何のための大学改革?
最後の講演者は、朝日新聞専門記者の山上浩二郎氏である。同氏は「近年の大学改革をどうみるか」という題で、中教審答申と大学改革実行プランを中心として、ジャーナリストの目から見た考えを述べた。今回の答申をとりまとめた中教審大学教育部会では、テーマ探しに苦労した結果、当初の「大学の機能別分化」の議論から「大学教育改革」へ移っていったこと、答申内容は三月の審議まとめよりも内容が薄まった印象があるが、大学や教員側の問題よりも学生の責任に向けられてはいないか、大学改革実行プランについては、近年の大学改革が財務省による財政問題に主導されているように、文科省自身が外圧の中にあること、打開のためには財政を増やすことや教育の密度を濃くすることが大事で、今の大学改革がどこを向いているのかという観点から今一度の整理が必要であること、など外部の人間だからこその直言が聞けた。
四つの講演を受けた後は、分科会に分かれて夜遅くまで参加者の間で議論が行われ、二日目には全体討論となった。討論ではまず、学修時間の確保の方策について話し合われた。参加教員はいずれもこれには、ひとかどの意見と実績があるようで、授業のさまざまな工夫についての紹介があった。他方、大学の多くの教員は過去の答申を含めて中教審の動きに無関心であり、この答申の実行には困難を伴うとの声もあった。また、単位制の趣旨はともかく、理工系や医療系では目いっぱいのカリキュラムが組まれているので、これ以上学生に学修時間を求めても無理ではないかとの意見があった。これはかなり現実を踏まえた意見であって、問題の核心は専門職との関連の薄い人文簿社会科学系の問題であることがよくわかる。他方、人文・社会系では学生の就職と大学時代の学修との関係を疑問視する意見も出て、結局、企業が求める人材像に大学が合わせることがいかに難しいか、正課の時間の充実よりも正課外の活動をもっと評価しなければ現実に合わないのではないか、などかなり厳しい意見もあった。
全体会を司会して感じたのは、多くの教員の教育に対する熱意である。もちろん熱意のある教員だからこそ、学修時間をテーマとするこのセミナーに参加したのであろうから、むしろ普通の大学教員がどのような意識でいるか、ということの方が重要かもしれない。しかし、かつてであれば中教審答申というものに随分批判的な意見も数多く出されただろうが、今回思ったことは、答申の中身に対する根源的な反対意見はなかったということである。それだけ、大学教員は時代の流れに忠実であるようだ。忠実であるからこそ、答申の立案者はその置かれた責任の犬なることを自覚すべきである。大学教育の実行役は大学に集まる教員集団であり、そのまとまり方にはこれまで多々批判はあったであろうが、教員の役割の重要なことは、教育が個々の教員の自由裁量から大学としての学生や社会に対する責任ある活動に変わったとしても、減じることはないだろう。大学の教育内容や方法を一片の通知で決めるような時代が来ないことを祈るものである。