2019年1月7日月曜日

記事紹介|教育の原点

新元号となる今年は実質的な移民元年でもあります。バブルの人手不足を機に外国から働き手が加わった平成ですが、共生は課題として残されています。

平成最後の年の暮れ、横浜市の「Y校教室」を訪ねました。横浜商業高校の一角で市の教育委員会が開いている日本語教室です。初期指導が必要な中学生が地元の学校に通いながら、週二回こちらでも勉強しています。

親の仕事で一昨年秋に中国から来た3年生のリンくんは、高校受験に必要な面接シートを日本語講師に見てもらっていました。

◆外国の働き手が日常に

バスケの部活で頑張ったこと、後から来た中国からの転入生と先生の間で通訳したことなど、短い期間での奮闘ぶりがぎっしりと日本語でつづられていました。

授業以外でもインターネットでアニメの「NARUTO」や「ワンピース」を見て日本語を勉強していると、はにかみながら教えてくれました。

ちょっぴり年上のネパールやブラジルなどからの若者たちも通っています。近くの夜間中学校の生徒たちです。

中国から来た女子生徒は、宿題の作文をカレーチェーン店のアルバイト帰りの電車の中でスマホで書いたと楽しげに仲間に話しかけていました。ふだん制服の名札に書かれた名前しか知ることのない、働く若者たちの等身大の姿を垣間見た思いでした。

平成の30年で、外国からの働き手は日常の光景となりました。1989(平成元)年の入管難民法の改正で日系ブラジル人の出稼ぎが急増。九三年には技能実習制度が創設され、2008年に「留学生30万人計画」が公表されました。

◆教育の原点見つめ直す

雇用の調整弁にされたり、低賃金の長時間労働を強いられたりと、つらい思いをした人たちが大勢います。一方で共生に向けて試行錯誤を続ける地方自治体や団地自治会などがあることも事実です。

学校や、ボランティアとして地域で日本語教育に携わる人々も、目の前の子どもたちの未来の扉を開けたいともがいています。

日本語指導が必要な子どもは分かっているだけでも全国で4万4千人。10年で1万8千人増えました。何歳で来日したか、母国でどういう教育を受けたか、一人ひとり事情が違います。100人いれば百通りの学びの入り口が必要です。

Y校教室で教える日本語講師の頼田敦子さんは「子どもが一番求めているのは学校で認められること。ここ(日本)でやっていけるよと、気持ちを引き上げてあげることが私たちの務め」と話します。例えば観察日記や作文などを、通常のクラスで上手に発表できるような機会があれば、子どもたちは自信を持ち、どんどん字も覚えられるようになるそうです。

一人ひとりの子どもの可能性を信じて、それが花開くよう手助けしてあげる。それは日本語教育に限らず学びを支える原点のように思います。市教委が教員向けに開いている日本語指導者養成講座でも「外国の子のためと思っていたけど他の子にも応用できる」などの感想が聞かれるそうです。

多様な子どもを受け入れることで、日本の教育の足腰が強くなっていく可能性も感じました。

入管難民法が改正され、今春から外国人労働者の受け入れが拡大します。国策なのですから、国は彼らや家族の日本語教育の責任を負うべきです。財源の確保や、教育の基準づくり、それを担保する制度整備などが急がれます。

それを前提とした上でボランティアや自治体も引き続き主役でいてほしいと思います。2015年に亡くなったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは遺作「変態する世界」(岩波書店)で、気候変動など、国家の枠組みでは解決が困難な課題に直面する中、世界の都市が市民参加のもと、協力して解決策を探るあらたな国際政治、民主主義に希望を託しました。

多様性に鍛えられた教育のもとで学ぶ子どもたちは、国籍問わず、そんな世界の担い手候補になるのではないでしょうか。

決して容易な道ではないでしょう。くじけそうになった時には、NPO法人の冊子に掲載されている代唯斯(うぇいす)さんの作文の一節を思い出すと良いかもしれません。

◆希望の芽はすでに

<失敗は怖くない。怖いのは失敗したらそこからまた立ち上がることができないことです>

代さんは、2010年に中国から来て高校に通い、現在は東京・青山の中華料理店で店長として働いています。いずれは自分の店を持つのが夢だそうです。日本の学び場はすでに代さんのような言葉が紡げる若者を育てています。

平成と多様性 世界市民を育てよう|東京新聞社説 から