文科省政策創造エンジン”熟議カケアイ”のうち、「国立大学法人の課題やその改善方策は?」を読んでみました。
このうち、興味を持ったのは、「文部科学省から国立大学法人への出向人事」に関する議論。
”熟議”には文部科学省の方も参加されていますが、現場の実態がよくわかっておられない点、現行制度をなんとか守ろうとするお役所意識から抜け切れていない点において、私の判定では負け。
意見のやりとりを読む限りにおいては、制度と実態の乖離(国立大学法人の人事への文部科学省による介入が、国立大学法人の運営に支障をきたしていること)についての自覚が不足しているような気がします。
現に、法人化後、国立大学の幹部事務職員(転勤族)の人事権が各学長に委譲されたにもかかわらず、未だにその人事は、文科省の意向に沿って(というより実際は文科省が配置計画を作成し各学長に打診し了解を得る方法によって)行われています。
また、文科省出身者(課長補佐経験者)が、国立大学法人の業務・運営に資する能力ややる気を有するか否かとは無関係に、将来の理事・事務局長候補者として、給与面を含めて優遇されるしくみが残ったままであり、”熟議”における議論を読んでおわかりのように、国立大学法人(現場)には、大きな不満や反発が蓄積しています。
今、国立大学法人という現場で何が起こっていて、何が問題で、その原因は何で、どうすれば組織や業務の活力につながるのか・・・、文部科学省は、”熟議”に参加した方々(特に、個人的には、kenq.infoさん)の素晴らしい提案に真摯に耳を傾ける必要があります。
国立大学法人は、国民のための高等教育機関です。文部科学省のためにあるのではありません。
”熟議”のうち共感したコメントを時系列に抜粋してご紹介します。
まとめ(案)についての指摘事項
freudeさん
SHARK(文部科学省)さん
管理職の多くはもともと大学の職員だったわけですが、現場の職員に比べて、若くして管理職として大学に着任するのですから、政府やそれに伴う高等教育政策の動向、大学制度については文部科学省から出向してきていれば当然熟知していると現場の人間は考えます。
しかしながら「郷に入れば郷に従え」の精神が希薄、2-3年の期間なので、何も起こさないで実質的な任期を全うしたいという役人的発想の人が多い、逆に2-3年しかいないことをいいことに、現場をかき回す、文部科学省や会計検査院の方向を見て仕事をするために大学現場について否定的な発言をする者も多い、などという不満の声があがっていることも事実です。
実際は文部科学省から大学へ出向するのは高等教育を専門とした行政に携わった人間がそう多くはないのも事実でしょう。しかしそれを責めても仕方ありません。ともかく中央で文部行政に携わった経験を少しでも活かして、赴任先の現場の教職員とともに、そこの大学を良くしていこうと本気で業務に臨む姿勢を崩さないようにすることを、出向者そして文部科学省としても啓発することが必要ではないでしょうか。
当事者である管理職は年功序列のために、努力をしても報われないためやる気が起こらなくなるという現実もあるようです。現場、管理職それぞれの立場で悩みを抱えているのが実態ではないかと思います。
ひでまるさん
freudeさんのご意見に賛同します。
以前、文科省からの出向者の方に「文科省での経験(キャリアパス)が必ずしも各国立大学法人での業務に活かされないケースは多々あり、そういった場合に各大学の職員さんが不満を抱くケースが生じるのでは。」というお話を伺いました。また、他の方も指摘されていましたが、学内コミュニケーションがあまり上手でない出向者にお会いするケースもございます。
SHARK(文部科学省)さんから「出向者向けの研修の強化等も行っている。」ことについてご紹介がありましたが、出向前の研修もご検討いただきたいと考えております。
具体的には、1)高等教育を取り巻く環境、政策・制度的枠組みの動向、2)大学の歴史、制度・関係法令、諸外国の大学事情に関する理解といった「高等教育の知識」と、3)組織の効率的な運営、活力のある職場づくり、人材の効果的な育成等に資する組織マネジメントの考え方・方法論、4)問題解決、組織内・組織間の連携・協働、コミュニケーションを促進するための考え方・方法論などの「マネジメントスキル」をパッケージとして組み込むと良いと考えます。
もちろん、前提として、赴任先の教職員とともに、愛学心を持つことが最も重要なことだと考えております。
きのみさん
ひでまるさんの意見に賛成です。
研修も必要ですし、最近は文科省で行われている研修の成果も現れていると思います。
ただ、ひでまるさんが言われている「愛学心」を育ててもらうには、2年という異動サイクルはあまりに短いと思います。
場合によっては1人も知り合いのいない組織に放り込まれ、特別な訓練を受けたわけでもないのに、2年で目に見える成果を出せというのは、あんまりだと思います(それでも成果を出される方がおられるので頭が下がります)。
大学の中で和を大事にすれば、「事なかれ主義」と批判され、積極的になろうとするとfreudeさんが指摘されているように「現場をかき回す」と非難される・・・。
自ら変わろうとしている大学に、知識と経験のある方が赴任するのに、本当の意味で心を1つしないままで終わってしまうケースが多いのは勿体無いと思います。
例えばの話ですが、あまり元気とは言えない地方の大学が起死回生をねらって、
○いくつかのミッションを提示
○文科省の係長又は45才までの課長が対象
○部長又は副理事クラスの給料
○任期は10年
○ミッションに関する進捗管理を毎年行う
という条件で管理職を公募したとします。
制度として成立するかどうかは別として、対象者の方は、どのような印象を持たれるでしょうか?
「我こそは」と思われる方はおられるでしょうか?
それとも、2年で異動する方がよいでしょうか?
kenq.infoさん
きのみさん、はじめまして。
わたしとしては、わざわざ文科省の職員のみを対象にする必要はないと思います。
現状の人事交流の仕組みは文科省からの出向者が優秀かつ、その優秀な能力を発揮できることを大前提としています。しかし、そもそも優秀と思われない方もおり、かつひでまるさんらがおっしゃっているように大学の業務は多岐に渡るようになり、優秀といえどもその優秀な能力を生かすことができるとは限らない場合も増えてきています。それを研修などにより補強するというのはひとつの手ですが、それ以外の方にも門戸を開くというのもひとつの手ではないでしょうか。
たとえば、独立行政法人では折からの天下り批判を受けて役員の公募を今年度から行いはじめ、結果として募集した50ポスト中の38を民間経験者が占めました(官僚OBは6)(http://bit.ly/bk29dQ)。
実際にどういう結果を生むかは今後の検証が必要とはいえ、この事実は入り口の時点では優秀と思われる人材が民間に多数存在したということを証明しています。
独法と同様のことを、今後国立大学法人が事務局長ポストに対して行ったとしてもまったく違和感はないかと思います。現状として(大学側からの要請とのことですが)ほぼすべての事務局長ポストが文科省出向者で占められているということは世間的に問題になってはいませんが、それが問題として表面化するのも時間の問題でしょう。組織の自浄能力が試されていると言えます。
今まで職にありついていた方をどう処遇するかという問題はたしかに存在しますが、それが直接的な理由となって大学として、そして国家として有効な選択肢を取らないというのはナンセンスではないかと思います。大学は役人の雇用安定装置ではありません。
きのみさん
私が幹部職員の公募の例を出しましたが、民間からの登用を否定したわけではなく、今大学で働いておられる課長職の方又はこれから大学の課長になられる方が、現状をどう感じておられるのか、率直なご意見をお聞きしたいと思い、そういう条件にしてみました。
実際に公募をかけるのであれば、当然門戸は広く開放すべきだと思います。ただ、民間に門戸を開放してもしなくても、公募等の管理職採用方法について、その方向に文科省が舵を切りにくいことに変わりはありません。そのため、大学が一方的にそれを主張しても、どこかで規制がかけられてしまうのではないかと思います。
管理職への登用を自分のこととして想像しますと、関係業務について多少の研修を受けただけで、行ったこともない大学に赴任させられ、2年経ったら自動的に次の大学、という制度では、やってみたいという気になれません。
課題を抱えていて解決のための人材を募集している大学があり、その課題が自分の得意分野であれば、心が動きます。その大学に採用してもらえるのであれば、自分の力を試してみたいと感じると思います。結果として期待に応えるだけの成果が得られれば、それに勝るやりがいはないと思います。
公募や長期雇用の制度は、大学が期待しているだけではなく、もしかすると文科省の係長さんや課長になられたばかりに方にも共感していただけるのではないか、と淡い期待を込めて書き込みました。
議論している問題と直接関係ないかもしれませんが、管理職になられる方は年齢的にも子育て等で忙しい時期ですので、腰を落ち着けて仕事をしたいという気持ちもお持ちではないかと思います。
SHARK(文部科学省)さん
公募や長期雇用ということについては、現状においても十分大学の判断で実施することが可能です。任期についても2年というように決まっているわけではなく、実態上、その期間が多いということだと思います。おっしゃるとおり、職員のやる気を高めるという観点から、長期間雇用で公募するということも手法の一つとして有用ではないかと思います。
kenq.infoさん
SHARK(文部科学省)さん
話を戻すようで大変恐縮ですが、もうしばし人事の話にお付き合いください。
さて、この熟議のテーマは「国立大学法人の課題やその改善方法」で、先ほどの議論の中心は職員の人事制度でした。つまり、現状の国立大学法人の人事制度にどのような課題があり、その改善方法はどうあるべきかを熟議するべき場であったかと思います。この目的を定めた場合、仕組みとして大学が主体的な人事を行うことが可能であるかということを確認するだけでは不十分で、結果としてそれが機能しているのか、そして、そうでないとすればどのように改善するべきかという点をもっと掘り下げるべきではないでしょうか。
現状として、今の人事制度が「文科省の意向に依存しがちな法人経営につながる」との指摘はすでに中間まとめ(案)の中にも記述があります。また、これまでの熟議の中でも同様の主張が繰り返し出てきています。これらを鑑みると、うまく機能していない、すなわち現状の制度によって各法人の自主的な人事が阻害されている部分があるというのは否定できない事実と思われます。とすれば、それをどのように改善していくべきかという部分について熟議を深め、意見を集約していく必要があります。今の「この熟議のまとめ」の内容はずいぶんとあいまいな表現で、具体的にどうするべきかという内容が含まれておりません。これでは不十分であると思います。
法人化以降の仕組みはもちろん制度的に強制性のあるものではないとのことですが、実際にはひでまるさんから提示いただいたデータを見ると明らかであるように、法人化以前とほぼ変わらない規模と内容での出向が行われているというのが現状です。つまり、現状の仕組みをそのまま維持するということは意図せざる結果であるにしても、実質上各法人の自主的な人事を阻害していると言えるのではないでしょうか。
これはきっと文科省としての本意ではないのでしょうから、であるとすれば文科省の側から率先して出向人事を自粛して、原則公募とするべき旨を通達してはいかがでしょうか。すべての異動官職に適用するのは大変な負担になるでしょうから、まずは人数的にインパクトが少なく、独法で実績もある理事(事務局長)ポストから始めるということで良いかと思います。
これはあくまで大学がより効率的かつ効果的な組織運営を行っていくための方策であって、文科省からの出向を一概に禁止しようというわけではありません。当然に今の出向者の中にも優秀な方は多数いらっしゃるので、そういった方を排除してしまうのは双方にとって得策でありません。ただし、いかに優秀であろうとも自らの能力と与えられる職との乖離の可能性は免れません。公募とすることにより、法人化以前と大差ない、ある種機械的な人事異動により生まれるミスマッチを未然に防ぐことが可能になります。
一方、大学側としては、組織にとって必要な人材をより広い対象から選択できるようになります。民間出身者を採用しやすくなることはもちろんのこと、同じ出向者についても現状では旧帝大とそれ以外では国家一種採用者来るか否かという序列があるようですが、高額な給与、もしくは魅力的な職務によってそういった人材を地方国立大が惹きつけることも公募とすることによって可能になるでしょう。
このように、出向人事を原則公募制とすることは出向している方にとっても、受け入れ側である大学にとっても、そして大学のさらなる発展を願う文科省としても望ましい策であるように思います。重大な問題があるとすればもちろん再検討すべきかと思われますが、今のところ特に反対意見があるわけでもなく、まとめ(案)の内容との齟齬もありません(文科省との人事交流の重要性はあっても、現状の仕組みを肯定しているわけではない。かつ、その大半、そして管理職ポストが文科省の職員であるべきという主張はどこにもない)。
是非、文科省としてはこの問題を各法人任せにするのではなく、文科省としてどうあるべきという姿勢を明確にすべきではないでしょうか。それが各法人の自主的な取り組みを促進させることにつながるのではないかと思います。
SHARK(文部科学省)さん
人事関係について、若干の誤解があるようですので、現状についてまとめておきます。
まず、誰を理事、部課長にするかについては法人化以降、学長の権限となっており、文部科学省から人を押付けるというようなことは行われていません。現状、文部科学省から職員が出向する場合も法人から申出があり、それに則って行われているものです。出向の期間については、文部科学省の都合、法人の都合等もありますので、要請があった時点で個別調整をするものであり、必ず2年となっているわけではありません。
一方で、文部科学省からの出向者について様々な意見があることは当方も承知しており、今回の検証でも賛否両論があったということを中間まとめ(案)に記述しております。そのような状況を踏まえて中間まとめ(案)では、改善方策として、各法人における経営能力の重視、専門家の登用促進、国大協の検討結果を踏まえた人事交流の改善を進めていくこととしております。
ですので、理事などを各法人が原則公募とすることについては全く問題はありません。今回の熟議においてもそういう意見を多くいただいており、現在のまとめエリアにも公募をすべきという意見を掲載させていただいております。
ところで、出向人事を公募にすべきというのは、大学から要請があった場合に、文部科学省内で出向者を公募すべきということでしょうか?
kenq.infoさん
SHARK(文部科学省)さん、こんばんわ。3点ございます。
まず、若干の誤解があるようですので、主張について再度まとめておきます。
現行制度では学長の権限で人事を行えるのはこれまでの議論でわたしも認識しております。ただ、わたしが問題としているのは、それにもかかわらず、法人化以前とほぼ質的にも量的にも変わらない人事が行われていると思われる点です。そして、その状態が必ずしも望ましくないと文科省の側でも認識があるのであれば、たとえ大学から希望があったとしても安易に出向を認めるのではなく、民間人も含めた公募という形を取るように積極的に文科省の側から薦めてはいかがかと提案しているわけです。この点に関してはいかがお考えでしょうか。
2点目に、各国立大学法人における事務局長ポストの中での文科省出向者の割合と人数についての情報はありますでしょうか。法人化前とそれ以後のような形で比較が可能なもの、そして、現時点のものがあればお教えください。これまで印象の話しかできていませんでしたので、具体的な数字があれば議論もより具体的になるかと思います。
最後に質問について。「出向人事を公募にすべき」というのは各法人が現在出向人事に割り当てているポストを法人の側が公募すべき、という意味です。その枠に対しては当然公募ですから、民間人はもちろん、文科省の方も生え抜きの職員の方も応募できるようにすれば良いと思います。その応募にあたって文科省内でのふるい分けがあると希望する方も萎縮してしまうでしょうから、できる限りそういったものはない方が良いでしょう。
SHARK(文部科学省)
まず、kenq.infoさんからの質問についてですが、法人化後、事務局長というポストは一部の単科大学を除いてなくなっております。法人化後はご存知のとおり、理事等の役員が各法人におかれております。また、法人化前は国立大学の職員=文部科学省職員ですので、全ての事務局長が文部科学省の職員であったと考えていただいて問題ありません。
こういう状況ですので、法人化前後の単純比較はできませんが、昨年の行政刷新会議で提出した資料にもありますとおり、全国立大学法人の役員(学長、理事、監事)679人に占める官庁OBは15人、現役出向者数は69人になっております。なお、この官庁OBには文部科学省以外の官庁も当然含まれます。詳細はこちらをごらんください。
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/pdf/nov25-am-shiryo/3-51.pdf
kuyouさんの提案ですが、現状既に学長からの要請に基づいて行っているわけですので、学長が文部科学省に出向者を求め、文部科学省が案を提示する場合に、その人の過去の経歴等を詳しく聞けるようにするということでしょうか。なお、要請がない場合は当然、文部科学省職員が出向することはないということになります。
kenq.infoさん
SHARK(文部科学省)さん
データのご提示ありがとうございます。質問への回答もよろしくお願いいたします。
さて、データを見る限り、およそ90%近くの文科省出向者の方が各国立大学法人に役員(理事)として在籍しておられるわけですね。興味深いデータです。ただ、この全体数は研究職も含めた形でのデータであるかと思います。これらの数字を除くとどのようになりますでしょうか。また、いわゆる生え抜き職員からの登用、民間人登用はどの程度ありますでしょうか。
もう一点。提示いただいたデータを以前見たときにも気になったのですが、職員数のうちの国家公務員出向者数はどういった方を対象としているのでしょうか。わたし自身でおおよそ想定していた数字とは大きな開きがあります。邪推かもしれませんが、たとえば異動官職の方で文科省→A大学→B大学と異動された場合に、A大学としては対象となるが、B大学としてはA大学からの出向、ということで対象外となるようなことはないでしょうか。推測で話をしてはいけないので、手元のデータで確認してみます。
きのみさん
きのみです。
やりとりをお聞きして、少し疑問に感じていることがあります。
「出向人事は学長の要請に基づいて行われている」のであれば、出向人事はOKなのでしょうか?
文科省と国立大学という対立軸を設定すると、少なくとも国立大学のためになっていると言えるのですが、国の予算がほしくて、又は国からの予算をカットされるのが怖くて等々の理由で出向者を受け入れているのであれば、国民の目線からすれば、それは天下りの構図だと思います。
私もこれまで幹部職員の公募制を主張しておりまして、それは人材確保という観点から大学とってよい制度だと思うのですが、どんな方法であっても、監督官庁の職員が、その監督下にある大学に幹部として出向するという制度に関して、もたれあいの関係がない、と納税者に主張するのは難しいと思います。
昨年の事業仕分けでもそのような指摘がありましたが、そのような疑念に対して、どのような反論が存在するのでしょうか? その答えが、人事の問題を解決する糸口になるような気がしています。
私個人は文科省の職員と大学の職員が供に大学のために働くことは必要なことだと考えております。そのために、上述のような疑念は払拭したいのですが・・
詳しくはこちらをどうぞ
http://jukugi.mext.go.jp/jukugi_tree?comment_id=5275#5275
文科省からの出向者の問題
kenq.infoさん
「国立大学の法人化により、各国立大学は、国の内部機関であった時と比べて、組織の見直し、人事、財務会計などの面で大きな裁量を獲得」とは至るところで聞く話ではありますが、目に見えるような形での変化はほとんどありません。理由は簡単で、それを実際に行っている事務職員とその仕組みが法人化以前と変わっていないためです。
大半の大学における事務組織の上位部分は、法人化以後もほぼすべて文科省からの出向者で占められています(事務局長と部長の全員、課長のおよそ半数)。彼らが大学に来るのは実質的に「人事異動」としてであり、大学側は法人化以前通りに文科省出向者用の席を設け、それを粛々と受け入れているというのが現状です。「人事異動」であるため、彼らがひとつの大学に腰を据えるということはありません。基本的に任期は2年程度であり、2年経てば別の大学へと「人事異動」するというのが通例です。(文科省幹部名鑑を参照のこと)
はっきり申し上げて、このような人材を組織の中心に抱え込んでいては大学の自主的な取り組みなど生まれようがありません。彼らはあくまで文科省の人間であり、大学と文科省の利害が食い違う場合には文科省側に付かざるを得ないためです(彼らの2年後の行き先を決めるのは文科省)。また、まともに何かをやろうにも2年という任期はあまりにも短く、各大学の現状を把握できないままに何もできずに終わるか、把握できないままに何かをやってしまって現場を混乱させるかのいずれかが大半です。
個々の大学が自主性、自立性を高めていくことで教育研究をいっそう発展させていくことができるという意見にはわたしも賛成です。ただ、であるとすれば何よりもまずこういった現状を改めていくことが不可欠とわたしは考えます。具体的な策としては、出向は認めるにしても公募として大学側が自主的に採用できるようにすること(同時に、不採用にできるようにもすること)、もしくは2年の任期を延長させることで個々の大学の現状を理解できるような機会を提供することを提案いたします。
Minさん
kenq.infoさんこんにちは。
文部科学省職員との「人事交流」はまさにその通りです。文部科学省は地方の教育委員会とも同様の人事交流を行っています。若いときに「現場」体験をさせるのではなく、本省人事のバッファとして使用されることも多いようです。
ただし大学も「もちつもたれつ」という認識でいるのは確かで、政策の重点や解釈や判断に迷う問題について精度の高い情報がとれる、という側面もあります。「出向」してきた職員も、筋や使命感などによっては大学のために大変骨を折ってくれるのも事実ですし、それは彼ら彼女らの一般的な「能力」の証明でもあります。
問題の本質は、個々の大学や文部科学省にとってメリットがあるというようなことではなく、国立大学業界の体質が「競争」といっていて実は裏で「談合」になっているということか、あるいは、実はそれはそれで歓迎される(談合ではなく、協調になりますが)ことで、正解なのか、というところにあるようです。
kenq.infoさん
Minさんこんにちは。
文科省と大学が持ちつ持たれつの関係にあることはご指摘のとおりです。また、現状として大学の生え抜き職員よりも文科省出向者の能力の方が高いというのも事実です。よって、わたしとしても完全に出向を廃止する必要があるとは思いません。いわば、「協調」という部分はたしかに存在するのでしょう。
ただ問題はその過程であって、何の過程を経ることもなく一方的に人材を押しつけられているという現状は早急に改められるべきと思います。もちろん中には優秀な方もいますが、あっちこっちで問題を起こしてたらい回しにされているような人材を回されるということも当然ながらあります。(付け加えて言えば、誰が来るかについてもまったくのランダムではなく、旧帝大には国家一種、地方大にはそれ以外といった明確な序列も存在します)
出向者が多くの大学を渡り歩くという仕組み自体は変えないにしても、各大学が出向者をこれまでの実績、経験などで審査し、受け入れるか否かを決められるようになれば、大学側にとっては必要な人材を確保できるようになるでしょう。出向者にとっても、(文科省ではなく)大学に対していかに貢献したかという尺度で今後の将来が決まるとすれば各大学で頑張る動機となり、より「能力」を発揮していただけるのではないかと思います。
kenq.infoさん
seriさん
関心を寄せていただきありがとうございます。
まったくご指摘のとおりで、この仕組みが今の今まで何の指摘もなしに生き長らえていることがわたしにとっては不思議で仕方がありません。若干本筋の話とはずれますが、鈴木副大臣はこの件についてそもそも認識がおありなのかお聞きしたいところです。
若干古いものの、おおよその人数としては以下のようなまとめがあります。事務職員のトップである事務局長(理事)はほぼ全員が文科省からの出向者と考えて問題ないかと思います。
文科省官僚、国立大学法人理事への出向状況 特集その1(http://bit.ly/bL7KkW)
詳しくはこちらをどうぞ
http://jukugi.mext.go.jp/jukugi_tree?comment_id=4847#48