2014年8月28日木曜日

国立大学のマインド改革

国立大学法人法コンメンタール《歴史編》(第78~80回、文部科学教育通信)から、「関係者に聞く 森田朗氏」を抜粋してご紹介します。

国立大学法人化移行時のエピソードを交えながら、”大学ムラ”の実態がわかりやすく説明されています。また、大学経営トップ(学長、役員)や教員の「意識」「スキル」の現状と改革の必要性など、法人化後の課題も浮き彫りにされています。

3回分の連載をまとめたため長文になってしまいましたが、大変示唆に富む記事ではないかと思いますので是非ご一読ください。


東大病院は自由を求めた

-当時の行政改革の中心を担った国会議員へのインタビューによると、国立大学の独立行政法人化が政府の行政改革会議で取り上げられることになったのは、平成9年に東大病院が行政組織からの離脱を主張した提言を発表したことが大きなきっかけだったことが判明しました。また、当時、東大病院の関係者が、密かに行革関係議員に面会し、同様の趣旨の陳情をしていた事実についての証言もあります。そのような経緯を振り返ってみますと、結局、国立大学の法人化は、東大病院関係者の当初の期待通りに推移したとも理解できますが、このような見方についての森田先生のご感想をお聞かせください。

森田

当事者である東大病院関係者は、よくわかっていなかったのではないでしょうか(笑)。私自身も、もともと法人化の推進論者でしたから、病院関係にもいろいろ関わっていた時期があったのですが、要するに、財政上だんだん厳しくなってきて、東大病院としては、自由も金も無い状態になったわけです。そんな状態で「金をくれ」と言っても所詮無理だから、「では、せめて自由が欲しい」というわけです。自由に自分たちでやれば、経営の合理化もできるし、稼ぐ方も自分たちにはそれだけの力があるというのが、東大病院関係者の認識だったと思います。

確かに、海外、特にアメリカの病院なんかで展開されている合理的な病院経営とか医療に比べると、日本の病院、特に大学病院の非効率というか、無駄というか、停滞というのは、ちょっとひどかったですね。私も経験しましたけど、歯を一本直すのに半日かかって、そのあげく、会計処理のために待合室で一時間待たされて、「50円です」と言われた時には、正直、頭に来ました(笑)。

-最近では劇的に改善されてきているようですが、確かにかつて大学病院については、「1時間待ちの10分診療」とか椰楡されていた時代がありました。

森田

そうそう。それはなぜかというと、大学病院関係者の意識としては、大学病院は研究のためにあるのであって、患者サービスとか経営効率のことはほとんど考えていませんでしたからね。大学病院で働く事務職員の人たちも、行政機構の末端組織の公務員ですから、ルーチンばかりで、それ以上の改革とか改善という発想はなかった。そんな状況のままで予算だけが切られていくなら、東大病院が本来持っている力を存分に発揮できるだけの自由を得た方がいいという発想だったと思います。

それが病院の「改革派」の発想でしたが、既存の秩序の上に乗っかっている幹部の先生方の中には、自分の地位とかリスクをかけるほどの改革にはかなり消極的な方もいたでしょうから、若手の一部の人たちがああいう形で働きかけたということだったと思います。

ただ、問題だったのは、東大病院に続いて、京大病院、阪大病院…といったところはいいとして、地方の国立大学の大学病院が必ずしもその後に続けるわけではない。さらに、見方を変えると、東大病院だって、「東大」の傘の下の病院だからいいのであって、仮に、法人化に伴ってその「東大」というブランド名を捨てるみたいな話になってくると、とてもじゃないけれども足下から崩れてしまうという意識も強く、「結局は、今のままの方がいい」という考え方もあったわけです。その意識は、いまだもって牢固として続いているような気がしますが(笑)。

-確かに、病院を選択する患者さんの側から見ても、「東大」のブランドカはとても大きいと思います。

森田

大学病院として経営改善の余地が大きいのは間違いないことだったでしょうし、大学病院の自主的な経営改善努力をぎりぎりと規制して縛っている国の法律とか国家行政組織の仕組みというものを何とかしてくれというのが、東大病院関係者の気持ちだったと思います。

もっとも、中医協(中央社会保険医療協議会)での経験から考えると、病院経営が成り立つかどうかというのは、各病院の経営努力もさることながら、実は国の診療報酬改定の影響も大きいわけでして(笑)。たとえば、独立行政法人国立病院機構の例で言うと、国立病院機構に対して国から支出される運営費交付金はどんどん減っていて、今ではほとんど診療報酬収入で運営しているにもかかわらず、独立行政法人としての様々な縛りがきつ過ぎるという思いが関係者にはあるようです。そのために、「今の独立行政法人とは別の法人のスキームに変更して、もっと自由に運営をさせてほしい」というような意見を耳にすることがあるのですが、これも国立大学の大学病院の場合と同じで、仮に診療報酬の水準が下がるようなことがあると、たちまちに病院経営を直撃することになるわけで、そうなると「別の法人のスキームで」なんてことは言っていられないんじゃないかと思います。

ですから、今は比較的、大学病院などの特定機能病院には手厚く診療報酬が措置されていますが、本来ならば、診療報酬の改定の動向とは無関係に、各病院がきちんとしたデータに基づく経営判断で効率化を進めるのが筋なわけで、国立病院機構なり、当時の東大病院関係者なりに、どこまでその覚悟があったかということが問われると思います。


国大協運営の難しさ

-ところで、行政改革会議で国立大学の独立行政法人化の議論が起こって以来、当時の蓮實重彦・国大協会長(東京大学総長)は、一貫して独立行政法人化に否定的な立場を取り続けました。しかし、同時に、蓮實会長は、積極的に法人化のあるべき姿を提言しようとする姿勢を見せることもなかったと言われることがあります。こうした蓮實会長の方針・姿勢については、国立大学の法人化の議論が結局は東京大学が震源だったことが蓮實会長の協会運営を非常に難しくしてしまったという面があったのではないでしょうか。

森田

私は、むしろイギリス流の大学改革の流れのようなものの影響が大きいと思っています。

要するに、1990年に大学設置基準の大綱化をやりました。18歳人口の減少というのは見えていたわけです。それまでの、とにかくディプロマを出すための大学の増設というのは限界に来ていて、マーケットが縮小した場合に質の劣化と採算上の苦しさは見えていましたから、当時の文部省としては、自己努力に委ねるという形で大学設置基準の大綱化をしたわけです。私学も含めて大学が多過ぎる時に、広く薄くお金を撒いても効果的ではないので、規制を緩めて自由を与え、その結果、勝ち残れるところに資源を集中することで大学の整理を進めるという考え方です。

そのときに東京大学は、日本のリーディング大学として、資源を集中投下される方向で頑張るべきなのですが、逆に淘汰される側から言うと、なかなかそうはいかないわけで、そこは国大協の立場と東京大学の立場が矛盾するわけです。蓮實先生の国大協運営の難しさは、そこから来ていたと思います。

だから、一番いいのは、国大協の中で、自分たちで整理統合の画を描ければいいのですが、大学の自治とか立派なことをおっしゃいますけれども、少なくとも国大協の自治能力というのはひどかったものですから(笑)。みんな、「同じ国立大学である以上、うちにも回せ」みたいな話になってきた。そうすると、護送船団でいくか、そうでなければ、全体のパイを増やしてくださいという実現不可能な要求をする。そう言われても多分、文部省は困るので、どうするかというと、法人化する。法人化すれば、要するに、「競争して負けたところは、仕方がない」というこいとになるわけです。

そのときに問題になるのは、当然のことながら、初期条件が違いますから、「勝ち組と負け組が初めからはっきりしているところで競争をさせるのか」みたいな議論です。そのためには、ある意味では、東大だったら、あえて言えば、弱いところでも、いい大学があったら吸収するぐらいの、それぐらいの経営判断をしてはどうかと言ったんですけれども、大学人のメンタリティじゃ全くだめですね。東大教授という、「東大」ブランドが邪魔することになる。

-逆に言えば、そういうブランドに対するプライドが東大の活力になっていると思われますが。

森田

要するに、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と同じわけですよ。それは、私が若い頃にいた大学でもそうで、90年の大学設置基準の大綱化のときに教養部を解体することになったのですが、同じ法律なら法律、政治なら政治を専門とする教員なんですけれども、教養部の先生を法学部で同じ待遇で迎えるということに対してものすごい抵抗がある。「彼にはこの科目は教えさせられない」とか平気で言うわけですよ。大学人というのは、そういうメンタリティです。その裏にはもちろん、学問的業績が自分の地位と結びついている世界ではあるんですけれども、「教えさせられない」と言われると、「本当ですか」といいたくなる(笑)。

でも、あのときは、結構そういう大学統合の議論はしたんですよ。例えば、東大以外の大学の例で言うと、東北大学の外に「第二東北大学」を作って、東北大学以外の東北地方の国立大学をそちらへ統合するのはどうかとか。その場合、例えば、工学系はどこかのキャンパスに集中させることによって研究の密度を高め、研究者を集積する。その効果は大きいですから、まさにCOEの発想でやったらどうかとか。「経営上の判断でどこかのキャンパスを閉鎖することもあり得るが、そうしたら、地元が反対する」とか、「でも、自分のところで経営するのも無理だろう」とか、そんな議論は結構しましたし、「もし国大協でできなければ、私たちのほうでシナリオは書きます」ということで、実際、ドラフトみたいなものを書いたこともありましたが、やはり「こんなものは表に出せない」ということになりました。


研究室の先生を説得するのは難しい

-今のお話を聞いていると、いわゆる「遠山プラン」を文部科学省が公表する以前から、国立大学関係者は直感的に、「法人化というのは、マイナスの世界に入っていく中で各大学に自己責任をとらせるという国の方針を意味している」という受け止めになっていたのでしょうか。

森田

いえ、そう認識していた人は0.1%ぐらいでしょう(笑)。学長とか学長補佐とか事務局長レベルの人たちは、そういう認識を持っていたかもしれません。ただ、研究室に閉じこもっている先生は、自分の研究以外のことにはほとんど関心を示しませんし、そういう人たちが支えているのが大学で、いまだもってあまり変わりません、それは。そういう人たちに「このままでは持ちませんよ」と説得するのは非常に難しいわけです。法人化の幻想というのが自由と金だとしたら、自由をもらえば金もふえるという甘い期待を持つ人と、「それは大変だから、今まで通りが一番いい」という人とが共存していたところでしょうね。

-東大なんかもそうでしたか。

森田

東大もそうですよ。法人化した後もそうですけど、「東大は、科研費の取得率にしたって圧倒的に高いんだから、総額が減っていく運営費交付金を当てにするよりも、競争的資金をより多く獲得して間接経費を増やすような形にした方がはるかに有利でしょう。競争的資金を獲れないところにはじわじわと撤退してもらいましょう」と学内で言うと、「基礎的な経費である運営費交付金は減らすべきではない。競争的資金は運営費交付金とは別枠で増やしてもらえ」みたいなことを平気で言われてしまう。一方、競争的資金を稼いでいる研究者にしてみれば、「我々の働きでとってきているんだから、とってきた分は我々に使わせろよ」ということになる。そうすると、とれないところは「運営費交付金で面倒を見てくれよ」という話になるわけで、いまだにそうだと思いますけど、私がいた数年前には堂々とそういう議論をしていましたね。

そうした難しい環境にはありましたが、長尾眞・国大協会長(京都大学総長)を支えていた松尾(稔)副会長(名古屋大学総長)や石(弘光)副会長(一橋大学長)がどんどん発信するようになり、たしか石先生は「革新的にやるべきだ」と言う人で、大学を法人化することによって経営判断に自由を求めていました。一橋大学にはそれだけの力があるというのが前提です。ただ、一橋大学というのは文系ですから、施設の償却費とか何かは別にすると、年間フローだけだと100億もあればやっていけるのではないでしょうか。東大病院の赤字よりも少ない(笑)。だから、それくらいなら外部資金と授業料収入で、という話だったんですけれども、巨大な理系の学部・大学院を持っているところだったら、とてもじゃないけど、そんなことを言っていられないという面はありました。

-平成13年には、国大協の会長が東大の蓮實先生から京大の長尾先生に替わりました。会長交代で国大協の様子は変化があったのでしょうか。

森田

その辺は、よくわかりません。ただ、蓮實先生ご自身は、すごい方なんですけれども、発言が難しくて何をおっしゃりたいか、お考えがよくわからないことが多かったと思います。長尾先生は、蓮實先生よりは、はっきり、わかりやすく物をおっしゃっていました。ちなみに、長尾先生が国大協会長に就任されてから、法人化について理論武装するための理論をまとめたのは、京大の総長補佐だったか、副学長だったか忘れましたけれども、京都大学法学部の商法の森本(滋)先生です。まだ京大にいらっしゃいますか。

-もう退官されて(京都大学名誉教授)、今は同志社大学にいらっしゃいます。

森田

彼は商法学者だけに、経営面においても非常に合理的な判断ですね。ご自分で勉強されていましたし、森本先生が長尾先生を支えるために、私に「話を聞かせてくれ」というので、何回かお話ししました。その後は、ご自分で全部調べてやられたと思います。

-確かに、法人化問題で、京都で長尾先生にお目にかかる時は、常に森本先生が長尾先生の横に座っていて、森本先生からいろんな質問を受け、その受け答えを長尾先生がじっと聞かれている、という感じでした。

森田

だから、ある意味で言うと、国大協関係内の最大の功労者というのは森本先生かもしれません。ただ、彼とは、二、三回かな、かなりいろいろなことをお話ししましたけれども、忘れられないせりふは、「京都大学が東京大学に教えてくれと言うのは、屈辱的である。しかしながら、今回に関して言えば、我々のほうは全く蓄積がないので、あえて言えば、恥を忍んであなたに聞く」というようなことをおっしゃっていました(笑)。私は、「日本のために喜んで提供します」と言った記憶があるんですけれども。それ以後はあまり「一緒にやろう」という話にはならなかった(笑)。


非公務員型は交渉カードと考えた

-東京大学の話に戻りますが、国大協会長でもあった蓮實重彦総長の言動は常に慎重でいらっしゃいましたが、他方で、お膝元の東大の中には、東京大学の法人化に関する、というか、法人化に向けての学内検討会のようなものが置かれて、継続的に検討が進められていたという印象があります。特に、法人化した後の教職員の身分を非公務員型とするかどうかという問題について言えば、国大協や文部科学省の調査検討会議よりも先に、東大の検討会が非公務員型を実質的に受け入れる方針を出していたと思います。その意味では、結局、東大が非公務員型の流れを作った、というか、だめ押しをしたという印象ですが、その点はいかがでしょうか。

森田

東大の検討会の中で非公務員型を特に強く主張していたのは、多分、私でしょう。

-そうなんですか。

森田

つまり、公務員型でも非公務員型でも、どちらでもかまわないと思ったのです。実は両者の間で、制度的にはそんなに大きな違いがあるわけではありませんでした。でも、なぜか、大学関係者は公務員型にこだわるところがありました。たとえば、国大協の中で議論すると、「非公務員型とはとんでもない。当然、公務員型じゃないと」という意見が非常に強い。その理由を尋ねると、「公務員の方が信用があるので、金融機関から金を借りやすい」なんていう話が出てくる(笑)。確かに、公務員ということの価値といいましょうか、そのこと自体が彼らのモラール(勤労意欲)を大きく支えているところがあって、それが失われるんじゃないかという話はありましたが、実質的な根拠といったものはほとんど聞かれなかった。

私からは、「むしろ、ある意味では、非公務員型であれば、公務員としての様々な拘束が外れるわけですから、いろいろなことが自由にできるようになっていいじゃないですか」と説明していましたが、この説明の仕方だと、東大の場合には、公務員であろうが、公務員でなかろうが、むしろ東大教員であるということのほうが評価は高いという事情もあって、なかなか理解が進まない面もありました。ただし、この点については、「教員はともかく、職員は必ずしもそうではありません」と言われたりもしましたが。

要するに、人事のシステムとして、自由にできる余地というのがどれぐらいあるかということに着目して、自由になれば、それだけ財政的にもプラスになるはずだ、という一つの思い込みかもしれませんけれども、そういうフィクションでないと東大関係者は動かなかったわけです。だから、「あえて言うならば、非公務員型で自由をとったほうがいろいろと得なのではないか」ということを主張した記憶があります。

もっとも、正直に言えば、基本的に公務員型と非公務員型とで、どう違うのかといっても、両者の間にはあまり差はないわけで、だから、私が考えていたのは、この議論にあまりこだわる必要はなくて、むしろ法人制度設計の際の交渉力ードとして使った方がいいのではないかということでした。とりあえず公務員型にすべきと主張しておいて、向こうが反論してきたら、「じゃあ、非公務員型にするかわりに、この点については我々の要望に沿った制度にしてくれ」といった感じの交渉マターとして扱うべきだと思っていましたけど、なかなかそういう政治学的な話は通じなかったんですよ、大学のまじめな先生たちには(笑)。結局のところ、「公務員型はどのようなもので、他方、非公務員型はどのようなもので、その比較検討の結果、どっちの型が得なのか」といった議論に戻ってしまう。単純化すれば、そういう感じだったと思います。

-当時、国立大学の独立行政法人化を強く主張していた太田誠一・総務庁長官が、最終的には、独立行政法人とは異なる国立大学法人としての制度化を了承されたのですが、太田先生は当時のことを回想して、「先行して独立行政法人になった機関はほとんどが公務員型だったので、自ら非公務員型に決められたというのでびっくりしたわけですよ。感動しましたね。国立大学があそこまでスカッとやっていただいたんで、あの場面では感謝の気持ちでしたね、ありがたいと」とおっしゃっていました。その意味では、森田先生の狙い通り、非公務員型の選択が、結果的に「国立大学法人」というオリジナルな法人制度を手に入れるための交渉の上で、最も重要なカードになったということができるのではないでしょうか。

森田

そうですね。でも、今から思えば、非公務員型になったんだから、本当はもっと自由であってもいいんじゃないかとも感じます。たとえば、国立大学の教員の場合には、これまでは法律上の根拠もないままに、勤務時間の管理をルーズにしてきましたが、非公務員型の労働法制の下、裁量労働制ということになって、やっとこれが法的に認められたかというと、必ずしもそうではなかったのです。

裁量労働制というのは、勤務時間のスタートと終わりは自分で決めることができますけど、勤務の総時間そのものは拘束があるわけで、その意味で言うと、今でも多分、多くの先生は違法状態というか、問題があると思います。基本的に、昼前に出てきて夕方帰る、毎日そんな状態で勤務している人間にフルで給料を払うのかという議論もありましたが、逆に言えば、自分の興味関心で夜の零時まで研究室で働いている人に残業手当を出すのかということにもなる(笑)。

しかも、残業手当を出すとか勤務時間管理をするといったら、一般のお役所や企業の世界では上司の許可制で管理しなくちゃいけないはずが、大学教員の場合、上司なんておらず、本人が決めるだけのことですから、そういう世界でどういう形でやりますかというと、結局、教員に対する定期的な業績の評価しかないということになります。もっとも、私がいたときの東大では、そんな評価は嫌だと言っていましたけど(笑)、要はそういう世界です。

だから、全体からみれば一部ですが本当に能力のある人はたくさんいますから、すばらしい成果を出して、それでもって大学全体が支えられている、他の人たちはほどほどに仕事をしていても、それでよしとするのが大学という仕組みだと思いますけどね。


人事の仕組みだけが変わっていない

-国立大学が法人化して何年か経過して気がついたのは、人事の仕組みだけが法人化以前からほとんど変わっていないという点です。非公務員型の選択をわざわざしたのに、給与のシステムも変わっていない、人事の仕方もほとんど変わっていないということに気がつきました。最近、文科省は、「国立大学改革プラン」を発表して、年俸制を入れることなどを求めていますが、日本の大学文化の中で、給与にメリハリをつけていくというのは非常に難しいのでしょうか。

森田

変わってくると思いますけどね。ただ、今までのマインドだったら、日本では終身雇用の世界なんですよね。たとえば、東大の場合だったら、今は大分変わってきましたけれども、以前は20代後半で優秀な者が助教授になった段階でテニュアはとれたわけです。もちろん、法学部等では、教授になる段階で相当厳しい選抜があり、その後も業績を公表して自己規律を保とうとしていますけれども、ただ、教授になってしまうと自動的にテニュアがあって、降格はない。定年までそういう人たちに対してどうやってモチベーションを維持させることができるかという話になるわけです。ずっとそれが当たり前で、多くの教員は、国立大学教員という公務員の世界で長く働いてきて、「あと何年働けば、給料はこれぐらい上がって、退職金はこれぐらい」という頭でいますから、その期待の体系をガラッと変えるということは相当大変なんです。

だから、実際には、人件費が運営費交付金の中で制限されてきて、大学がどう対応しているかといったら、いわゆるかつて国家公務員の身分をもっていた承継職員に対しては、それまでのままの給与体系、人事体系でやっているという話です。空いたポストを埋める若い人たちにも、彼らの期待から言えば同じシステムを維持していかざるを得ないでしょう。これはまた何十年も続きます。それでも全体として交付金は次第に減っていますから、そういう教員のポストは減っていきます。そこで、過渡的にどうするかといったら、特任とかそういう形の任期付きの教員で埋めて、彼らの人件費は外部からとってくることになっていますが、これも、人事管理の甘いところがあって、そこのところをきちんとチェックできる仕組みというものはできていないでしょうね。

文部科学省が主張しているように、いっそのこと、完全に年俸制にするというのもあるかもしれませんけれども、よほど思い切った形の切りかえと、経過措置でこれまでの利益保障みたいなもの、激変緩和措置をうまく組み入れないことには、なかなか難しいでしょうね。

人件費は、今まで、公務員制度の下で、人事院勧告も含めて財務省がチェックする限りにおいて適正に抑制されてきた。ところが、法人化してそのチェックが効かなくなったときに、しかも、大学の場合ですと、総長、学長を、いわば「従業員が選挙で社長を選ぶ」ように教員が選んでいる、そういう仕組みのままだとしたら、人件費が上がっちゃう可能性があるわけじゃないですか。公務員のときの積み重ねの上に、法人化になってさらに給料が上がって、それをベースに最後に退職金ということになったら、退職金を出させられる財務省が黙っているはずがない。

では、法人化の際にいったん退職金を精算したらどうか、みたいな話もありましたが、そうしたら、全部の退職金がとんでもない金額になるから、とても無理であるということになって、結局、法人化の趣旨から見るといかがかとは思うが、法人化以降の人件費、というか常勤ポストの数についても、よく知られているように財政当局の一定の関与を残すことになってしまったと聞いています。

結局、エージェンシー化するときのメリットというのは、給与を操作することによって構成員のモラール、つまり意欲や能力を引き出す仕組みなのですが、国立大学の場合、それがほとんど機能していない現状にあるわけです。

あとは、結局、「特任」とか「客員」とかを付けた教授という肩書でもって、どれくらい人を集められるかですが、逆に、「1億円寄附するから教授にしてくれないか」みたいな妙な話が出てきたりすることもある(笑)。

-1億円ですか。すごいですね。

森田

その話を聞いて、「東大教授の肩書きには、まだ1億円の価値があるんだ」と、驚きましたけどね(笑)。


調査検討会議での議論

-森田先生には、文部科学省の調査検討会議でもお世話になりました。調査検討会議には、国大協の関係者が大挙して参加しましたし、最終的には国大協の会長が座長も務めるという構図になって、国大協の意見を調査検討会議の議論に反映させていくんですけれども、反映できなかった部分があるにもかかわらず、国大協の会長が座長を務めるものですから、調査検討会議で結論を出しちゃうと国大協自身がそれに拘束されるという部分もあった不思議な会議でした。今、振り返って、先生ご自身は、あの会議をどのように評価されているのでしょうか。

森田

おっしゃるとおりですね。しかし、自縄自縛になるという認識を、国大協のあのメンバーの中でどれぐらいの方が持っていたかというのは、かなり疑問ですね。「とにかく自分たちが全部決めるんだ」みたいな意識が非常に強かったですから。

私は、東大総長の蓮實さんの推薦で国大協の専門委員に入ったことから、文部科学省の調査検討会議にも参加することになり、特に人事制度委員会に所属していました。国大協では、みんな「公務員型を選択して、今までの仕組みを維持すべし」という感じでしたね。私は、エージェンシーの原理から考えると、給与によって構成員のインセンティヴを維持するような仕組みを入れなければいけないということを主張したわけですが、私のような意見は少数派でして、大分抵抗したんですけれども、煙たがられました。その中で、調査検討会議の人事制度委員会の主査もされた梶井功先生(東京農工大学長)はとても合理的な方で、私の話をかなり聞いてくれました。ただ、国大協全体になってくると、いろんな学長さんがいらっしゃって、それぞれその道では相当の権威かもしれませんけれども、正直に申し上げれば、そもそも問題の所在を本当に理解されているのかどうかさえ疑問に感じるような発言をされる方も多かったですね。

-先生は、ご自身の持論からすると、かなり難しい立場の専門委員になっていたということなんですね。

森田

そうですね、少数派でしたから。国大協の中では、基本的に何が問題であり、その解決のためには、どういう原理を考えなくてはいけないかということを論理立てて理解していただくことが難しかったですね。相手も一定の原理に基づいて論理的に思考してくれなければ、話がかみ合いませんから。例外的に筋の通った原理を述べられる方は、むしろ行政法的なドグマに依拠して「日本の大学はいかにあるべきか」みたいな議論を主張されがちでした。少なくとも法人化した場合の大学の経営主体なり、経営組織をどうすべきか、といったような捉え方をするような方はほとんどいないわけで、そもそも議論がかみ合わないという状態でした。

論点になったものの一つに、法人の長と学長との関係をどうするかという話がありました。このことは、要するに、法人格と施設としての大学というものを別にするかどうかという問題ですが、私は、「アメリカの大学は基本的に別々だが、その方が法人としての経営判断が高まり、また、大学運営にも柔軟性が出るだろう」といった主張をしたのですが、国大協のほとんどの関係者が「とんでもない」といった反応でした。わざわざ国内の、運営がうまくいっていない私立大学の例を引き合いに出して、「あんなところみたいになっていいのか」といった話をされる方もいらっしゃいましたね(笑)。

-確かに、運営がうまくいっていない私立大学のことは、時折、マスコミでも大きく取り上げられることがありますし、そのイメージが強いのでしょうか。

森田

要するに、「学問も研究も何もわかっていない経営者が、大学を牛耳つてしまうような仕組みになってもいいのか」という心配です。確かに、そういう事例も無いわけではないから、これを全面的に否定することもできないわけですが、しかし、逆に言えば、確かに、研究者を束ねる学長のポストには、優れた研究業績のある研究者の方がよいでしょうが、たとえば自然科学系がご専門で、高度な研究業績のあるような研究者が、大学経営の能力も持ち合わせている保証がどこにあるだろうか、ということです。

国立大学の法人化のあとで制度化された公立大学法人の場合は、各自治体の判断で、学長と理事長の分離を選択できる仕組みになっており、実際にも、両者を分離して運営を行っている公立大学も出てきているわけですが、その中には、教育・研究のわかる経営者と、経営のわかる研究者がうまくセットになっている例がある。そのように、両者を分離した上で、そこをどのように組み合わせて作り上げていくか、というところが大切な点だと思います。

もう一つ言えば、大学の絶対数が多くなって、統廃合を迫られるような時代には、経営判断を優先しないとだめだということです。たとえば、国立病院の場合は、全国にたくさんあった国立病院を、国立病院機構という一法人が運営することにして、病院の統廃合をずいぶんとやりました。あの法人が果たしてあの規模でいいのか、大きすぎるのではないかという問題はあるかもしれませんが、マーケット全体の需給バランスだとか、その中でクオリティーをどう維持するかというときに、経営と執行を分けるというのは筋だし、世界の経営学は今はそう教えていると思うのです。国立大学の場合も、18歳人口の推移とか世界の研究動向を見たときに、大学の合併とかいろんなことを考えていかなければならないと考えておりましたし、そのためには、法人化する場合の経営組織のあり方が重要だと主張しましたが、国大協の中では「教員が選ぶ学長が統治をするというのが大学のあるべき姿」といった考え方が根強かったですね。



素晴らしいデザインが描けるか

-先日、当時の事情に詳しいマスコミ関係者にインタビューしたところ、「国大協と文科省が頑張って、独立行政法人制度に頼らない独自の法人制度の設計に挑戦してほしかった」と言われましたが、先生はどう思われますか。

森田

その方のおっしゃることは、ごもっともだと思いますが、では、どういうデザインで、どういうアプローチで進めればよかったのか、ということが問題だと思います。大体、制度改革というのは、問題の所在はわかるけれども、どう変えたらいいかというデザインを描くのは非常に難しい。もう一つは、仮にそのデザインがいいものが描けて、理論的にも裏づけがあるとしても、それを実際に実行するとなると、パレート最適が成り立つような、全員がハッピーになるような、Win-Winの形になるようなプランを作り実現するのは、非常に難しいわけです。なぜなら、改革するたあには、どこか悪いところを切らなきゃならないからです。そのときに、切られる人をどうやって説得するかというのは政治の話になるわけです。もちろん、次のポストとか行き場所も用意することはあったとしても、ご本人に今までの特権とか利害を捨てて移ってくださいということを誰がどうやって説得するかというのは、実は難しい。そういう人たちが多くなればなるほど、そういう人たちの利益が大きかったり、政治的な影響力が大きかったりすればするほど、難しいわけです。日本の政治的リーダーというのは、高度経済成長期にはパイが増える一方だったので、あまりその必要はなかったからよかったが、それ以後は、正直言って、みんなそういう難しい役割を逃げている。比較的、そうした意味での改革を、国民の支持を得て思い切って実行したのは小泉(純一郎)さんですが、それでも、郵政にしても何にしても、小泉さんがいなくなると、結局は復元力がかなり効いているわけです。

だから、国立大学の場合でも、そこまでシナリオを書いて改革案を出せるかどうかというと、正直言って、かなり難しかったと思います。どういう大学制度であればうまくいくのかという問題と、これだけ若者の数が減ってきたときに、かなりの大学の整理をしなくてはならないという問題がありますが、整理される側の大学をどうやって追い詰めるなり、説得するなりするか。あるいは、そこまでのコストをかけてでもやるべきだという素晴らしいデザインが本当に描けるかどうか、なかなかこれは難しいところだと思いますね。そこは本当に政治的なリーダーシップに期待せざるを得ないんですけど、リーダーシップを発揮させるようなデザインというものが描けるかどうかというと、それはなかなかできないでしょう。私自身は、かなり思い切った形での経営のあり方、大学のマネジメントの仕組みというものをきちんと仕立てて、やるべきだとは思っているんですけれども。

-そうすると、いろいろ反発も出てくるでしょうね。

森田

確かにそうだとは思いますが、ただ、おそらく、事態はそうした統合再編の方向に向かって行かざるを得ないと思いますから、行かざるを得ないとしたならば、早く認識して、できるだけ犠牲とコストを少なくするためにどう舵を切るかということは、これからの大学の経営判断に求められているところだと思います。


大学教員と経営判断

森田

実はおもしろいエピソードがあって、以前、某国立大学の本部の優秀な事務職員の方と飲みながら話したことがあって、そのときに国立大学の法人化の話をしたんですけど、その事務職員が「国立大学って動物園ですよ」と言うわけです。「先生方は濫の中で吠えていて、『おれは偉いんだ』って言っている。われわれ事務職員は飼育係です。あるとき、どうも、だんだん経営が苦しくなったらしく、餌が少なくなってきた。すると、濫の中の動物が、『おれたちを濫の外に出せ。外へ出て自分で餌を探してくる。そのほうがいい』と。『わかりました』と言って濫の戸を開けたら、みんな勇んで出ていった。法人化後しばらくしてどうなったか。おなかをすかして帰ってきて、中から濫の戸を閉めた」(笑)。濫の中にいると言われた側としては、決して愉快ではありませんが、この喩えは当たっていますね。

-おもしろいことを言う事務職員ですね。

森田

日本の大学人が、昔ながらの教授会とか、大学の自治とか、そういう原理に安住している間に、大学経営を取り巻く環境はどんどん厳しくなっているわけです。私自身は海外の大学にそんなに詳しいわけじゃありませんけれども、ちょうど大震災の直後まで、シンガポール国立大学のリー・クァン・ユー・スクールに籍を置いて2カ月ほど滞在してきたことがあったのですが、「教授会に出てくれ」というので2回ぐらい出席しました。このスクールは、世界的にもかなり権威ある公共政策の大学院ですけれども、大学本部からスクールの教授会に対して、大学院経営に関してかなり難しい課題を出されていた。要するに、「あなた方は、どういう研究をし、どういう学生を育成しようとしているのか」「そもそも、その学生が卒業後に行く就職マーケットはどれくらいの規模があって、国際的なマーケットにはどういう競争相手がいて、それに対してどれくらい自分たちが優位なのか」「その優位な能力をつけるための教育のカリキュラムはどういうものであって、そのカリキュラムをきっちりとこなすためにどういう教員を配しているのか」そういうことについてかなり細かい質問が出て、スクールとして回答するらしいのです。その回答に対しても、本部からさらに子細な質問が出てきて、要するに、育成すべき人材のイメージと彼らが受け入れられるマーケットが不明確であるから、「ライバルがどこであるかをもっと明確にせよ」みたいなことを聞いてくる。それに対する再回答の中で東大の公共政策大学院の名がライバルとして挙がっていたものですから、元院長として、私はうれしかったですけど(笑)。

そういう経営判断をきちんとやっていて、しかもディーン(学部長)には、シンガポールの元国連大使を務めた相当の大物が座っていました。それ以外に、プロボスト(副学部長)が4~5人います。そのうちの3人は、経営だとか国際だとかファンドレイジングだとかの専任です。研究と教育を担当するプロボストだけに教員が順番でなっています。国際担当のプロボストは、1年の3分の2ぐらいは、旅費をふんだんに使って、世界中の学生のリクルートと学生の売り込み、それに研究者のリクルートをやっているようです。それだけの規模でやっていながら、本部からの厳しい質問に答えられなかったり、学生のニーズに応えられないというか、ビジネスとして成り立たなかったりした場合には、予算の削減と組織の縮小・改変、最終的には廃止というのもあり得る。したがって、教授会では、それに対してどう返答するかということについて真剣に議論していましたね。

-日本の国立大学にも、文科省が同様の厳しい質問をぶつけてみる必要がありますね。

森田

そうかもしれませんね。そのほか、日本の大学の場合は、不祥事問題への対応といった面でも、マネジメントの脆弱性というのが大分出ていると思います。東大でもいろいろありましたが、天才的な学者は、凡人が持っていないものは持っているが、凡人がみな持っているものに欠けているところがあるのかも(笑)。だから、研究もそうですけど、教育の質も含めて、教員をコントロールできるような、研究の内容もしっかりとわかり、経営判断もできるようなマネジメントのポストとか人材とかが、日本の場合、アメリカとか諸外国の大学に比べて決定的に欠けていると思います。要するに、日本では、研究者自身にマネジメントをやらせているわけですが、マネジメントというのは、研究者としては専門外だし、ものすごく負担がかかるし、能力があるとは限らないし、自分の研究のためのインセンティブは働きますから、結局のところ、自らの不正をチェックするメカニズムが効きにくいわけです。


次世代のマネジャーを育てるために

森田

では、どうするかというと、研究費があったら会計担当の職員を雇うというんですけれども、彼らは、正直言って、教授に対して、「これをしてはいけません」と言えるかというと、それはできません。だから、むしろ、優秀な研究者にふんだんな研究費と研究時間を与えていい成果を出させるようなマネジメントをやってくれるような、たとえば、プロテニス選手のコーチみたいな存在の人によるマネジメントの体制が必要だと思います。今は、大学の自治の名の下に、教授連中が自分でやっています。もちろん、優秀な人はたくさんいますから、中には両方できる人もいて、だからなんとかもっているのでしょうが、研究能力の優れた人に必ずしもマネジメント能力があるわけじゃないし、そのトレーニングを受けているわけじゃありませんし、何よりも、積極的にマネジメントをやっていこうとするインセンティブは必ずしも無い。だから、東大の場合も、そういう教員を集めて、特に総長補佐としていますけれども、総長補佐の任期が終わって元の所属に帰るときに、みんな何を言うかというと、「これでやっと研究に戻れます」と、半ば冗談でしょうが、嫌々総長補佐をやっていたということを公言するわけですよ。そうではなくて、そういう仕事を担当する入たちは専門職能集団としてきちんと位置づけなければいけないと思います。

私自身が実際に会ったのは、MITのスローンのマネージ・ディレクターです。彼ももちろんPh.D.を持っていますけど、研究業績はそんなにあるとは思えませんが、巨額な研究ファンドをとってきて、すごい給料を払って世界中のトップの研究者を呼んできて、研究をさせるわけです。研究者のほうは、雇われていると言えば雇われていますけれども、自分のやりたい研究、自分の成果をそこで出すことによって次のポストに上がっていくし、それには給与体系もみんなリンクしているわけですね。そういう研究システムと、日本の今のような、マネジメントの素人の教授がどちらかというと、交代で嫌々マネジメントをやっているところと比較すると、やっぱり、研究能力の差が決定的に出てくると思います。日本の場合には、どうしても素人がやるし、不正が起こりやすいから、不正が起こるたびに、ますますルールが細かく増えていくわけですが、当たり前ですけど、ルールが増えると違反も増える(笑)。つまり、悪循環なんです。それが、結局、ルールを守るため、あるいはルールに縛られることによって、だんだん研究者のエフォートのうちに、マネジメントに割かれる比率が高くなり、研究へのエフォートの比率が低下してしまう。だから、ある段階になると、能力のある先生も、「それなら、研究するよりも、教科書を書くとかして定年まで給料をもらえるならば」という話になってしまって、それが本当に日本の研究能力の向上に結びつくかというと、私はかなり疑問です。そこのところの仕組みをどう変えるかということが大事なのではないかと思っています。それには、まずは、そういうマネジメントが非常に大事だということの認識が広がることが大前提です。最近になって、URAといった職種が出てきましたけれども、実際、具体的にそういうことをやっている方は、まだほんの少数だと思います。こうした職種の定着をはかっていくためには、そもそもキャリアパスから分けていく必要があります。実は、東大で法人化について雑談しているときに、私から「大学経営学研究科という大学院をつくってはどうでしょうか」という提案したことがありました。この研究科の教授は、理事とか部長を兼ねて東大の経営にも携わり、博士課程定員10名でいいから、いろんな意味で優秀な学生を集めて、次の世代の大学のマネジャーを育てていく。しかし、そのときは誰も賛成してくれませんでした。今、日本で本格的にそのようなコースを持っているのは桜美林大学くらいかと思いますけど、このようなマネジメントの体制をきちんと整備しないといけないと思います。素人がマネジメントをやっている以上は危なっかしいし、それをきちんとやらせようと思えば思うほど、そちらに割かれるエネルギーが多くなって、研究が疎かになるという悪循環をどうやって絶つか、ということが一つのポイントだと思います。

ただ、その場合に、制度以外で一番ネックになるのは、大学人のマインドセットだと思いますね。というのは、実際、たとえば東大の場合、役員には、「理事」と「副学長」の二つ肩書がついています。理事というのは法人の役員で、学外者も理事にはなれますが、副学長というのは東大の教授でなければなれない。だから、教授で理事になった人は「理事・副学長」という長い肩書を持ち、単なる理事と異なることを示すために、常に「理事・副学長」と呼ぶのですが、なにゆえにこのような区別をするのか。やはり研究者であること、研究業績があることがリーダーの要件として重視されているのでしょう。

-そういう目でしか見ることができないわけですね。

森田

「この人は、大変立派な研究業績がある」となると、「そういう優れた業績のある人物の言うことだから、私たちは従う」しかし、いかに優れたマネジメントの能力を持っている人であっても、研究業績のない人のいうことは……という発想になってしまうわけです。だから、彼らのマインドを、「たとえ名プレーヤーではなくても名コーチであるならば、そのコーチの言うことに従うほうがいい成績を上げることができるじゃないですか」というところへ持っていけるかどうかだと思います。多分、そこらあたりが、日本の大学改革の一番の岐路になるだろうと思いますね。その点、国立大学は、悪しき伝統で、非常に改革を進めにくい面がある。どこかが先鞭をつけて、URAみたいなポストを置き、教授が彼らのことを「この人に従えば、自分の研究業績を向上させることができる」という認識をもって行動するようにならなければ、なかなか今の体質は変わらないんじゃないかと思います。だから、法人化の枠組みについては、若干中途半端なところはあるかもしれませんけれども、機会を捉えて作ることができたが、それを動かすほうのマインドについては、期待されたものにはなっていない、というのが私の国立大学法人に対する評価なんです。

-次にやることは、マインドを変えるための環境を作ってあげるということでしょうか。

森田

そうだと思います。たとえば、東大病院も、歴代の病院長が改革をやったことによって、権威だけはあるが、患者の評判の悪い病院だったのが、今では患者サービスがよくなりました。看護師をはじめコメディカルの方、職員、そして患者さんもそうですし、若い研究者の人たちも、一連の改革で「随分よくなった」と評価しているようですが、こうしたビジネスのセンスというか、マーケティングの感覚を養うことが大切なのではないでしょうか。