採用時の研修を終え、仕事に慣れることに大変な日々を過ごしているようです。
国立大学が法人化して5年目に入りましたが、最近では、大学職員への就職希望者も多く国立大学法人採用試験の競争倍率も高くなっているようです。
確かに、最近採用された皆さんのスキルとやる気は、国立大学の将来を託すにふさわしい潜在能力の高さを感じさせてくれますし今後の成長がとても楽しみです。
しかし、一方で、これまでの経験から申し上げれば、社会の常識との乖離が甚だしく、極めて閉鎖的、独善的な大学の体質、その体質に年齢を重ねるにつれどっぷりとつかり、いわゆる「ゆでがえる」になってしまっている役人的事務職員が少なくなく、そういった上司や先輩を見て育ち、次第に初心を忘れモチベーションを維持できなくなる多くの若い職員を見てきたことも事実です。
そういった人達を限りなく少なくしていくためには、まず、彼らの上司や先輩に当たる管理職員の部下を育てる能力を徹底的に鍛え、OJTを通じて将来を担う職員を成長させていくことが必要です。その上で、社会や時代のニーズ、大学の経営戦略に沿った効果的な研修をPDCAのサイクルで回していくことが必要になってきます。
最近では、大学経営における職員の役割の重要性や在り方が問われ、見直されつつありますし、効果的なSDの研究も進められています。
今日は、今から2年ほど前に、現職の大学職員(北陸先端科学技術大学院大学企画課法規係長(当時)林透 氏)が、これからの国立大学職員の研修の在り方について書かれた考察(国立大学マネジメント APR 2006 / Vol.2. No1掲載)を抜粋してご紹介したいと思います。
はじめに
2004年度の法人化以降、国立大学法人を取り巻く環境は大きく変動しつつあり、各法人が独自性を打ち出すための施策が徐々にではあるが、目に見える形で現れつつある。しかし、職員(事務職員)の在り方については、旧態依然のところが多く、未だ積極的な改善が行われているとは言えない。国立大学マネジメント研究会設立に際し、2005年8月15日付け日経新聞に掲載された本間政雄京都大学理事(当時)の言葉は非常に印象的である。
- 教学に関する教員の高い識見と事務職員の大学経営に関する専門性が車の両輪のようにかみ合ってこそ大学は動くし、改革が進む。
- しかし現状は、幹部職員には国家公務員時代の前例踏襲主義が色濃く残り、仕事ぶりにコスト意識とスピード感が欠けている場合が多いし、若手・中堅職員にも使命感や目的意識があまり感じられない。
職員の役割が、厳しさを増す大学経営において必要不可欠であることは間違いなく、そのことを学内ばかりか、学外においても認識される努力を我々職員自身が行っていかなければならない。
これからの職員研修制度
考えなければならないのは、だだ単に研修のメニューを充実したり、内容を見直したりするだけでは解決できない問題があるということである。それは、各国立大学法人において、職員研修をいかに捉えるか、個々の職員がいかに取り組むかが最大のポイントであり、そのことを認識させる仕掛けづくりが必要不可欠である。
法人化前においては、職員の研修への派遣についても、年功序列的に決定する傾向が強く、派遣される職員の研修に対するモチベーションも決して高くはなく、多分に強制的要素が強かった。そのため、事務局組織においても、研修による成果というものに一定以上の期待を抱くことがなかったとも言えよう。それは、研修そのものの実施目的にも関連することであるが、多くの研修が公務員としての意識を高め、平均的な能力の享受を目的にしていたためである。
職員研修に係る考え方として、早稲田大学の井原徹氏が「大学改革の職員の能力開発」という論考の中で述べているように、職員の自主性に基づくスキルアップを奨励する環境を築き上げることが必要である。民間企業においても同様なように、21世紀の高度情報化社会において、各法人がきめ細かい職員育成のためのプログラムを提供することは非常に困難となっている。時代のニーズに柔軟に対応するため、職員が比較的自由に自己鍛錬を行い、その行為を支援し、かつ、評価するシステムが求められている。
公務員制度を踏襲する現状において、職員育成の観点から改善すべき事項として、目標管理や人事考課の制度を確立する必要がある。先に触れたように、従来の職員研修制度は、極端な言い方をすれば、水準以上の能力開発を必要としていなかった。そのため、職員管理において、職員育成とキャリアパスとの関連性が非常に希薄であった。しかし、法人化後において、多種多様な人材の育成が求められている中で、職員育成における目的意識やその後の評価が伴わなければ全く無意味なものとなってしまうだろう。
まとめ
児童・生徒の教育の在り方には答えがなく、「受験戦争」「ゆとり」「学力低下」というキーワードで論争すると尽きないものである。人材の育成について、一つの尺度で考えることは難しく、時代に応じて変化を余儀なくされるものである。そのことは、組識における職員育成を考える場合にも同じことが言えるのではないだろうか。大学を取り巻く環境は時々刻々と変わっており、それに対応するために職員に求められる力量も著しく変化してきている。職員育成のための研修のメニューを最低限用意することは義務と思われるが、それ以上のものは、職員個々の取り組みにかかっていると思われる。
バブル崩壊後、大手企業は自前で抱えていた研修所を手放し、自前の研修プログラムで職員を育成することにカを注がなくなった、注げなくなったと言われる。その反動からか、民間企業の職員の中には、自前で大学院などに通い、スキルアップに努めている者も相当数いると聞く。私立大学の職員の一部には、大学経営の危機感からか、自己学習欲に燃える職員がいる。国立大学法人職員にあっても、自己を磨き、組織に役立とうとする気概が必要であろう。厳しい時代の大学経営に役立つ人材を育成するには、職員の自主性を育むことが重要なキーワードになろう。