最近、大学事務職員の役割・機能を論じる記事や、能力開発に関する活動を紹介した記事等を読む機会が増えました。
少子化社会の到来とともに、大学経営の重要性が従来以上に認識されてきていることの表れなのかもしれません。
特に、法人化によって、国の附属組織から、独立した経営体として自分の足で歩き始めなければならなくなった国立大学にとっては、事務職員の担う役割が非常に重要になってきており、平和な公務員生活を送ってきた事務職員は大きな意識変革を迫られることになりました。
既に法人化後4年目を迎えていますが、彼らは期待どおりの役割を果たすことができているのでしょうか。
法人化後の国立大学の事務職員の役割や当面する課題については、これまでもいろんな形で有識者による分析が行われていますが、今回は、国立大学の内情に詳しい天野郁夫氏(国立大学財務・経営センター)のレポート*1をご紹介したいと思います。
教員頼みの大学運営は、事務機構の整備や職員の能力開発の遅れと深くかかわっている。これまでの教授会自治を基盤にした、教員中心の運営方式の下では、事務局に求められたのは、定められた諸規則にもとづくルーティン化した事務処理が大部分であり、職員に大学運営に直接かかわる企画立案等の能力や責任が求められることは、ほとんどなかった。
文部科学省の厳しい官僚主義的な統制が、それをさらに強化する役割を果たしてきたことはいうまでもない。また、具体的な個別の業務にかかわる能力についても、ゼネラリスト重視の官僚の世界を反映して、総務・人事・会計・施設といった大まかな領域設定はあっても、それぞれの職員の専門性が重視され、系統的な人材の育成や能力開発が図られることはなかった。
それだけでなく、法人化前の国立大学では、事務局の指揮命令権限は、人事を含めて文部科学省から異動官職としてやってくる、事務局長をはじめとする幹部職員にあり、学長には何の権限も認められていなかった。
法人化後、事務局の編成から人事まで、権限は文部科学省から大学・学長に全面的に移譲されることになった。その結果、事務局長を置くか置かないかを含めて、各大学とも、事務局の再編や人事について様々な工夫を凝らすようになったことを、調査の結果から知ることができる。
例えば事務局長制についてみれば、従来どおり事務局長を置き事務の一元的統括を行っている大学が3分の1(33%)、事務局長を兼ねる担当理事による一元的統括に変えた大学が約4割(39%)ある一方で、事務局長を置かず、総務等の担当理事が一元的に統括する大学(7%)や、各担当理事が部門ごとに統括する大学(11%)など、多様化が進んでいる。
また、担当理事制が一般的になる中、財務担当理事のうち31人が文部科学省の異動官職でなく、教員出身者で占められていることは既に述べたが、人事担当の理事についても34人が教員出身者となっている。文部科学省からの異動官職が、依然として財務・人事・総務等の主要ポストを占めているものの、役員会、引いては学長と教員出身の理事主導の大学運営が、事務部門にも及びつつあることがうかがわれる。
ただ、法人化から2年が終わった段階で、事務部門の再編はある程度進んだものの、これまで完全に別組織であった事務部門と教学部門を、法人のもとにどのように有機的な関連付け、「イコール・パートナー」として位置付けていくかについて、多くの大学が手探り状態にあることが、「事務部門の運営上の問題点」についての学長たちの自由回答結果からうかがわれる。
【自由回答結果】
- 法人化後、直面した新たな課題に対応していくためには、事務部門の縦割り構造や、これまでの業務のやり方に拘泥するような意識では対応していくことが困難。管理職からの意識改革が必要。
- 6名の理事と事務の部門は直結しているため、この縦割り制が部門間の連携を阻害している。総務担当理事の一元的統括は、人事等に限らざるを得ない。
- 事務局長所管の事務部門と担当理事所管の部門間の調整が十分とはいえない。そのため、事務局長を理事とし、事務組織の統括と全体調整に責任ある立場から当たることができるようにする予定。
- 指揮系統の明確化を図るとともに、部課ごとのセクショナリズムの軽減を図る必要がある。
- 異動官職と学内職員との融和が不十分。
- 各理事の職掌の下で事務が進行するため、横の連絡が十分に取れなくなってきている。大学運営を戦略的に進めていく中で、その総括的組織が整備されていないため体系的な取組みが不十分。
- 教員出身の理事と事務部門の連携が円滑に動いていない場合がある。
- 学長の多くが、法人化により「管理運営の合理化・効率化」が進んだと考えていることは、最初に見たとおりである。しかし、その過程で執行体制、とりわけ実働部隊である事務部門の抱える様々な問題が見えてきたというのが、法人化から2年後の現実といってよいだろう。
- 教員出身の学長や理事にとって、また役員会にとって、事務部門の指揮命令も、経理や人事等の実務も、全てが新しい経験であり、真に合理的で効率的な管理運営の在り方を求めて、手探り状態が続いているのである。
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事務職員の意識改革
現在、多くの国立大学において事務改革に向けた取り組みが進められていることは既にご紹介しましたが、なかなか抜本的かつ迅速な解決には至ってはいないようです。なぜならば、改革に最も重要とされる意識改革、というより意識のない者への意識付けに相当手間取っているからのようです。
先日ご紹介しました外部人材レポート*2でも、次のような事務職員の意識改革の遅れに関する厳しい指摘が記述されていました。
大学という閉鎖社会に身を置く人々の感覚の甘さに対する社会の厳しい批判として真摯に受け止め、速やかに具体的な行動に移すことが求められています。
- 法人化に伴い求められる自立意識がまだ芽生えていない。
- 法人になって3年あまりになっても、まだ意識改革が不十分。
- 事務長の事務職員に対する権威・権限が強く、事務サイドが萎縮している。
- 法人経営に対する意識改革が遅々として進まない。
- 組織としての意思決定のプロセスに時間の概念が欠如している。また、組織としての意思決定があっても、不満であれば実行しない(従わない)ことが許される雰囲気がある。権限、リーダーシップ、予算などを駆使して、このような意識改革を早急に進めることが必要。
- 長い国立大学時代の仕事の進め方が身にしみついている。
- 未だ国家公務員意識を持ち、大過なく働くことを第一とする傾向大。愛校心よりも文科省が絶対になっている(経営の意味を解せず)。
- 中期計画及び年度計画を本気で遂行しようとする者はごく一部。
- 長期的に物事を考えるのが不得手。
- 危機意識が少ないためにリスク感度が甘い。
- 経済合理性で物事を判断する習慣がない。
- 勤務時間に対するメリハリに乏しい。
- 管理職(課長、課長補佐等)の態度が保守的であり、現状を変えることに絶えず抵抗がある。多くの意思決定がなされるが、これを実行する段になると腰砕けになる。
- 公務員感覚から抜けきっていないところがあり、法人の経営という意味での意識が十分ではない。意識改革のために教育・訓練、経営に適した人材の育成・登用、経営に向けての教員・職員の一体感・チーム意識の醸成・高揚に一層の努力が必要。
- 法人化の目的が学長や一部の教職員を除いて理解されていない。
- 様々な問題を抱えているにもかかわらず、全般に危機意識は必ずしも高くなく、民間から積極的に学ぼう、外の意見を積極的に取り入れていこうとする意欲も高くない。特にそれが最も必要な事務局において甚だしい。
- 日々の業務執行に当たって目標達成意識を持っていない。
- 国立大学法人のスタッフに進取の気概が欠けている。
- 「忙しい」が口実になり、合理化・効率化が進んでいない。
- スピード感が遅く、その際、ネックになっているのが公務員意識が抜け切れない点にある。
- 目標達成に向けた戦略や戦術が不足。意識が低い。
- 公務員体質や事なかれ主義等組織の活性化を阻害する体質が醸成されている。
- 個人の独立意識が強く、協調性が乏しい。
- 全学一丸となって改革に取り組むという意識が低い。
- 法人化しても、役所・役人・親方日の丸の意識が抜けていない。改革しようとしている学長の意向が、教授から受付職員にまで全体に及んでいない。全体として相変わらず役人である。
- 意識が以前とあまり変わっていない。新しい役割・仕事に積極的に取り組もうとしない。
- 事務改革・組織改革においては、抜本的な意識改革による大幅な削減がもっとできるはず。
- 将来に対しての危機意識が薄い。
- 事務部門における、いわゆる「お役所仕事」からの脱皮が必要。
- 事務幹部の責任感不足。異動官職制は即刻廃止すべき。
- 自分の立場に対する認識が欠如。
- 目的は何かという発想を身につけていない。そのように育てられていない。
- 危機感が希薄な者、自己本位の者がおり、一層の意識改革への取り組みが必要。
- 旧態依然の考え方で物事を進めようとしている。
- 地域性のためか、時代の流れを認識していない。
- 経営責任があることをもっと認識すべき。
- 国の機関であった時の慣習を切り捨てられないため、法人化したメリット面を十分活用できていない。
- 意識改革を末端にまで徹底することが必要。