キャリアというと、こうなりたいという目標を設定し、それに向かって突き進むものだという誤解が世の中に蔓延(まんえん)している。
それは、子供の頃にその目標を設定できたごく限られた人の話である。
そうはない多くの大人にとって、キャリアとは歩んでから振り返り「ああ、こんな風だったのか」とその全体像が把握できるものである。
やってみたいことをその時の気の赴くままにやってみて、ある時は没頭し、かと思うとすぐに飽きて、また別のことをはじめ、時にはいくつものことを同時にやりながら、なんとなく自分の好きなもの、得意なものを集めていって、その集大成が自分である。
成長とはそれが目的ではなく、何かしらをした結果が、成長なのである。
なので、いい大人が、なりたい自分を先に決めてそれに向かってレールを敷くべく努力するとか、成長のために成長しようとするという自家撞着(どうちゃく)のような行いは、これこそが無駄である。
目的と手段をはき違えていて、こんな人生を送ってしまっては、死んでから後悔してもしきれないだろう。
やりたいことは何でもやってみればいいと言われても、何をやったらいいかわらない。
そもそも、自分は何が好きかわからないというならば、やりたくないことには徹底的に手を出さずにいると、そこで残るのが好きなもの、やってみたいものということになるので、それをやってみればいい。
やってみて違うなと思ったら、辞めればいい。
寄り道はそれくらいの軽さでやればいいのである。
難しく考える必要など一切ない。
軽く寄り道をする癖がつくと、歩んでいるど真ん中の本道も普段と違って見えてくる。
そこの歩き方も変わってくる。
そんなにしかめ面しなくても、肩に力を入れなくても、本道を踏み外さない限り、多少蛇行しようがスキップしような、誰にも迷惑をかけないものだし自分にも不利益がないと気が付くのだ。
こうなると、人生が楽しくなる。
もしもなんらかの理由で本道を行くのがつらくなる時期があったら、その時には寄り道し続ければいいということもわかってくる。
つまり、人生がラクにもなる。
遊び、という言葉がある。
ハンドルの遊びなどと使われて、つまりハンドルを切ってから車体が実際に動くまでのラグ、余裕を意味する。
これがないと、少しハンドルがふらついたら、車体もまたすぐにふらついてしまう。
そうした煩わしさを遠ざけるのが遊びだ。
そうした狙いがわからない人にとっては、遊びはただの無駄に見えるだろう。
寄り道も同じである。
どんなに言葉を尽くして説明しても、理解しない人は一生理解しない。
しかし、わかる人はその重要性をすぐに理解する。
これがなくては大変なことになると見抜く。
だから悪いことは言わない。
すぐに寄り道すべきだ。
さあ、2駅前で電車を降りよ。
寄り道のススメ|人の心に灯をともす から