2012年4月26日木曜日

大学改革に向けた提言

公益財団法人世界平和研究所が公表している提言をご紹介します。

大学改革試案(2012年4月9日)


1 憂うべき高等教育の凋落

教育は国家形成の基幹であり、国家百年の大計である。教育は個人主義の観点から個性を自覚・確立させると同時に、地域・国家といった社会集団への帰属意識・責任感を涵養する。公私の精神においてバランスのとれた健康で健全な人間の育成は、教育の究極的使命である。

特に21世紀の世界的潮流であるグローバル化時代にあっては、日本人として自信・誇りの育成という教育の原点に立ち返りつつ、個人の能力をいかんなく発揮し、海外と互角に世界の舞台で活躍する人材を多数輩出することは、日本の教育に課された急務である。

しかし日本の教育制度は、戦後60余年の間、抜本的改革も実施されてこず、世界の潮流に全く取り残されてしまっている。中でも海外に後れを取り、グローバル人材を養成できない高等教育の著しい低迷・凋落ぶりは、誠に目に余るものがある。

その最大の要因は、「大学の自治」の美名の下に、専ら現職の教員が自らの利益を守ることだけに汲々とし、教育の果たすべき本来の役割がないがしろにされる本末転倒の状態が続いてきたことによる。強い身分保障の下で、いったん大学の教員として採用されると、不祥事さえ行わなければ、教育や研究活動を疎かにしても、解雇どころか何の制裁も受けない制度が、教員の質の著しい低下を招き、日本の高等教育を全く堕落させてしまっているのである。

かつての大学教授には非常に権威があった。確かに現在でも世界的な研究業績をあげ、優れた教育によって多くの人材を輩出している尊敬すべき大学教授もいる。しかし全体としてみれば、雨後の竹の子のように数だけは多いが、大学の教員の権威は全く地に堕ちてしまった。これまでの高等教育改革も、このまさに本質的な論点が手付かずだったために、周辺部分の改変にのみとどまってきた。しかもそうした小規模改革でさえ、残念ながらほぼ失敗に終わってきた。具体的には3つの点に集約される。

第1は、大学院重点化である。90年代以後の大学院重点化では、量的拡大を余りに急ぎすぎ、教員・学生の両面で、質が著しく低下している。これは鳴り物入りで導入された専門職大学院で特に露呈しており、法科大学院を卒業しても司法試験になかなか合格できないという悲惨な状況にあるのは周知の通りである。また大学院の教員数を減らされないために、大学側が無理に入学者数を確保するというあるまじき行為まで散見されるのである。

第2は、専門課程重視である。これは2つの結果を招いた。まずは教養教育の顕著な劣化である。大学生が当然身に着けるべき最低限の教養もおろそかにされ、日本や世界の基礎的な知識や理解も覚束ない「学士」が世の中に氾濫している。次は、大学の予備校化である。多くの大学では、本来の高等教育機関としての役割を放棄して就職活動支援機関と化し、単に資格取得や就職試験のためのノウハウだけを教える予備校になってしまっている。

第3は、センター試験制度の導入である。80年代に導入されたセンター試験(当初は共通一次試験)は、多くの私立大学でも入試として利用されるようになった結果、入試制度の画一化と大学の序列化が著しく進行した。本来、入学試験は各大学がその教育理念に応じて、入学させたい学生を独自に判断すべきであり、現在よりも試験科目を増加させることは確かに必要だが、時期や選抜方法はもっと大学の独自色を出すべきであろう。しかしセンター試験制度はそれぞれの大学の個性や独自性を奪い、1年に1回限りの記憶力を重視した試験によって、受験生を非常に限定的な能力をもとに序列化した。その結果、志望大学を偏差値だけで選ぶ志向を助長させ、本格的な思考力を養う機会を奪ったのである。

このように、戦後日本の高等教育機関が現職教員の既得権の牙城と化し安穏としている間に、国際競争力は著しく低下し、欧米はもちろん、他のアジアの大学にも後れを取りつつある。さらに海外に雄飛する日本人も激減し、内向き志向が蔓延し、世界に向かって挑戦する精神も大きく減退している。

日本の高等教育の抜本的な再生・立て直しは、グローバル化する今世紀の国際社会で日本が自信と誇りを保持し、世界に積極的に貢献するための不可欠な基盤である。国際社会の中で生き抜くための健全な日本人は、日本や世界の歴史・文化・伝統への深い理解に立った上で、グローバル化の進展の中で切磋琢磨できる能力、自らの意見を堂々と述べ相手を説得する勇気・手段と同時に品性・自律・寛容さを持った人格を備えることが不可欠である。

このような問題意識の下、世界平和研究所では、2011年5月に初中等教育改革を念頭に置いた「教育改革試案」を公表した。この試案では、初中等教育の目標を、個性の自覚・開花とともに、日本の歴史・伝統・文化への基本的理解を通じた国家観、国家意識の涵養に置き、そのために具体的方策として、現状の教育委員会の廃止による首長主導の教育行政への制度的大転換を主唱した。

本提言は、こうした初中等教育の改革の上に立って、凋落する日本の高等教育の本質的な問題点をえぐり、大胆な改革の提案を行うものである。

2 エリート教育3原則

これからの日本の高等教育の目標は、明確に「エリート教育」の確立に置かれるべきである。「エリート」とは、社会的に成功が約束されている優等生という通俗的理解でなく、本来の意味として自らの利害と関係なく他者や社会のために尽くす、社会の発展に不可欠な存在である。具体的には、「エリート教育」は相互に密接で不可欠な次の3つの原則によって徹底的に再構成されるべきである。

第1の原則は、グローバルな人材の育成である。21世紀はグローバル化の世紀であり、日本も受け身でなく積極的にその大きな潮流を自分のものにしなければならない。つまり日本の好機としてとらえ、世界を舞台に活躍できる人材を多数輩出する必要がある。そのためには、国内の狭隘な市場でなく、世界市場で対等に切磋琢磨できる能力、自らの意思を明確に表明し、相手の主張を的確に理解した上で、相手を説得する知識、論理そして手法を身につけるコミュニケーション能力を十分に涵養する必要がある。

第2の原則は、幅広い教養を備えた人材の育成である。グローバル市場で活躍する人材には、それぞれの分野での専門知識や理解が欠かせない。しかし例えば英語が堪能で、ビジネスにおいて短期的な利益を挙げることが、日本の高等教育の目標ではない。長期持続的に真に世界に貢献できる人材には、日本の歴史・伝統・文化へ精通しているだけでなく、世界の歴史・伝統・文化や世界が現在直面する深刻な地球的課題についても、広範でかつ深遠な知識を習得し、そうした知識基盤をもとに、冷静かつ大局的な判断力を育んでおくことが不可欠である。グローバル時代において知識フロンティアに直面し、山積する答えのない問題に挑戦するためには、幅広い教養のない底の浅い人間では、すぐに馬脚を現してしまい、国際社会で信用されない。

第3の原則は、人格形成を伴った人材の育成である。人格の陶冶は個人が一生をかけて行うものだが、初等中等教育では、個性の確立を促すと同時に、日本の歴史・伝統・文化への理解、美しい日本語の習得、将来なりたい日本人像の確立を通じて、日本人としての自信・誇り、国家観・国家意識を育成する必要がある。その上で高等教育では、それを一段と昇華させ、世界的な視野に立って「公のために何ができるか」を自覚させ、着実に実行に移すための人格を形成しなければならない。そのためには利己的なだけでは尊敬も信用もされない。高等教育では、異文化との交流・接触を通じて相対的に日本を見つめる機会を増やし、日本人たる自覚を確固とするとともに、他人への寛容さや公共精神を叩き込まなければならない。

3 緊急に実施すべき大学改革

(1)教育レベルの世界標準化

日本の高等教育を再生させるためには、教育・研究能力に劣るにもかかわらず既得権益に胡坐をかいた大学教員のための大学から、真剣に学び、世界に羽ばたこうとする若い人たちのための大学に、180度転換することから始めなければならない。

第1に、徹底した大学の選択と集中である。日本の大学進学率は高等教育への需要増加を背景に、現在では半分を超えている。大学は全国で粗製乱造され、現在では短大まで含めると1000校を超えている。今なすべきことは大学の淘汰を進め、差別化を徹底し、グローバルリーダーを養成する少数大学(数校程度)へ、限られた資源を思い切って集中すべきである。また入学定員の大胆な削減と学部・学科による重点化も同時に進めなければならない。こうした大学では、国際標準化を徹底して押し進め、英語での授業や討論、9月入学の実施はもちろん、進学卒業単位の厳格認定を行い、欧米の最高レベルの高等教育機関と全く引けを取らない「世界標準」の大学教育を確立すべきである。以上のような改革には、学長の強いリーダーシップを発揮させるような大学の「マネージメント」自体の根本改革が伴わなければならない。

第2に、教員の質の向上である。このためには長期雇用を廃止し、教員資格の任期制を導入することが必要である。これは、教育・研究活動に怠慢あるいは無能力な教員を排除するために絶対になくてはならない。任期更新に当たっての評価も、大学の同僚だけでなく、第三者や学生の評価も含めて、外部で検証可能な形で行われるべきである。これによって、優れた研究業績をもつ研究者による真剣な教育が行われ、日本の大学が世界の知識フロンティアの拡大に貢献できる余地が確実に大きくなる。この点は大学院についても全く同様だが、大学院(特に職業大学院)の場合には、その存続を前提とせず、一定期間に成果において最低基準を満たさない場合には、すみやかに縮小廃止に追い込むべきである。

第3に、優れた教員を教育に専念させるための知的サポート体制の確立である。現状では、同じ学部の教員の間でも職務量に相当な開きがある。教育熱心で優れた研究業績をあげている優秀な教員には、留学生も含めて学生が数多く集まるため、事務量が膨大となり多忙を極めるが、教育熱心でもなく研究業績もない教員には、学生が集まらず負担が軽い点で、著しく公平性を欠いている。優れた教員には知的サポート体制を確立し、俸給面でも待遇に差をつけ、教員の能力と努力が正当に評価されるシステムの確立が必要である。

(2)教養教育の充実

高等教育の目的がそれまでの初等中等教育と根本的に異なるのは、正解がないあるいは正解が1つに限らない課題に対して、果敢に挑戦する点にある。グローバル化時代には、こうした課題が世界的に次から次へと頻出する。こうした新しい問いにアプローチするためには、これまでの人類の経験や英知に対して十分な知識と教養を身に着けておくことが不可欠である。「すぐに役立つ」知識では急速に陳腐化し、無力である。具体的には、それぞれの専門分野において世界で最先端の知識をどん欲に吸収し、フロンティアの拡大に挑戦し続けるだけでなく、日本、世界の古典・歴史・文化への深い素養をベースに、現在の国際情勢や地球的課題にも精通する必要がある。

第1に、グローバルリーダーを養成する大学では、1-2年生での教養教育を見直し、時代の要請に合うように改善する必要がある。具体的には、まず英語のコミュニケーション能力を十分に築いた上で、第2外国語教育のカリキュラムを強化し、英語と相乗効果を図るように工夫する。また、専門課程での専攻と全く無関係、あるいは専門課程になく、短期的には有用に見えない教養科目の学習を督励し、専門課程進学への際に重点的に評価するシステムを導入すべきである。

第2に、日本のアイデンティティを英語で外国人に理解させ、普及させる能力の養成である。かつて明治期には、日本の伝統的な精神や文化、日本人の考え方やあり方を西洋人に正しく理解させるために、新渡戸稲造「武士道」、内村鑑三「代表的日本人」、岡倉天心「茶の本」に代表されるような、日本に関する多くの優れた著作が英語で書かれた。21世紀にあっては、西洋に限らず、他の地域に対しても、日本の独自の歴史・伝統・文化を、英語や外国語によって、外国人にわかりやすく説明し、その精華を世界に広く普及させる知識と能力を身に着けさせることが必要である。

(3)学期中の勉学への集中と大学外経験の充実

大学で過ごす時期は、人生の中でも最も感受性が高い時期でもある。この貴重な時期を充実させ、高度な知識の吸収だけでなく、公共精神や他人への寛容さを涵養し、豊かな人格の形成を促すためには、大学の教室に限定せず、新しい経験や挑戦を通じて、問題意識を鋭くすることが、大学での学習効果を高める上でも必要である。

第1に、大学生活のメリハリをつけ、学期中は勉強に集中させる必要がある。現在の大学生活は学期中とそれ以外の区別もなく、だらだらと過ごす結果、結局何も身につかないことが多い。かつての旧制高校の良さの一つは全寮制にあった。1つの方向性としては、大学1年次の寮生活を必須とし、日本人はもちろん留学生とも切磋琢磨させる機会を与えることは、グローバル時代の要請にも応えるものである。また学期中は多量のリーディングアサインメントを課すことも有効である(単位数はむしろ減らす)。一方で、学期外の期間は学業以外のことにもしっかりと打ち込むようにすべきである。また不必要に長時間をかける就職活動は原則的に禁止すべきである。

第2に、自らの現状を客観的に見つめ、問題意識を醸成させる機会として、大学外経験の充実させる必要がある。現在の大学生の世代は90年代以後の持続的な景気低迷の中で、本格的な好景気を経験していないが、一方で生まれた時から高い生活水準を享受しているため、自らの恵まれた状況を明確に意識することが少ない。そのためには、まず9月入学を前提に、入学試験合格から入学までの間のギャップイヤーないしギャップタームにおいて、社会奉仕活動に従事させ、それを入学の条件にすべきである。具体的には、被災地での復興活動、農林水産業、介護・福祉分野や外国での援助活動への参加、さらには地域社会での日常的な活動を通じて、公共のために何ができるかを具体的に会得することが重要である。またストレートでの進学といった単線的な経路だけでなく、大学進学前後のギャップイヤーの利用や海外留学経験などにより、異文化と接触する機会を増やし、自らの置かれた立場、自らが公になしうることを常に自覚する環境に置くことは、人格形成にも欠かすことができないし、強い問題意識を持った多彩な人材を輩出することを容易にする。

第3に、企業や社会が求める人材と一層緊密に連動させる必要がある。大学での教育は自己完結でなく、その成果は卒業後の人生にもつなげていかなければならない。しかしこれまでの大学教育は社会人になってからの人材育成と十分連携が取れていたといい難い。多くの場合、卒業後は社会に出て働くことになるが、現在でも根強い新卒一括採用方式では、自らの個性や適性と職場がマッチしない場合でも、やり直しがききにくい。またグローバル市場での国際競争力強化のためには、企業にとっても大学における教養教育、専門教育、企業内訓練(OJT)との適切な役割分担が急務となっている。こうした観点から、大学在学中から実社会とのかかわりを深めるために、大学1年次からの休暇中を利用したインターンシップ導入や教養課程時に社会人による実践的授業導入を進めるべきである。

4 おわりに

この提言は、高等教育の目標をエリートの養成と明確に定義し、具体的な制度改革提案を行った。日本の国力が相対的に低下する中で、日本復活の鍵は究極的に高等教育の再生が握っているといっても過言でない。この提言が教育改革の起爆剤となることを望みたい。
http://www.iips.org/pdf/univ_reform_full2012.pdf