前回に続き、澤昭裕さんが書かれた論考「国立大学法人法と国立大学改革」をご紹介します。
6 中期目標と中期計画
国立大学は、独立行政法人通則法による法人化に強く反対してきた。その理由は、通則法の各規定の中でも、所管大臣が法人に対して業務に関する中期目標を付与し、法人側はその目標を達成するための中期計画案を策定して、所管大臣に認可を受けるという仕組みが、国立大学に対する行政の介入や縛りを強くし、大学の自治が守れなくなるという点にあった。
確かに、所管省である文部科学省の官僚に、個々の大学の目指すべき中期目標を作成する権限を与えては、大学の自治や学問の自由が侵されるという大学側の懸念は、首肯できるものがある。しかし、その論理を飛躍させて、大学は社会との関係性を持たずに、何をやっていても許される場所であるということにはならない。特に、国立大学のステークホルダーは多岐にわたる。教育研究予算を配分する政府、その財源になっている税を支払っている国民、教育サービスを受けている学生、授業料を実質的に支払っている学生の保護者、卒業した人材を受け入れたり研究費を供与する産業界など、大学が説明責任を負う相手は、経済社会全体に広がっている。
もし日本の法制上許されるならば、こうした現代の大学に適合する仕組みは、社会全体と結ぶ「契約」だろう。国民の代表である国会及び国会で議決を受けた予算を国民の負託を受けて執行する政府と大学の間で、対等な立場で一種の契約を結ぶ。その履行状況を監視するために第三者機関を置き、契約期間終了後、遵守度を測定したうえで契約を更新する。
残念ながら、現在の日本の法制度はそれほど柔軟ではなく、既に例のある仕組みである独立行政法人通則法を修正することによって、同様の効果を得るしかない。その工夫が国立大学法人法第三十条第三項の規定である。同項は「文部科学大臣は、中期目標を定め、又はこれを変更しようとするときは、あらかじめ、国立大学法人等の意見を聴き、当該意見に配慮するとともに、評価委員会の意見を聴かなければならない。」(斜字筆者)とする。斜字部分は、独立行政法人通則法の該当条文には存在しておらず、国立大学法人を独立行政法人と差異化する最も重要な部分である。
当然、国会審議においても、この部分についての解釈が議論になり、遠山文部科学大臣は、次のように国立大学の懸念に相当配慮した答弁を行っている。
「(中期目標は)実際的には私は大学が定める、あるいは大学の原案というものをベースにして決めていく・・・(中略)・・・大学ないし大学法人の意図というものが生かされていくわけでございます。私の今言っております実際的にはというところを是非とも将来にわたって記録に残しておいていただきたいと思う」
しかし一方、同じ国会において、文部科学省が昨年12月に国立大学法人に宛てて発した中期目標関連項目作成に係る提出依頼資料が明らかにされ、今後の中期目標策定過程における文部科学省の介入が懸念される事態となっている。文部科学省側としては、国立大学協会から、中期目標及び中期計画のイメージ的なものを出すよう要請されたために、大学側で行う中期目標及び中期計画策定の準備資料として、作成したという認識であることを答弁しているが、これまでの文部科学省と国立大学とのもたれあい構造を示している好例といえよう。文部科学省の介入に対して、大学の自治をタテに大学の自律性を表では強調しながら、実際的な実務になると、文部科学省が持つ行政能力に依存する国立大学という図式である。国会では、文部科学省に対する批判が前面に出ていたが、実際には国立大学法人のミッションを表現する最も重要な中期目標さえ、自ら作成する創造力やイマジネーションに欠ける国立大学側も、同様に批判されて当然であろう。
また、中期計画は単なる予算要求書ではない。中期計画は、中期目標を達成するために、現実にどのような学内資源配分を行い、その進捗を測るためにどのようなマイルストーンを置き、どのようなスケジュールで計画を実行していくのかが記載された実効的な経営方針でなければならない。今後、大学の個性化、多様化に向けての改革努力に真剣に取り組んでいること、またそれがゆえに行政の介入は不要であることを示すためには、各国立大学が、独自の中期目標の原案と中期計画の作成に、最も多くのエネルギーを割いていくことが必須となる。(続く)