2017年1月6日金曜日

記事紹介|平等とは

災害に遭う。昨日まで当たり前のように思われた営みが奪われ、困難の中に放り込まれる。どうやって日常を取り戻せばいいのか、どう生きればいいのか、分からない。

個人だけでなく、大災害は地域全体を破壊してしまう。過去の被災地がそうであったように、阪神・淡路大震災でも人々は途方に暮れるばかりだった。


20年前のことだ。被災地の神戸市長田区をドイツの市民団体が訪れた。滞在経験がある作家の小田実さんが招いた。

小田さんは被災者への公的支援を求める運動に取り組んでいた。一人一人の住まいや生活を再建することが被災地の復興につながる。国は支援金を支給すべきだと訴えた。

国はかたくなだった。「支援金を支給すれば震災で失われた個人財産を国が補償することになる。それはできない。阪神・淡路の被災者だけ救済すれば平等の原則にも反する」

国の主張について説明を受けたドイツ人たちは言った。「私たちは神の目から見て平等と言えるのかと考える。地震で被災者は不平等な状態に陥った。支給は当然だ」

キリスト教社会には、人間を超越した「神」という存在がある。私たちの社会ではどうだろう。

居合わせた被災者は語り合った。そして一つの結論を導き出す。

「私たちには憲法がある」

法整備を促す力に

憲法は、国の壁を突き崩そうと声を上げた被災者の支えとなった。

第13条「個人の尊重と幸福追求権」、第14条「法の下の平等」、第16条「請願権」、第25条「生存権と国の社会的使命」…。条文の理念が運動の血となり、肉となる。

国は逆に憲法が定める「平等」を盾に個人補償はできないと拒んだが、超党派の国会議員が運動を後押しし、国会の法制局も知恵を絞った。

出来上がった法案の審議で、小田さんは参考人として意見を述べた。「人間の国を造ろうじゃないか。法案はそのたたき台だ」

1998年、被災地の声を受けて新たな法律が生まれた。「被災者生活再建支援法」である。

阪神・淡路の被災者は対象から外れたものの、復興のために被災者に現金を支給するという考え方は、広く社会に認識された。

法律は支給の増額や使途制限をなくすなどの改正を重ね、最大300万円を支給する制度となる。自治体独自で支援する動きも広がる。自然災害だけでなく、新潟県糸魚川市の火災でも適用されることになった。火災での支援金支給は初めてだ。

被災者は一人一人、被害の状況が違う。一律に扱うだけでは、結果として新たな不平等を生む。それぞれに寄り添い、平等に支えるにはどうすればいいのか。

東日本大震災の発生で先延ばしになっている支援法改正に向けて昨年、日本弁護士連合会が出した意見書が一つの道筋を示す。

平等に大事にする

災害は住宅だけでなく、仕事などを含む生活基盤全体に被害を与える。全壊、半壊などの判定で支援の中身を決めることには限界がある。

意見書が描くのは、介護保険のシステムのように、個別の事情に応じて計画を立てる仕組みを被災者支援にも生かすものだ。個々の被害を詳しく把握し、支援員が立てた計画に沿って生活再建を目指す。

作成に関わった兵庫県弁護士会の津久井進弁護士は「一人一人を平等に扱うとは、平等に大事にするということだ」と言う。

支援の拡大は財源が壁になるが、意見書の指摘は明快だ。「東日本大震災の復興財源25兆円のうち、被災者生活再建支援金が占めるのはわずか1.2%。人間の復興に向けて、さらに手厚くするのは当然である」

昨年、阪神・淡路の被災地では借り上げ復興住宅をめぐり、自治体が20年の期限を迎えた入居者に部屋の明け渡しを求め、裁判所に訴えた。

復興住宅の入居者募集は自治体などの「一元化募集」という形で実施された。同じ建物でも、神戸市が借り上げた住宅に申し込んだ人もいれば、兵庫県の住宅に入った人もいる。たまたま、そうなった。それが今、大きな差を生んでいる。

神戸市と兵庫県では入居の継続に関する条件が違うためだ。県は「判定委員会」を開き、個別の事情にも配慮する。神戸市と西宮市が一律に入居者を提訴する一方、兵庫県や宝塚市、伊丹市は入居の継続を認めるなどの対応を模索した。

これではすべての人を平等に大事にしているとは言い難い。財政的に自治体の対応に限界があるのなら、国が手だてを考えるべきだろう。

憲法は国と行政、そして社会を構成する私たちに強く求める。幸福追求権や生存権など、盛り込まれた理念を実現するために努めよ、と。