2008年5月18日日曜日

大学経営を支える職員の在り方(2)

今回は、大学経営人材(アドミニストレーター)の養成に関する卓越した知見をお持ちであり、多くの著書、寄稿、あるいは、現在、放送大学大学院「大学のマネジメント」を通じ、私達大学関係者に多くの示唆を与えてくださっている広島大学の山本眞一氏が書かれた「職員論の今後の課題」(2008.5.12 文部科学教育通信 No195)をご紹介したいと思います。

今回は、「職員の職位・役割に応じた職務能力の向上」「教員と職員の協働」「大学の公益的役割の再認識」の必要性等について指摘されています。

職員論の今後の課題 (広島大学 教授・高等教育研究センター長 山本眞一)

さまざまな立場からの職員論

大学改革の進行や大学経営の複雑高度化に伴い、大学経営を担う人材そしてその役割を果たすべき「職員」の在り方について、最近その議論が活発化してきた。そのような中で出たIDE2008年4月号の特集「これからの大学職員」*1 *2は注目される。実は私自身も編集部の依頼により寄稿したのだが、私以外に12名もの執筆者があり、さまざまな立場・観点からこれからの大学職員のことを書いている。

東大の金子元久氏は、ヨーロッパの大学における職員の起源を紹介し、かつ日米比較の観点から、日本の大学における教員出身の管理職の専門職化は米国に比べて未発達で、教員以外の幹部職員の管理運営上の影響力は大きいという注目すべき論点を提示し、法政大学元総長の清成忠男氏は、学校法人を取り巻く厳しい経営環境の中で、経営力を強化するために職員力を高める必要があることを強調している。

前東大理事の上杉道世氏は「トータルプランで職員を変える」として、各大学の実情に合ったやり方を作り出し、全体として整合性を持って実施することの大切さを訴え、人事、組織、業務の改革とともに、誇りある大学職員となるべきことを提示している。立命館大学副総長の本間政雄氏は、昨今の大学を取り巻く諸情勢を述べ、状況の打開に向けてトップ人材の養成・確保、経営・教学改革を支える大学職員の育成の重要性を主張している。

早稲田大学名誉教授の藤田幸男氏は、日本私立大学連盟が実施するアドミニストレーター研修を例に挙げつつ、優秀な職員の養成の重要性を強調し、日本学術振興会理事の村田直樹氏は、前任地で事務局長として自ら関与した「横浜国立大学職員塾」の試みを紹介している。京都大学教育推進部長の里見朋香氏は、前任地である東京大学で経験した驚きを「大学の自治は教員の自治」、「事務からは言えません」など分かりやすい言葉で表現し、大学事務職員が抱える問題点をズバリと指摘し、大学行政学会会長で中央大学職員の横田利久氏は、この学会の現況を紹介する中で、プロフェッショナルとしての大学行政管理職員(アドミニストレーター)の確立に向けての努力と今後の抱負を述べている。

さらに、日本福祉大学理事の篠田道夫氏は、私立大学に必要な経営戦略の確立とその戦略遂行を担う職員の役割の重要性に鑑み、職員の力量形成のためのシステムを構築し、また持続的な改革を担うための現場責任者の重要性に言及している。トヨタの例を引いて、部下の仕事のチェックばかりの「赤エンピツ」型ではなく、実践型の管理者つまり「黒エンピツ」型の管理者が必要だとしているところは大学事務体制の本質を見抜いていて、大変参考になる。文部科学省の久保公人氏は、「大学の人事政策」として、国立大学における法人化前と後での変化を解説するとともに公私立大学の職員人事や国公私立大学全体の今後の人事について述べ、桜美林大学教授の舘昭氏は、「教員」「職員」という用語区分が持つ問題点や、米国における「プロフェショナル職員」の中には、経営・管理職員だけではなく、教育研究に当たる教員も含まれていることを指摘している。最後に、東京大学大学院生の山岸直司氏は「データに見る大学職員」として、学校基本調査のデータを使って、国公私立別にここ30数年間の趨勢を分析している。

大学の管理・運営は誰の手で?

以上、執筆者の論調をごく概括的に紹介したが、そこから浮かび上がってくる課題をいくつか指摘しておきたい。第一に、大学は誰によって管理・運営あるいは経営されるのかという点である。この点に関して、従来のような教授会一点張りではなく学長やそれを支える管理職の役割が大きくなってきていることは、多くの論者の一致するところであろう。里見氏の「大学の自治は教員の自治」という観察は、私もかつて経験したことであり、このことは、大学経営を巡る環境変化の中で見直しを迫られていることは確かである。ただし、教員あるいは教授会の自治に代わるべきものは何かとなると、必ずしも論者の意識は一致を見ていない。それは職員が大学経営改革の中でどの部分に関わるのかという視点の違いとも関わるものである。その点で、清成氏が「職員と役員との間には飛躍がある」として、職員をアドミニストレーターとして育成することについては検討されているのに対し役員の育成システムについては本格的に検討されていないと指摘していることや、金子氏が米国の大学では教員出身の管理職が大きな役割を果たしていると述べている点が、参考になるだろう。

つまり、これからの大学の経営の中核を担うのは、役員あるいは管理職であって、職員はそれらへ上昇異動すべき候補者の一部だがすべてではない、ということを再確認しておかないと、これからさらに発展させるべき職員論が不自然な方向に曲がっていく恐れがあるのだ。もちろん、このことは職員が現状でよいという意味では決してない。職員はそれぞれの職位や役割に応じた高度な職務遂行能力が必要であり、またそのような職務にふさわしい位置付けが大学内に与えられなければならないことは当然のことである。

教員と協働できる目標の共有を

第二に、大学の使命つまり教育研究を通じた社会貢献を果たすには、教員と職員がこれにどのように関わるのが適当かということである。これまでの職員は大学内においては「教員の補助者」として見られることが多く、この点に大きな問題点があったと言われている。これは今回のIDEの特集でも多くの論者が指摘するところであり、私もこの点はまったく同意である。しかし、職員の仕事が教員の仕事と全く無関係に成り立つ分野は意外と少ないのではないだろうか。総務や財務などは、一見教育研究とは関係のなさそうに見られているかもしれないが、実際には、教育研究機関としての大学が円滑に運営される手段としての業務分野と考えなければならない。大学の事務分野として見た場合にも、総務や財務が教務や学生支援に比べて上であるという考えには私は反対である。逆に言うと、教務や学生支援に関わる事務分野も、教員の下支えというよりは、教員と職員が教務あるいは学生支援という目標を共有しつつ、お互いに協力し合いながら進める業務と見なければならない。教員と職員の協働とはそのようなものなのである。

第三に、大学の役割に関わる基本的な考え方である。職員論が活発になる中で、大学における「経営マインド」の醸成が近頃の流行になりつつある。そして、その経営マインドに乗りやすいのは、教育研究活動の中身から離れることのできない教員よりも、これまでその周辺に位置づけられていた職員の方であるのは疑いがない。しかし、昨今マスコミを賑わす各大学の改革実践の中には、大学の経営のため、あるいは収入増のための実践という側面が強すぎて、教育研究を核とした社会貢献という重要な観点が抜けているのではないかと思われるものがある。大学というものは、その経営がもっとも進化していると考えられている米国でも、非営利の機関扱いされているものが大多数であって、つまりは公益のための機関なのである。この点を忘れて突っ走ると、やがて国民の支持を失い、かつ大学の経営も何らかの壁に突き当たって、結果として行政の過大な介入を招く元凶となりかねない。したがって、大学職員は、大学の役員や教員と一体となりつつ、この大学の公益的役割について今一度しっかりと考えることが大事ではないだろうか。


*1:タイトル・執筆者紹介:「大学職員の展望」金子元久、「これからの大学職員」山本眞一、「私学経営と職員」清成忠男、「トータルプランで職員を変える」上杉道世、「マネジメントの課題と新たな職員像」本間政雄、「職員の育成-私大連の試み」藤田幸男、「横浜国大職員塾の試み」村田直樹、「『体験的』大学職員論」里見朋香、「大学行政管理学会と職員」横田利久、「私立大学の職員像」篠田道夫、「大学の人事政策」久保公人、「大学職員論」舘昭、「データに見る大学職員」山岸直司