すれば、そのような能力を身に着ければ、定年退職後に地域社会などでも重要な役割を担うようになるだろう。コミュニケーション能力にたけ、教養豊かでマネジメントのできるプロフェッショナルな人材というのはそれほど多くはないからである。実例は身近にある。退職した有能な職員だった方が今、どういうことをやられているのか聞かれるとよいと思う。大学の内部で的確に組み込まれたキャリアパスによって成長した職員は、退職後の人生を豊かに送ることのできる条件の一つを自然に身に着けることになるはずである。