仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」だといいます。
お釈迦様は、世の中の一切は、「苦」だと言いました。
「苦」とは苦しいということではなく、「思い通りにならないこと」です。
つまり、人生とは「思い通りにならないこと」を知ることから始まるということ。
何故、「思い通りにならないこと」が生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべてがうつり変わるからです。
この世に永遠に変わらないものはなく、人も、生まれて、年老いて、あるときは病気になり、最後は死を迎える、というように移り変わり続けます。
渡辺和子氏の『どんな時でも人は笑顔になれる』(PHP研究所)の中に、こんな詩がありました。
『大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは1つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中で言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。』
まさに、人生は思い通りにならないことの連続です。
実は、人の思い通りにならないことの多くは、臆病(おくびょう)になり、挑戦や冒険をしなかったことです。
ぼんやりと「ああなればいいな」とか「こんなことが起こればラッキー」と思っていること。
それは年を重ねたとき、「あれをやっておけばよかったな」という悔悟に変わります。
しかし、挑戦や冒険をした結果が、たとえ失敗や挫折ということになったとしても、後悔にはならず、容認できるものです。
もし、人生が思い通りになることの連続だとしたら、我々は、あっという間に謙虚さを失い、鼻持ちならない傲慢な人間となるでしょう。
だからこそ大事なのが、運命を従容(しょうよう)として受け入れること。
思い通りにならない人生を受け入れることで…
人生にいい香りがする生き方ができる人でありたい。