こんな人がいる。
「ジョーンズ。きみや、どこかの重役がやっているような華やかな仕事なら、そりゃあ気持ちもふるい立つだろうけどね。ぼくがやっているような、ろくでもない仕事についていたら、そんなふうに言ってられないと思うよ」
それでは、こっそりお教えしよう。
なんであれ、「仕事」というのは一種類しかない。
すなわち、こまごましていて、単調で、手間がかかり、やっかいで、退屈なもの。
これこそ、どんな職業についていようと、誰もが克服しなければならない課題なのだ。
たしかに、今自分がやっていない仕事にふるい立つのはたやすいだろう。
ところが、やらねばならないときや、みずから学び、成長し、計画を立て、最後までやり通さねばならないとき、仕事はそれほど楽しいものではなくなる。
しかし、「成功おじさん」の第一ルールは、ほかでもない自分の仕事に、気持ちをふるい立たせるようにすることだ。
いつかやろうと思っている仕事に対して、ではない。
たった今やっている「つまらない」仕事にふるい立て、と言っているのだ。
つまらない仕事に気持ちをふるい立たせ、喜びを見出せれば、その仕事はすばらしいものになる。
ある若者が、アイビーリーグの大学を二番の成績で卒業して、わたしのオフィスにやってきた。
「ジョーンズさん、あなたの噂を聞きました。あちこちの会社の面接を受けたんですが、どれもぴんと来ないんです。あなたなら、やりたいことを見つけるのに、力を貸してくださると思いまして」
わたしは思った。
かわいそうに!
ちょっとしたショック療法を施すとするか…。
「やりたいことを見つけるのに、力を貸してほしい?わたし自身のやりたいことさえ見つかっていないというのに、きみに力を貸せるはずないだろう?」
「ご自分のやっていることが、お好きじゃないんですか?」
私は声をあげた。
「大嫌いさ!好きなことをやってたら、満足に稼げやしないよ!」
わたしが何を好きか、ご存じだろうか?
リラックスするのが好きだ。
仕事に関するおしゃべりが好きだ。
休暇と、手数料と、昇給と、のんびりした昼食が好きだ。
それで何が得られるか?
頭痛と、落ち込みと、胸が張り裂けるような悲しみだ。
わたしが何を学んできたか、おわかりだろう。
やりたくないことにふるい立たなければ、「ほんとうに、ふるい立ちたいこと」を満足に得られないという教訓だ。
人生というのは、やりたいことをやるものではない。
現実の人生とは、やらねばならないことをやるもの。
やりたいことをやっている人たちは、最後になって、それがほんとうにやりたいことではなかったと気づく。
一方、やりたくはないが、やらねばならないことをやろうとする人たちは、最後になって、やりたくないと思っていたのが、実はやりたいことだったと気づく。
人生とは主に、やりたいことをやるものではなく、やらねばならないこと、やる必要のあることをやるものだ。
わたしは、かの大恐慌と関わる時代に生まれてよかったと思う。
そのころ、誰もが心理学の手を借りることなく学んだ教訓がある…この世でいちばん気持ちがふるい立つのは、仕事ができるということ。
どんな仕事であれ、職があるというのは、特別な権利なのだ。
昨今は、誰もが自分にふさわしい職業を探している。
「天職にめぐり会いたいんです」と言う人もいる。
わたしは、「もっと大事なものを手に入れてほしい」と願っている。
わたしたちが学ぶべきは、職業が人をつくるのではなく、仕事にふるい立つ人間が職業をつくる、ということだ。
出世コースを歩んでいる人を観察してみよう。
その人が、自分にはなんの価値もなく、すべては周囲からの恵みだと感謝していることがわかるはずだ。
それとは逆に、何に対しても借りがなく、何を手にしても当然という気持ちになったら、そのときから、その人物は、自分でも気づかないままに坂を下り始めるだろう。
よく目を見開いてみて、ほんとうかどうか、たしかめてみるといい。
「次の職のために、準備をしているんだ」と言う人もいる。
すでに手にしている職にふるい立てなければ、おそらく次の職などない。
あなたは、今やっていることに、気持ちをふるい立たせているだろうか?
◇
転んで骨折したとしても、この程度で済んでよかった「ラッキー、幸せ!」と思う人もいれば、「まったくツイてない、不幸だ」と思う人もいる。
幸せという状態があるわけではなく、幸せと感じる人がいるだけ。
仕事も同じで、楽しい仕事や自分に合った天職がもともとあるわけではない。
仕事の中に楽しみを見つけられる人と、見つけられない人がいるだけだ。
そこに無上の楽しみを見つけられた人は、それが天職となる。
「今やっていることに、気持ちをふるい立たせているか?」
どんな仕事がまわってきても…
それを楽しんでやれる人でありたい。
今やっていることに、気持ちをふるい立たせているか|人の心に灯をともす から