自らに刺激を与えるうえでも、ある種の変化が必要である。その必要は、ますます人が長生きするようになり、ますます長く活動できるようになるにつれて大きくなる。10年から12年同じ組織で働いてきたというボランティアが組織を変わる。日常を変えたくなったためである。あるいは、学ぶべきことがなくなったためである。このことは特に重要である。仕事において学ぶことがなくなれば、人間の大きさが一挙に小さくなるからである。
例えばアメリカ赤十字の社長リチャード・シュバードは、労働問題の弁護士をしたあと、企業の人事部門に入り、40代で政府機関に移り、再び企業に戻ってから赤十字に入った。まさに彼は、異なる組織文化の中でいろいろな人と働いてきたために図抜けて有能になった。
日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行うよう自らを駆り立てる必要がある。「燃え尽きた」とは、たいていの場合飽きたというだけのことである。くだらないことと思われるもののために朝出かけるほど、疲れを覚えさせられるものはない。必要なのほほんの小さな変化である。校長だったら、他の学区を訪れてそこの校長方と共通の問題について話し合うことでもよい。
週に60時間働いている非営利組織のトップにとっては、週に3時間をまったく異質の仕事に使うことが、魔法のように効く。働きすぎているからこそ、精神的にも肉体的にも使ったことのない部分を使うという刺激が必要である。なぜならば、日常のほとんどの仕事は繰り返しだからである。
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない。仕事に飽きたということは、成果をあげるべく働くのをやめたということである。目もまた石臼を見ているに違いない。
仕事から学び続けるには、自分の期待に成果をフィードバックさせなければならない。重要な活動は何かを知らなければならない。それらの活動において何を期待するかを書きとめておく。9か月後、あるいは1年後に、成果とその期待を比べる。そうすることによって、自分は何をうまくやれるか、いかなる能力や知識を必要としているか、いかなる悪癖をもっているかを知ることができる。
私のように諦めが早いことに気づくかもしれない。私は、ひどく気が短いことに気づいた。人によっては、ありがちな悪癖として、人のいうことを聞かないために成果が生まれないことに気づくかもしれない。
もちろん、自らの行動からしか学べないわけではない。組織の中、まわり、知り合いにも目を向ける必要がある。「彼らは、何について立派にやっているか。それをどのようにやっているか」。いい換えるならば、成功に目を向けなければならないということである。「誰にとっても難しいと思われるあのことを、ジョーはいかにやっているか」。それを自らもやってみる。
仕事を変え、キャリアを決めるのは自らである。自らの得るべき所を知るのは自らである。組織への貢献において、自らに高い要求を課すのも自らである。飽きることを自らに許さないよう予防策を講じるのも自らである。挑戦し続けるのも自らである。