いま日本には、政治を筆頭に行政でも経済でも教育でも、あらゆる分野で「変革」の言葉が踊っています。
時代が大きく転換しようとしているのです。
それを感じ取っているからこそ、「変革」の叫び声がさまざまなところで高くなるのは当然と言えます。
しかし、どうでしょう。
ちょっと大雑把な言い方になるかもしれませんが、いま行われようとしている変革がバナナの叩き売りのように感じられるのは、私だけでしょうか。
何でもかんでも思いつくままに手を出して、どれもがはかばかしい成果を見ない。
あるいは中途半端な結果に終わってしまう。
そいういうものが多すぎるように思います。
改革といっても、やり方は一様ではありません。
日本は民度が高く、あらゆる分野が整っています。
そこにはいいものがたくさんあります。
あらゆるものが未発達未整備な開発途上国を改革するのとは訳が違うのです。
ほとんどのものが整っているという状況の中でやっていくのが、日本の改革なのです。
とすれば、この状況の中でやる改革のやり方というものがあるはずです。
耶律楚材(やりつそざい)はチンギスハンに重用され、モンゴル民族の政権である元の中国大陸支配の基礎を築いた重臣です。
それまで中国大陸支配に君臨していたのは漢民族です。
漢民族は当時の世界でトップクラスの文化文明を備えていました。
文化文明の点ではモンゴル民族よりはるかに上でした。
そこに入っていってモンゴル民族の権力基盤を揺るぎないものにするには、それに対応したやり方をしなければなりません。
耶律楚材はそのやり方を明快な言葉に残しています。
「一利を興すは一害を除くに如かず。一事を生むは一事を減らすに如かず」
無闇に新しいものを始めるのではなく、まず害になるものを除くことを優先させたのです。
民度が高く、ほとんどのものが揃い、整備されている日本では、何か新しいことを始めようとすると、それと重なるものが必ず妨げる力となって働きます。
だから、まず初めに妨げる力となるものを取り除いてします。
そののちに新しいことを始める。
民間主導型の活性化を目指す構造改革は、硬直した制度を取り除く規制撤廃の具体化がその骨子です。
その後、新しいルールを作ることも大事です。
改革とは派手なパフォーマンスを打ち上げて、耳目を集めることだけではありません。
肝心なのは実を上げることなのです。
実を上げない改革など意味がありません。
そのためにも、一害を除いて一利を興す、一事を減らして一事を始める、そういう着実な歩みが、いまの改革にはもっと求められるものなのではないでしょうか。
変革は、まず初めに一害を除き、一事を減らすことから始まる|人の心に灯をともす から