2007年11月12日月曜日

教育に対する公財政支出

教育に対する日本の「公的支出」は高い?低い?

経済協力開発機構(OECD)は先頃、2007(平成19)年版の「図表でみる教育」を発表しました。加盟各国を中心に、教育制度に関するデータを比較したものです。
このなかで、国が教育にお金をかける「公的支出」の割合が、国内総生産 (GDP)比で見ても日本は非常に低いことが、改めて浮き彫りになりました。教育の在り方に対してさまざまな議論があるなかで、公的支出をどうするかも今後、大きな課題となりそうです。

自他ともに先進国であると認められるOECDの加盟国は現在30カ国あるのですが、2004(平成16)年度のGDPに占める公的な教育支出の割合は、日本が3.5%で、ギリシャに次いで下から2番目という結果でした。
保護者が払う授業料など「私的負担」を加えても4.8%で、下から5番目です。国際的に見ると、日本はその経済力からすれば決して教育にお金をかけている国とは言えない、というわけです。

それでは、もっと増やせばよいではないか、と考えたいところですが、反論もあるようです。6月に財政制度等審議会(財政審)がまとめた来年度予算に対する建議では、「教育予算の対GDP比のみを以(もっ)て、その多寡(たか)を議論するのは適当ではない」と指摘しています。
その根拠は、1989(平成元)年以降、小・中学生1人当たりの公教育支出は1.5倍以上に増えているのにもかかわらず、「学力低下」に代表されるよう に、教育の問題はむしろ深刻化しているではないか、というものです。それよりも、現在の予算にメリハリをつけて配分するほうが先決だ、というわけです。

もちろん、財政審は大幅な債務を抱える国家財政の再建を重視する立場に立っていますから、教育にせよ何にせよ、「支出を増やせ」という主張は到底のむことはできないわけです。あとは政治的な論議と判断にかかっている、ということでしょうか。

ここで注目したいのは、先の財政審のような論議は、「教育再生」のスローガンの下で教育予算にもメリハリをつけようとした安倍前内閣の下で行われた、ということです。安倍晋三首相の突然の退任を受けた福田康夫新内閣がどのような教育政策を取るのか、まだ明確にはなっていません。

教育再生担当の山谷えり子首相補佐官は留任し、教育再生会議も存続が決まりましたが、新任の渡海紀三朗文部科学相は就任直後の記者会見で教育バウチャー制度に慎重な姿勢を表明するなど、早くも再生会議と距離を置いています。
一方で、伊吹文明前文科相は自民党幹事長に転じ、内閣官房長官には元文科相の町村信孝前外相が配されるなど、福田政権では教育政策に明るい陣が敷かれたと見ることもできます。

総選挙をめぐる与野党の駆け引きも激しくなるなか、教育政策の在り方も焦点の一つになっていくでしょう。国民的な論議の盛り上がりを期待したいものです。(2007年10月11日付ベネッセ教育情報サイト)


高校・大学で1人1000万円超=教育費負担

国民生活金融公庫総合研究所が11日発表した「教育費負担の実態調査」によると、高校入学から大学卒業までに必要な教育費は平均で子供1人当たり 1045万円に上ることが分かった。

世帯年収に占める教育費(小学生以上の在学費用)の割合は34%に達し、旅行・レジャーや外食を控えたり、奨学金制度を利用したりして対応しているケースが多い。

高校・大学の累計費用を高校卒業後の進路別に見ると、私立大学の理系学部に進学した場合は1176万3000円、私立文系では1019万円、国公立大学では866万7000円。1人暮らしをしている子供への仕送り額は平均で年間104万円(月8万7000円)だった。

今年2月に国民公庫の教育ローンを利用した勤労世帯を対象に7月にアンケート調査を実施し、2677件の回答を得た。(2007年10月11日付 時事通信)


そろそろ来年度予算の編成が本格化しはじめてきました。
毎年のことですが、この時期、財務省の魂胆が少しずつ見え始めてきます。
去る10月12月には、財務大臣の私的諮問機関である「財政制度等審議会財政制度分科会財政構造改革部会」での議論の様子が財務省のホームページを通じ公表されています。
財務省が何をもくろんでいるのか、公表された資料が何を意味しているのか、経済財政諮問会議に何をつなごうとしているのか、注視しておかなければなりません。

文科省所管の予算を議論する前提として、毎年必ず取沙汰されるのが、我が国の初等中等教育、あるいは高等教育に対する、いわゆる公財政支出の割合が高いか低いかの議論です。裏を返せば、私的支出、つまり、保護者の負担が国際的にみて高いか低いかの議論です。

ここ数年、OECDによる調査によって「我が国の教育に対する公財政支出は先進国中最低」という結論が明確にされているにもかかわらず、財務省は、あるいは政治家は、教育予算の充実を図る努力を怠っています。
国家財政の危機を後ろ盾に、国家の将来を見誤っているのではないでしょうか。
国家を形成しているのは「金」ではなく「人」であることを改めて認識すべきです。