2012年4月11日水曜日

法人化と大学改革(8-最終回)

前回に続き、澤昭裕さんが書かれた論考「国立大学法人法と国立大学改革」をご紹介します。


8 今後の国立大学協会と文部科学省高等教育行政体制のあり方

第一に、国立大学は、文部科学省の施設等機関であり、行政組織の一部であった。したがって、内部組織の設置・改廃には法令の変更を要した。第二に、国立大学の定員は総定員法の枠がはめられており、教官や事務職員は文部科学省の職員として、任命権は文部科学大臣に属した。第三に、予算上も一部を除いて、国立学校特別会計によって一元管理され、個別の大学は、「省内一部局」として予算要求を行っていた。授業料や外部から獲得した資金も、個々の大学には属さず、特別会計の収入となった。また施設・設備・知的財産権(個人帰属分は除く)も国有財産であり、大学による自由な処分は許されていなかった。これらの法令上の制度に加えて、各種の法令解釈権や予算配分権、さらには文部科学省設置法第四条第十五号の「大学及び高等専門学校における教育の振興に関する企画及び立案並びに援助及び助言に関すること。」という規定に基づいて、国立大学運営の日常業務が、文部科学省高等教育局によってなされてきたとみることができる。

これに対して、国立大学側も、教官の個別人事や教育研究内容に関する行政介入がない限り、大学事務局と文部科学省本省との間で行われる予算や組織・定員などに関する業務について、教官はそれほど関与してこなかったのが実態である。このような「半自治」状態が長く続いたことによって、国立大学側には自らの組織運営に関する企画立案能力やマネジメント力が育成されてこなかった。国立大学法人化によって、文部科学省から様々な権限委譲を受けても、その権限を活用しきっていく能力が備わっていないとすれば、あるいはこうした能力を身につけていく努力を意識的に行わなければ、今回の改革は水泡に帰する危険性が大きい。

現時点は過渡期だということで割り引いたとしても、先述したように中期目標の例示など法人化に当たっての作業について文部科学省に助言を求めたり、個々の国立大学にとって戦略遂行上最も重要な人事制度(特に給与体系)の構築について、国立大学協会がモデルを作成しているような状況をみると、国立大学側が「大学の自治」を獲得していく真剣な意思があるのかどうか、疑問なしとしない。

こうした国立大学側の態度は、国立大学法人法が成立した直後に国立大学協会が発表した「国立大学法人化についての国立大学協会見解」を見ると明らかである。同「見解」の中には、次のような記述がある。

「国大協が学部等の組織を省令で明示すべきとしたのは、国立大学法人の業務の中核である教育研究の基本的な内容や範囲を省令において明示することにより国の責任を明確にしようと考えたためである。これに対して、学部等の組織は省令で規定されないこととされたが、文部科学大臣が示す中期目標においてこれらを明確に記載することにより、国の責任は同様に果たされなければならない。」(斜字筆者)

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

第一に、国立大学は、文部科学省の施設等機関であり、行政組織の一部であった。したがって、内部組織の設置・改廃には法令の変更を要した。第二に、国立大学の定員は総定員法の枠がはめられており、教官や事務職員は文部科学省の職員として、任命権は文部科学大臣に属した。第三に、予算上も一部を除いて、国立学校特別会計によって一元管理され、個別の大学は、「省内一部局」として予算要求を行っていた。授業料や外部から獲得した資金も、個々の大学には属さず、特別会計の収入となった。また施設・設備・知的財産権(個人帰属分は除く)も国有財産であり、大学による自由な処分は許されていなかった。これらの法令上の制度に加えて、各種の法令解釈権や予算配分権、さらには文部科学省設置法第四条第十五号の「大学及び高等専門学校における教育の振興に関する企画及び立案並びに援助及び助言に関すること。」という規定に基づいて、国立大学運営の日常業務が、文部科学省高等教育局によってなされてきたとみることができる。

これに対して、国立大学側も、教官の個別人事や教育研究内容に関する行政介入がない限り、大学事務局と文部科学省本省との間で行われる予算や組織・定員などに関する業務について、教官はそれほど関与してこなかったのが実態である。このような「半自治」状態が長く続いたことによって、国立大学側には自らの組織運営に関する企画立案能力やマネジメント力が育成されてこなかった。国立大学法人化によって、文部科学省から様々な権限委譲を受けても、その権限を活用しきっていく能力が備わっていないとすれば、あるいはこうした能力を身につけていく努力を意識的に行わなければ、今回の改革は水泡に帰する危険性が大きい。

現時点は過渡期だということで割り引いたとしても、先述したように中期目標の例示など法人化に当たっての作業について文部科学省に助言を求めたり、個々の国立大学にとって戦略遂行上最も重要な人事制度(特に給与体系)の構築について、国立大学協会がモデルを作成しているような状況をみると、国立大学側が「大学の自治」を獲得していく真剣な意思があるのかどうか、疑問なしとしない。

こうした国立大学側の態度は、国立大学法人法が成立した直後に国立大学協会が発表した「国立大学法人化についての国立大学協会見解」を見ると明らかである。同「見解」の中には、次のような記述がある。

「国大協が学部等の組織を省令で明示すべきとしたのは、国立大学法人の業務の中核である教育研究の基本的な内容や範囲を省令において明示することにより国の責任を明確にしようと考えたためである。これに対して、学部等の組織は省令で規定されないこととされたが、文部科学大臣が示す中期目標においてこれらを明確に記載することにより、国の責任は同様に果たされなければならない。」(斜字筆者)

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

これに対して、国立大学側も、教官の個別人事や教育研究内容に関する行政介入がない限り、大学事務局と文部科学省本省との間で行われる予算や組織・定員などに関する業務について、教官はそれほど関与してこなかったのが実態である。このような「半自治」状態が長く続いたことによって、国立大学側には自らの組織運営に関する企画立案能力やマネジメント力が育成されてこなかった。国立大学法人化によって、文部科学省から様々な権限委譲を受けても、その権限を活用しきっていく能力が備わっていないとすれば、あるいはこうした能力を身につけていく努力を意識的に行わなければ、今回の改革は水泡に帰する危険性が大きい。

現時点は過渡期だということで割り引いたとしても、先述したように中期目標の例示など法人化に当たっての作業について文部科学省に助言を求めたり、個々の国立大学にとって戦略遂行上最も重要な人事制度(特に給与体系)の構築について、国立大学協会がモデルを作成しているような状況をみると、国立大学側が「大学の自治」を獲得していく真剣な意思があるのかどうか、疑問なしとしない。

こうした国立大学側の態度は、国立大学法人法が成立した直後に国立大学協会が発表した「国立大学法人化についての国立大学協会見解」を見ると明らかである。同「見解」の中には、次のような記述がある。

「国大協が学部等の組織を省令で明示すべきとしたのは、国立大学法人の業務の中核である教育研究の基本的な内容や範囲を省令において明示することにより国の責任を明確にしようと考えたためである。これに対して、学部等の組織は省令で規定されないこととされたが、文部科学大臣が示す中期目標においてこれらを明確に記載することにより、国の責任は同様に果たされなければならない。」(斜字筆者)

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

現時点は過渡期だということで割り引いたとしても、先述したように中期目標の例示など法人化に当たっての作業について文部科学省に助言を求めたり、個々の国立大学にとって戦略遂行上最も重要な人事制度(特に給与体系)の構築について、国立大学協会がモデルを作成しているような状況をみると、国立大学側が「大学の自治」を獲得していく真剣な意思があるのかどうか、疑問なしとしない。

こうした国立大学側の態度は、国立大学法人法が成立した直後に国立大学協会が発表した「国立大学法人化についての国立大学協会見解」を見ると明らかである。同「見解」の中には、次のような記述がある。

「国大協が学部等の組織を省令で明示すべきとしたのは、国立大学法人の業務の中核である教育研究の基本的な内容や範囲を省令において明示することにより国の責任を明確にしようと考えたためである。これに対して、学部等の組織は省令で規定されないこととされたが、文部科学大臣が示す中期目標においてこれらを明確に記載することにより、国の責任は同様に果たされなければならない。」(斜字筆者)

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

こうした国立大学側の態度は、国立大学法人法が成立した直後に国立大学協会が発表した「国立大学法人化についての国立大学協会見解」を見ると明らかである。同「見解」の中には、次のような記述がある。

「国大協が学部等の組織を省令で明示すべきとしたのは、国立大学法人の業務の中核である教育研究の基本的な内容や範囲を省令において明示することにより国の責任を明確にしようと考えたためである。これに対して、学部等の組織は省令で規定されないこととされたが、文部科学大臣が示す中期目標においてこれらを明確に記載することにより、国の責任は同様に果たされなければならない。」(斜字筆者)

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

「国大協が学部等の組織を省令で明示すべきとしたのは、国立大学法人の業務の中核である教育研究の基本的な内容や範囲を省令において明示することにより国の責任を明確にしようと考えたためである。これに対して、学部等の組織は省令で規定されないこととされたが、文部科学大臣が示す中期目標においてこれらを明確に記載することにより、国の責任は同様に果たされなければならない。」(斜字筆者)

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

法人化によって、学部学科などの組織編成権は、国立大学側に委譲される。ある機能を果たすべき組織にとって、その機能が有効かつ効率的に発揮できるような内部組織構成を自由に選択できることは、「自治」の確保にとって死活的に重要なポイントである。にもかかわらず、国立大学協会が傍線部分のように、自己の業務組織や機能について、文部科学省令に委ねようとしたことは、「自治」を自ら放棄することに等しい。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

また、同「見解」は他にも、「教育研究にかかる評価の困難性」を指摘し、評価委員会に対して「十分な配慮」を求めるとともに、「財政基盤を確立・強化」するために、国の「特別な配慮を強く求め」ている。たしかに過渡期においては、こうした一定の配慮も必要だろうが、法人化された後は、自ら研究費や寄付などの外部資金の獲得に努めて政府の影響から離脱していく意思を表明したり、厳正な評価を求めることで大学のアカデミックプライドをむしろ高めていったりといった「攻めの姿勢」が必要とされているのではないだろうか。法人化によって大学間競争は厳しくなるといわれているが、国立大学協会の存在自体、曲がり角に来ている。護送船団方式的な発想法から脱皮しなければ、保護と支援だけを求める斜陽産業の「業界団体」に堕してしまう恐れがあることを指摘しておきたい。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

一方、文部科学省の行政も、新しい枠組みに適合したスタイルに変化していかなければならない。この点、遠山敦子文部科学大臣も述べているように、「・・・行政組織の一部としての国立大学の存在から、法人としての法人格を持ってもらって自主性、自律性を高めてもらうということ」なので、文部科学省が「これまで日常的にかかわっていろいろ支援したり助言したりしてきた細々とした対応というやり方そのものを変えていかないといけない」(第156回国会参議院文教科学委員会6月5日)のである。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

そのためには、「文部科学省内の高等教育にかかわる様々な組織の体制も変えていかなくてはならない」(同)が、独立行政法人産業技術総合研究所を設立した際、それまで研究所運営の権限をほとんど全て掌握してきた工業技術院を廃止したように、監督局である高等教育局も、その権限を国立大学に委譲した後は廃止されるべきである。文部科学省が、国立大学法人制度を名実ともに独立した自律的大学を生み出すものと真に理解していることを示すためには、自らの組織変革を遂行しなければ、外部に対する説得力はない。

結 語

高等教育の発展に責任を負う両主体間の意思疎通は重要なことではあるが、制度の基本をゆがめるような両者間の取引や、密室での調整といった手法がとられるならば、国立大学法人制度自体に対する国民の信頼を失うことになりかねない。

本稿で見てきたように、国立大学法人制度が成功するかどうかは、関係者の意識が、制度改革によってどのくらいのスピードで変化していくかに依存している。国立大学を巡る制度について、これほどの大きな変化が加えられることは、もう数十年ないであろう。この期に、真の「大学の自治」を目指した関係者の努力に期待したい。(おわり)


「大学の自治」についての歴史的、哲学的考察は多くあるが、組織運営の観点からの自治の定義として「当該組織が、自己の責任と権限において、自分自身の機能や公正を選択・決定でき、かつ将来の在り様をコントロールできる状態」というふうに定義すれば、これまで、国立大学には自治は制度的に担保されていなかったといえる。

国立大学法人法によって、組織運営の権限と責任は国立大学法人側に移行する。この点は制度上明解である。しかし、これまで長く文部科学省と国立大学とが相互依存関係にあったがゆえに、新法人制度の仕組みは頭で理解できても、実際の実務になると混乱が生じることが予想される。法人となった国立大学法人が決めるべきことについて、文部科学省がパターナリスティックに指導・助言したり、文部科学省の判断権に属することについて、国立大学側が「配慮」を求めたりする場面は、これからも実際上なくならないだろう。