さて、例えが正確かどうかは別として、法人化後の国立大学には、内閣に相当するしくみが法律によって整備されています。
学長を総理大臣とすれば、閣僚に相当するものが「理事」といわれる役員ということになるでしょう。
現在の国立大学には、前回ご紹介した、いわゆる「外部人材」により指摘された数多くの問題点や課題が山積していますが、解決のための重要なポイントの一つが「大学のトップマネジメントの在り方」ではないかと思います。
(参考)現在の理事体制について「外部人材」が指摘した主な内容
- 法人のトップは、「運営」と「経営」の違いを本質的かつ根本的に理解し、真の意味の「法人化」を実現しようと心底コミットしているようには見えない。
- PDCAのサイクルがなかなか定着しない。執行部がその模範を示すべきではないか。本当の意味での法人化を希求するのであれば、執行部並びに事務の中枢部門に複数の人材を採用すべきであろう。経営のわかる人間が組織の一部となり、旧来の官僚主義と闘う必要がある。
- 組織経営の基本や方法に関する知識や認識が経営陣に不足している。外部の人材をより一層活用し、組織改革・方法論取得を加速させる必要がある。
- 学長・理事・部局長のリーダーシップと率先垂範が不十分である。
- 経営について、もっと専門家を入れるべき。教員では経営はできない。
- 理事の経営者としての意識が欠如しており、無難な道を選択したがる。
- 学長・理事を含めた執行部の体制が弱い。
- 理事に直結した事務組織体制をとっているが、理事間及び事務組織間の連携が十分取れていない。
- 学長、理事は、経営責任があることをもっと認識すべきである。
- 大学の運営能力のあるメンバーが極めて少なく、高等教育論的な知識も欠けている。
- 学長が学部長を任命する人事など、学長のリーダーシップを発揮できる環境を整備すること。
今回は、経営資源の大半を国民の税金に依存している国立大学で、その税金から高額の報酬を得ている経営者たる理事について考えてみたいと思います。
国立大学法人における理事とは
国立大学には、法人化後、役員として、学長、監事(2人)及び国立大学法人法で定められた員数(法定数)以内の理事が置かれています。
国立大学法人法によれば、「理事は、学長の定めるところにより、学長を補佐して国立大学法人の業務を掌理し、学長に事故あるときはその職務を代理し、学長が欠員のときはその職務を行う。」(第11条第3項)とされ、理事は、「人格が高潔で、学識が優れ、かつ、大学における教育研究活動を適切かつ効果的に運営する能力を有する者のうちから行わなければならない。」(第12条第7項)とされています。
また、学長が理事を任命するに当たっては、「任命の際現に当該国立大学法人の役員又は職員でない者が含まれるようにしなければならない。」(第14条)と規定され、このいわゆる学外者の登用に関して、文部科学事務次官通知では、「例えば経済界や私学関係者、高度専門職業人など広く学外から国立大学法人の経営に関し高い見識を有する者や各分野の専門家を登用することが期待される」とされています。
これは、その国立大学の教職員などの学内者だけでは、国立大学法人法が期待する効率的で効果的な大学運営が難しく、また学内者だけではどうしても大学運営が閉鎖的になりがちであることを踏まえたものと考えられます。
法人化前の国立大学では、学長を中心とした執行部が制度的に存在せず、教学と経営の両面にわたる大学の重要事項は、教授会の審議を経て、最終的には評議会で決定されることになっていました。
学長を補佐するため、学校教育法に基づく副学長を置く大学もありましたが、これはあくまでも補佐機能の強化という視点に立った措置であり、学長、副学長に最終的な決定権限は持たされていませんでした。
理事は法の趣旨に応え十分に機能しているのでしょうか
学長や理事には、大学の理念に基づく自学の在るべき姿を具体的に描き、そこに行き着くための戦略を明確にすることが立場上求められており、そのためには、企画戦略を強化するとともに、責任と権限が伴った執行体制の整備が必要となってきます。
しかしながら、法人化以降の3年半、理事を間近で見てきた者の一人としては、まだまだ理事としての役割や使命の達成度、そのために必要な資質の充実度の面において満足のいく状態にはないと実感しています。前回ご紹介した「外部人材」からの指摘でも同様のことが伺えます。
意思決定責任と権限が不明確です
法人化後の国立大学における最高意思決定機関は、学長、理事で構成する役員会であり、これは法律上も明確にされています。
したがって、大学経営面での責任と権限は、学長、理事にあります。
しかしながら、現実には、教学側教員で構成される「教育研究評議会」や、各部局の利害調整機関として多くの国立大学で運用上設置されている「部局長会議」、さらには各部局の「教授会」の了承なしには、実質的に物事を前に進めることはできないという実態があります。
特に前2者の主要な構成員である部局長(学部長や研究科長等)は、相変わらず「部局の自治」を振りかざし、法人経営の最高責任者である学長の方針と対立する場面が繰り返されているのです。
まさに「部局あって大学なし」の思想が常態化しており、そのために、当然ながら「役員会」の役割・機能、学長や役員会のリーダーシップを十分に果たすことができなくなっているのです。
理事職の立場が不安定です
国立大学では、制度上、学長が「法人組織の長」(役員会の長、私立大学の場合の理事長)と、「教学組織の学長」を兼ねることになっており、理事は、少数の民間企業や官公庁等からの登用を除いて、大半が学内の教員出身者で占められています。
私立大学が経営組織と教学組織を明確に分離していることと大きく異なる点です。
学長が任命権を持つ理事は、専任職が制度上の原則になっていますが、上記のように、大半の理事が、教育研究の場である「部局」から法人の「執行部」へのいわゆる出向者(教員出身)であるため、多くは任期終了後には再び出身部局に戻って教育研究の職に就くことになります。
このため、在職中でも、授業や研究活動を続ける理事が多く、結局は、出身部局に後ろ髪を引かれながら、また、出身部局との円満な関係に神経を使いながらの職務遂行となり、全学的視点に立った戦略を体を張って遂行するような勇気のある理事は皆無に等しいわけです。
この点については、教員による人気投票によって選出される学長においても、出身部局や学長選考における支援部局への配慮、授業や研究など教員としての活動を続ける面において同様のことが言えると思います。
経営のプロが不在です
国立大学では、法人化後、特に学長のリーダーシップの発揮や強化が求められていますが、理事の大半が前述のように教員出身者で占められており、「和を尊ぶ雰囲気」や「なかよしクラブ的経営」の傾向が強く、理事同士の厳しい議論や、その結果としての強力な連携が不足しています。
副学長、学長補佐などといった職を設け、学長補佐機能を強化することも無意味ではありませんが、いずれも学内教員出身者からの起用にとどまっている場合が多く、今後教員出身の理事は、教学から完全に離れて、大学経営に関する専門家、有識者として自立しスキルアップに心がけ、当該大学の発展のために骨を埋める覚悟を持つことが不可欠なのではないでしょうか。
また、学長は、理事の資質に不十分な状況があれば、学内教員に替え外部人材を登用するなど、大学経営に責任を持った勇気ある行動が必要なのではないでしょうか。
さらに、現在、全国の国立大学の理事にほぼ例外なく文部科学省出身の職員が出向していますが、彼らは国立大学が文部科学省の地方出先機関であった時代には、事務局長という立場で文部科学省と国立大学の重要なパイプ役を果たしてきたのでしょうが、自主的・自律的経営を目指す法人制度や理事体制が導入された現在においては、従来の行政手法よりも民間的経営手法が求められており、今後は、自分のキャリアパスという側面だけで国立大学を腰掛的に転勤するのではなく、その大学の一員としての自覚を深めることや、経営者としての資質を備える努力を行っていくべきだと思います。競争と淘汰は免れない時代に入っていることを十分認識すべきです。