「上善(じょうぜん)は水の如し」(老子)
次の言葉が続く…
「水は善く万物を利して争わず
衆人の悪(にく)む所に処(お)る
故に道に近し」
理想の生き方は、水のようであるべきだ。
水は万物をうるおし、利や得を与えているが、だからと言って自己主張することもなく、下座(げざ)に身をおいて泰然としている。
だからこそ、道を究めた、こだわらない生き方だと言える。
流れに逆らわないこと、謙虚で柔軟であること。
ものごとに執着しないこと、威張らず偉そうにしないこと。
しかしながら、水は普段は静かだがとてつもないパワーを持っている。
急流での水のパワー、豪雨や、津波の力…。
「下座行(げざぎょう)」について森信三先生はこう語っている。(修身教授録)より
『「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。』
「水のように生きる」を胸に刻みたい。