2010年6月28日月曜日

法人化はその目的を達したか、国立大学を良くしたか

文部科学省によって今年1月から進められてきた「国立大学法人の在り方に係る検証」の「中間まとめ(案)」が既に公表され、去る6月17日まで意見募集が行われるなど、現在様々な場所で「法人化」に関する検証作業が行われています。

文科省が国立大学法人の在り方に係る検証結果を公表 (2010年5月29日 大学サラリーマン日記)

「文部科学教育通信」に掲載された記事から、広島大学教授・高等教育研究開発センター長の山本眞一さんの論考「国立大学の法人化について-検証の視点」を抜粋してご紹介します。

法人化はその目的を達したか

第一に、国立大学の法人化がその当初の目的を達成したかどうかの視点である。周知のことであるが、国立大学法人は政府の行財政改革と大学改革の両方の側面を持つ。前者は政府の支出と人員の削減を通じて、少ない資源で多くのことを成そうとする「効率化」がその中心にあり、後者は国立大学の自律性を確保することにより、大学経営の「柔軟化」と教育研究の「活性化」を目指すところにその意図するものがある。(途中略)

その国の業務を政府直営ではなく、独立行政法人に実施させるところに、法人化の特色がある。中期目標の設定や法人の長の任命などを通じ「司令塔」としての機能を担保した政府が、独立行政法人を「実行部隊」として使うことによって、かつ運営費交付金や事業評価などの手段を活用することによって、効率的な事業の実施が図られる仕組みになっている。しかし、本来自律的な組織であり、既存の価値観にとらわれない創造性が求められる大学に、政府事業の実行部隊となることを要求するような性急な改革はいかがなものであろうか。さまざまな駆け引きが政府部内でもあったことは間違いがない。そこで大学の特性に配慮して設計されたものが国立大学法人であった。ある意味で、国立大学法人は独立行政法人の直裁性を緩和した政治的産物であるとも言えるだろう。

効率化と柔軟化・活性化

さて、国立大学法人化が「効率化」という面で目的を達成したのであろうか。確かに運営費交付金は効率化の名の下に毎年確実に削減され、またそれにつれて各国立大学の教職員数はその増加が抑制され、かつ学長を中心とする大学経営の仕組みが強化されたという点で、行財政的改革という見地からは成功であったと考えることができるだろう。もっとも効率的な業務がこれによって実現したかどうかは、なお、さまざまな具体的業務の実態を精査する必要がある。なぜなら、法人化によっては、従来のような「国の一部局」であった時代には不要であった業務も増えているからである。教育研究は、競争的環境の中で確かにアウトプットは増えたかもしれないが、その中身が充実したものであるかどうかも、同様に何らかの方法で確かめる必要がある。

一方、大学経営の「柔軟化」と教育研究の「活性化」という大学改革の視点で考えると法人化はどうであったであろうか。多くの識者が指摘するように、国立大学法人制度には国準拠の多くの制約が残っており、また大学に配られる資源も十分とは言えない。これらは、学長の立場が強化されたとはいえ、その意思決定の手足を縛る役割を果たしている。「国の一部局」から離れることによって、国立大学の経営の自由度が広がったのかどうかについては、なお疑念の余地がある。同様のことは教育研究の活性化についても言えて、制度的な自由度が増したはずであるにもかかわらず、法人化以前の国立大学運営の慣行が残っていたり、あるいは資源制約の観点からその自由度が事実上制約されてしまったりというのが、現場の教員の実感ではあるまいか。

法人化は国立大学を良くしたか

その第二の視点は、法人化が国立大学を良くしたのか、ということである。つまり、法人化によって、その経営は大学の目的を達成するのにふさわしいものになり、かつ教育研究は活性化し、学生サービスは充実したであろうか。この点についても、事実に即して検証が行われるべきであろうが、ただ、私の実感から言えば、法人化という大きな衝撃によって、大学の教育研究活動は世の中の人々の関心事となり、また大学の経営陣や教員にとっても、自らの活動を社会に対して説明していかなければならないという意識は、確かに高まったように思う。この点だけでも、法人化は、国立大学の体質改善に大きく寄与したものと、私は確信している。しかし、問題はその体質改善の度合いと、裏腹の問題として、依然として残る国準拠の制度および教職員の一部に見られる公務員的体質であろう。

もっとも、国立大学を大きく変えることになった要因は、必ずしも法人化だけではない。つまり現在の大学改革の流れは、グローバル化の知識社会化の進展や18歳人口の減少、わが国の経済・社会の変動という大きな要因に求めるべきであり、法人化はその大きな要因の中で生じた重要だが一つの要素に過ぎないのである。要は、法人化にかかわらず国立大学が変わらざるを得なかった側面と、法人化が直接に作用した側面とに分けて考える必要があり、多くの側面は前者に関わるものではなかったかと思う。

国立大学の役割やそれに対する世論の期待は、時代とともに変わっており、また今後も変わっていくであろう。国立大学の将来をどのようなものとして考えるか、法人化の検証を機会に、さらに議論が深まることを期待したい。(文部科学教育通信 No245 2010.6.14)

おまけですが、ちょうど1年前、第一期中期目標期間の検証と将来展望に関する記事を書いていましたのでご紹介します。

新たな中期目標・計画への展望-1 (2009年6月22日 大学サラリーマン日記)
新たな中期目標・計画への展望-2 (2009年6月23日 大学サラリーマン日記)