このたび、国立大学協会の情報誌「JANU」で、内館さんの記事が目にとまりましたので、抜粋してご紹介します。
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国立大学の学生は、恵まれた環境を自覚して、自分自身を徹底的に鍛え上げるべきです。
教える人を敬うことの大切き
いまの若い人たちは、とてもクールに大人を見ています。尊敬に値する人物か、そうではないか、冷静に、冷徹に見ています。「この人はすごい」と思えば、集中してしっかりと講義を聴く。そうでなければ、うわべはニコニコしていても、内心軽んじていますよ。
私は、教える側と学ぶ側が平等であるというのはあり得ないと思っています。教える側は、圧倒的な知識量や解釈の深さを持つべきでしょうね。そうすれば、学生は黙っていても畏敬の念を抱きます。そういう教授が教室に入ってくると、それだけで空気がピンと張りつめます。これは教える側の大前提で、そういう布陣でなければ、学問も教育も研究も成り立たないと思います。
教える内容をもっと高度に
「大学にもいろいろあって、二極化している」と、某私大の教授が言っていましたが、どんな大学であっても教える内容をもっと難しく高度にすべきだと思います。手取り足取りのサービスというのは、大学では一切必要ありません。突っぱねるところは、突っぱねればいいんですよ。
18歳人口が減って、緩くしないと学生が集まらないという事情もよく分かりますが、入口も中身も出口も緩くして、緩いままの学生が社会に出たとき、結局困るのは本人たちです。彼らが生きていく社会はどんどん厳しくなっているわけですから、いろいろな洗礼は大学生までのうちに受けておいたほうがいいんです。
社会に出て痛い目にあって、「このままじゃだめだ」と思ったら、学び直せばいい。いまは大学も社会へ広く門戸を開いていますから、大学に入り直す。大学院に行く。あるいは専門学校に通う。道筋はいろいろあります。自分で気づいたら、もう一度しっかりと勉強しなおすことが大切で、いまはそういうことが許される時代です。また、そうでなければ、国の力が衰えるのは目に見えている。
地方の大学で学ぶことの豊かき
大学相撲部の話ですが、「七大学相撲部対抗戦」というのがあります。旧七帝大の大会です。そのときに感じたのですが、地方の大学の学生たちって、なぜか意気揚々としている。不思議に思って、このことを東京大学を卒業された方たちの多い会合でお話したら、「それは地元の人たちが、その大学を愛し、誇りに思って、大事にしているからだよ。東京は大学が多いからそういうわけにはいかない」と言われて、目から鱗の落ちる思いでした。
事実、東北大学相撲部の学生たちは、仙台の人たちから大きな支援を受けています。お店でご飯を大盛りにしてもらったり、アルバイトに雇ってくれたり、大会のパンフレットにたくさん広告を出してくれたり。そこには心の通い合いもありますし、歴史に育まれた地域文化との交わりもあります。
国立大学は全国で86あるとのことですが、地方の大学で過ごすことには、東京では得られない豊かさ、視点の広がりを得られる。これは、卒業してからも、生きていく上での自分の背骨になると、確信を持って言えますね。
自分に見切りをつけるな
社会人学生になって気づいたのですが、今時の20代の若者でも、どこか自分に自信を持てないのは、私の若い頃と同じですね。まだスキルもない。将来への展望も見えない。表向きは多少突っ張っていても、心の中は不安で一杯。でもそういうときに、絶対に、自分に見切りをつけないことです。周囲の大人たちも、見切っちゃいけない。
どう生きていけばいいのか自信が持てないと、どうせ俺なんかとめげて、自分に見切りをつけたくなりがちですが、20代なんて自分に見切りをつけるような年代ではありません。その気になれば、何でもできます。先も長いですし、私はやりなおしは40代前半くらいまで効くと思う。早くから諦めるのはよくありません。シニシズム(冷笑主義)など、もってのほか。今は自信がなくても、人間は潜在的に持っているエネルギーがあるんですから、大丈夫。
私は、本来大学は、実業を教えるところではないと思っています。もちろん、専攻分野によっては技術的な知識の修得も必要でしょうが、本来は社会に出てすぐに役立つスキルを磨くところではないと思う。社会に出たら忙殺されてできないことを、腰を据えてじっくりと学んでほしいと思います。
恵まれている環境を自覚せよ
授業料にもびっくりしました。東北大学の場合、半期で26万円、年間で52万円でした。私は私大出身ですから、安さに驚きました。それで密度の濃い、素晴らしい授業をたっぷり聴けて、空いている時間は学部の授業にも出られる。ものすごく得をした気分になりました。でも学生たちは、それが当たり前だと思っていますね。
国立大学の学生は、税金を使わせてもらって、少ない自己負担で最高水準の教育を受けているのだということを、もっとしっかりと自覚するべきです。そうすれば、怠けたりさぽったりできないはずです。大学側もそのことを叩き込んだ方がいい。そういう恵まれた環境の中で、エリートを育てて頂きたいと思います。
私の言うエリートとは、一流の訓練を受けて鍛え上げられた、この国の未来を切り拓くたくましい人材という意味です。偏差値が高いだけの草食系ではない。知識の修得とともに、これからの世の中をまっとうに引っ張って行くリーダーの育成が、国立大学の基本的な使命ですよ。
若者は本をたくさん読み自分の意見をはっきりと
学生には、自分の専門領域以外の本を徹底的に読んでほしいと思います。古典でももちろんいいですし、特に明治、大正時代の日本の近代文学の作品に数多く触れてほしい。人間としての自分の裾野を広げることに必ずつながります。
それから、自分の意見を曖昧にせずに、はっきりと言うこと。
最近は、語尾を上げる半疑問の話し方が実に多い。「僕的にはー」だとか「みたいなー」というぼやかした言い方も多い。自分の文章に自分で(笑)なんて記入する。すべて物事を断定せずに逃げ道を作っているわけです。
周囲との軋轢を恐れているのかも知れませんが、こんな根性では社会でやっていけないし、国の体力が落ちますよ。多少周りとぶつかっても、自分の考えを自分の責任において自分の言葉で明確に主張することは、最終的には必ず理解される。そういう力強い姿勢を、これからの若い人たちに期待したいと思っています。
内館 牧子(うちだて まきこ)
1970年 武蔵野美術大学基礎デザイン科卒業
1988年 脚本家
2000年 日本相撲協会横綱審議委員会委員
2002年 東京都教育委員会委員
2005年 東北大学相撲部監督
2006年 東北大学大学院文字研究科修士課程修了