沖縄県名護市長選で米軍普天間飛行場受け入れ反対派の候補が当選しました。
にもかかわらず、鳩山首相は、「ゼロベースで最適なものを選びたいので、あらゆる可能性がまだ含まれている」「(市長選の結果は)それはそれとして、一つの意思だと受け止める」と発言。平野博文官房長官は、「(名護市の選挙結果を)しんしゃくしなければならない理由はない」と発言。
マニフェストを掲げて大勝したことを「民意」だと語る民主党。沖縄の「民意」は切捨てなのでしょうか・・・。
天声人語(2010年1月26日 朝日新聞)
記者を続けていると、取材相手のはっとする言葉に出合うことがある。「民主主義はもうこりごりだ」は忘れがたい。コザ市(いまの沖縄市)の元市長で10年ほど前に97歳で亡くなった大山朝常(ちょうじょう)さんが、絞り出すような声で言った。
元教育者だった。沖縄戦で息子2人、娘1人、母と兄を失った。戦後は政治家として「基地はいらない」と訴え続けた。ところが減りもしない。本土による、本土のための民主主義が苦難を島に押しつけている。日本政府への深い失望が、「こりごり」の一語には込められていた。
そんな基地のひとつ普天間飛行場をめぐって、名護市の民意は移設への異議を申し立てた。市長選で、移設に反対する稲嶺進氏が現職を破った。結果は重い。政府が軽んずれば、「本土のための民主主義」が繰り返されることになろう。
心配なのは鳩山首相の腹のすわり具合だ。戻る橋を焼かれたとも言われる。風見鶏を決め込んでいて青くなったかもしれない。いずれにせよ数カ月で政治家としてのすべてが問われよう。もう「宇宙人」を言い訳にはできない。
戦争で壊滅し、戦後は基地の島になった故郷を「不沈母艦」にたとえて悲しんだのは詩人の山之口貘(ばく)だった。その密集ぶりは、米国防総省の元高官に「小さな籠(かご)に、あまりに多くの卵を入れている」と言わせもした。
「日本の安全保障じゃない。本土の安全保障のために基地がある」。そんな大山さんの声も耳の奥に残る。普天間という危うい卵をつまんで立ちつくす首相は、どこの籠に入れる心づもりなのか。