2011年1月18日火曜日

危機感のない大学は社会から支援されない

大学人は、大学を取り巻く厳しい環境や、社会からの期待や要請を迅速かつ的確に捉え、教育研究機関としての社会的責任と公共的使命を自覚し、社会の信頼を確保することに努める必要があります。

そのためには、危機意識を持ち、社会の常識との乖離が生じないよう、常に自身への問いかけを怠らないようにしなければなりません。

論考紹介が続いておりますが、今回は、筑波大学大学研究センター長・大学院ビジネス科学研究科教授の吉武博通さんが、リクルートカレッジマネジメントNo166に寄稿された「大学の危機と経営人材の養成」を抜粋してご紹介します。


現状を大学の危機ととらえて変革の好機とすべき


大学を取り巻く財政環境が一段と厳しさを増してきたことは明らかである。国立大学は法人化したとはいえ国の財政状況は全86大学の経営に直結する共通問題である。悪化の一途の地方財政が公立大学をどこまで支えられるのかという問題もある。私立大学も既に半数近くが赤字経営を余儀なくされている。

入り口についても定員割れの大学が増え続け、学力の低下にも歯止めがかかっていないと言われている。そのようななかで2010年10月1日時点での就職率が過去最低を記録するなど、大学の出口も深刻な問題を抱えるようになってきた。

研究面では研究に専念できる時間が減り、我が国の発表論文数が減少傾向にあるとの指摘もなされている。大学が統廃合を余儀なくされ大学教員市場の縮小が進めば、研究者の育成やキャリア形成がさらに困難をきわめることも危惧される。

大学ごとに事情は大きく異なるものの、多くの大学が、あるいは日本の大学システム自体が、危機と呼ぶべき状況にあると認識すべきではなかろうか。


危機克服に向けた本気度が社会的合意の形成を促す

トップから現場の従業員にいたるまで情報や認識が共有されやすい組織である点も日本企業の特徴だろう。さらに、株式公開会社の場合、四半期毎に決算が開示され、社内外に経営状態の変化が知れ渡る。経営の安全性を示す指標や目安も広く共有されており、危機のシグナルが認識されやすいと言える。

それに対して、大学経営を取り巻く環境は総じて緩やかに変化する。18歳人口の減少や国・地方の財政状況の悪化などは見通せる変化であるにもかからず、深刻な経営状態に置かれない限り、危機はリアリティをもって認識されにくい。

高等教育に対する公財政支出の少なさをGDP比で示してみても、有力大学の学長やノーベル賞受賞者がメッセージを発しても、血の滲むような経営努力を重ねてきた企業関係者を含めて、社会の大学を見る目に冷めた面があるのもわからないではない。大学から危機感とそれを克服しようとする本気度や気迫が伝わってこない。そのことが、大学を支えようという社会的合意の形成を困難にしているように思われる。

家計を切り詰めてでも教育費を捻出し、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還に胸を熱くする国民は、教育や科学の価値を理解しており大学という機関や教育研究に対する期待や敬意を有しているはずである。

必要なことは、それらの期待や敬意を、大学の教育研究と経営に対する、より確かな信頼に繋げ、前述の社会的合意の形成を促していくことである。

そのためには、興味・関心を無限に広げることのできる知の共同体としての基本的性格を尊重したうえで、知の経営体にふさわしい体制・運営を確立し、その姿を学内外に広く示していく必要がある。


資源制約と取捨選択があるから経営力は鍛えられる

右肩上がりの進学率と公財政支出の増に依存しつつ、供給側の論理で組織・定員の拡大を続けるだけでは、人材・施設・資金といった経営資源を効率的に活用し、事業の取捨選択をしながら、顧客価値や社会的要請の実現を進めていくという経営本来の姿は脇に追いやられてしまう。経営資源の制約があるから効率性を追求するようになり、取捨選択があるから真の議論や葛藤を通じて組織も個人も成長することができる。

大学のトップマネジメントには、概念的・抽象的な次元だけでなく、大学を取り巻く環境を具体的・客観的な事実として見つめ直すことが求められているのではなかろうか。世界・日本・地域で進む構造変化、産業・医療・福祉・教育・行政などの課題、学術・文化の動向などを洞察したうえで、長期的視野に立って自校の立ち位置を確認し、それを自らの言葉で学内外に訴えていかなければならない。自らの世界観・社会観・歴史観・学問観・人間観を土台に、考え抜いた結果としての大学の将来像を示せば、広く学内外の共感を得ることができるであろう。

もう一つ大切なことは、トップマネジメントを支え、大学の実務を担うとともに、将来の大学経営の担い手たり得る人材を育成することである。危機は人材育成の最大の好機である。解決すべき課題に事欠かないし、総じて難度も高い。一人で処理できることは限られるためにチームで取り組む機会も増えてくる。ゼロベースでの発想や新たなものを作り上げる力も養われる。

国公私立を問わず、今の大学にはその期待にこたえるだけのポテンシャルや意欲をもった大学職員が数多くいる。学長・理事長、副学長・理事、部局長・事務局長などのマネジメント層がそれぞれの立場で大きな方向を示し、場を与えエンカレッジすれば、危機を乗り越えるために努力を惜しまない職員たちがごく身近にいるのである。

ただ、多くの職員にとって、自分で問題を設定し、解決策を考え、関係者を巻き込みながら実現していくというプロセスは未経験であり、そのような経験を有する上司や先輩職員も周囲にいないといったケースが少なくない。

組織行動論では、学習のプロセスには形成とモデリングの2つがあり、試行錯誤に代表される形成がゆっくりと進むのに対して、模範に合わせて行動をとるモデリングは複雑な行動の変化をすばやく起こせる、と教えている。危機を好機として、課題解決の場を与えたとしても、模範がある場合とない場合とで解決のスピードや成果に大きな差が生じる可能性が高い。


育成環境整備のために構造的課題の解決が不可欠

このプログラム*1を通して考えたことをいくつか述べてみたい。

一つ目は、大学間で職員の育成環境に差があるのではないかという点である。大規模な私立大学は比較的環境が整っているのに対して、中小規模の私立大学や国公立大学の育成環境にはさらなる工夫の余地がありそうである。ここでいう育成環境とは、配置・異動・処遇、担当職務、職場環境、研修体系などを含む総合的な環境を指すが、中小規模校では当該業務を担当するのが自分三人で、指導や助言も受けにくいといった例も少なくない。

二つ目は、上位者や年長者の姿勢、彼らへの信頼の程度が、職員のモチベーションを左右するという点である。受講生が職場環境を詳しく語ることもないし、こちらからも立ち入ることはしないが、上位者との信頼関係が強いほど、仕事や本プログラムへの取り組みに積極性が表れるように思われる。

三つ目は、担当業務を理解していても、周辺業務や自分の大学の全体状況についての理解が不十分ということである。日本の大学の置かれている状況、自校の全体状況、そのなかで周辺業務との関係を含めて自身の担当業務を理解する。そのような基本的姿勢を身につけておくべきである。

四つ目は、大学の方針で実施された施策の背景や目的がわからず、戸惑うことが少なくないことである。例えば、自分が所属する部門の業務の一部が外部委託されたがなぜなのか、業務実態を踏まえたうえでの判断なのだろうか、といったケースである。これは一例であるが、大学の方針がその考え方まで含めて十分には伝わりにくい状況があるように思われる。

五つ目は、教授会や教員との関係である。教員・職員が協働で事に当たる事例も着実に増えているようであるが、教員以上に学生の視点に立った改善案を考えているのに、教員サイドに理解してもらえるかどうか分からないという声を依然として聞く。大学や学部間で差もあろうが、職員が主体的にかかわり判断する領域を大胆に増やしても良いように思う。


トップ・職員間の対話とチームによる施策検討

大学の現状を危機と認識した場合、危機を克服した企業のように、大学トップには現場を回り、構成員と向き合い、大学の現状や向かうべき方向を誠実に語ってほしい。特に、職員との対話に時間を費やしてもらいたい。

そのうえで、大学の将来のために真に必要な施策について、施策ごとにチームを作って実行可能なブランとなるまで検討させてみてはどうだろうか。日常業務は効率化して7割の時間で処理し、3割はチームの活動にあてる。役職・年代・部門を超えてチームを編成することで、職員同士の相互理解も深まり、新たな個性や能力の発見もできる。

繰り返しになるが、危機こそ人材育成の好機である。危機の克服を通して経営力を格段に高めることが高等教育の未来のために不可欠であると思う。


*1:筑波大学大学研究センターが、2008年9月から実施している「大学マネジメント人材養成プログラム」