「人生の前半にいくら立身出世をしたり、功成り名を遂げても、後半生で自己実現を果たさなかったら、それは成功者とはいえない」
といったのは、田中真澄氏だ。
それは、会社にいる現役時代に、どんなに活躍し、地位や名誉を獲得したとしても、定年後、人から必要とされず、何もすることがなく、テレビばかり見ていたら、それは失敗の人生だ、ということになる。
反対に、現役時代はあまりうだつがあがらず、目だった活躍もしなかったが、定年後は、まわりから必要とされ、あっちこっちからお呼びがかかり、水を得た魚のように、いきいきとして活躍している人もいる。
人生は、「終わりよければすべてよし」だと言われる。
シェイクスピアの戯曲の中にも出てくる言葉だ。
マザーテレサは、「死を待つ人の家」を開設し、行き倒れの人や、道端で倒れている瀕死の病人を見つけると、ここに連れてきた。
マザーは、「たとえ、人生の99%が不幸であったとしても、最後の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」と語り、最後の瞬間を安らいだ気持ちで過ごしてもらうよう手厚く介護した。
そして、ほとんどの人が、息を引き取るとき、「ありがとう」と言って亡くなったそうだ。
これは、映画も同じで、物語の途中、どんなに困難なことや、嫌になるようなひどい出来事が次から次へあったとしても、映画の最後がハッピーで終わるなら、我々は幸せな気持ちで映画館を出ることができる。
人生も同様だ。
前半生、どんなに、嫌なことや不運なことがあっても、最後がハッピーだったら、幸せな人生だった、ということになる。
だからこそ、そのために必要なのが「学び」であり、自分を高め続けること。
人生の後半生、何の学びもせず、自堕落に、勝手気ままに過ごし、自分をおとし続けている人が、幸せになった、などということは聞いたことがない。
「終生学び続けること」という言葉を胸に刻みたい。