去る6月3日、文部科学大臣は中央教育審議会に対し、「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」の諮問を行いました。
諮問理由は、次のように要約されると思います。
中央教育審議会答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」(平成18年7月)を踏まえ、教職大学院制度の創設、教員免許更新制の導入等が実現しているが、学校現場の抱える課題に必ずしも十分に対応できていないといった指摘もあり、教員一人一人が教職生活の各段階を通じてより高度な専門性と実践的な指導力を身に付けられるよう更なる改革が求められる。
(参考) 「今後の教員養成・免許制度の在り方について」(平成18年7月中央教育審議会答申)(抄)
- 教員養成に対する明確な理念(養成する教員像)の追求・確立がなされていない大学があるなど、教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分でないこと。
- 教職課程が専門職業人たる教員の養成を目的とするものであるという認識が必ずしも大学の教員の間に共有されておらず、講義概要の作成が十分でなかったり、科目間の内容の整合性・連続性が図られていないなど、教職課程の組織編制やカリキュラム編成が、必ずしも十分整備されていないこと。
- 大学の教員の研究領域の専門性に偏した授業が多く、学校現場が抱える課題に必ずしも十分に対応していないこと。また、指導方法が講義中心で、演習や実験、 実習等が十分でないほか、教職経験者が授業に当たっている例も少ないなど、実践的指導力の育成が必ずしも十分でないこと。特に修士課程にこれらの課題が見られること。
今後、中央教育審議会総会の下に設置された「教員の資質能力向上特別部会」において、以下の3つの審議事項についての検討が進められることになっています。
- 教職生活の各段階で求められる専門性の基盤となる資質能力を着実に身に付けられるような新たな教員養成・教員免許制度の在り方について(教職課程の期間・内容等の充実、教職大学院の在り方の検討、課程認定の厳格化など)
- 新たな教員養成の在り方を踏まえ、教職生活の全体を通じて教員の資質能力の向上を保証するしくみの構築について(教員免許制度の見直し、現職研修の充実、免許更新制の検証と在り方の検討など)
- 教育委員会や大学をはじめとする関係機関や地域社会との組織的・継続的な連携・協働のしくみづくりについて(関係機関や地域が一体となって教員を育て支援する環境づくり、多様な人材の登用など)
教員の資質能力向上については、日頃の教育実践や教員自身の研鑽を基本としつつ、大学等における「養成」、都道府県・指定都市教育委員会等における「採用」、そして教員になってからの「研修」という各段階を通じて、様々な施策が体系的に行われていますが、中でも「大学における養成」が原則と言われています。
このため、国立の教員養成大学・学部の存在価値は極めて大きく、これまで以上にカリキュラムや教育組織の見直しなどの改革に邁進していく必要があります。
(参考) 教員養成の課題(文部科学省)
2 財務省による予算執行調査
現在、国立の教員養成大学(11大学)及び教員養成学部(33学部)を対象に、財務省による「予算執行調査」が行われ、既に全機関に対する書面調査と、4つの教員養成大学(京都教育大学・奈良教育大学・大阪教育大学:5月17日~18日、愛知教育大学:6月10日)に対する実地調査が行われています。
教員養成大学・学部にメス-財務省予算執行調査 (2010年5月23日 大学サラリーマン日記)
関西3大学に対する実地調査における財務省からの質問等については、既に日本教育大学協会のサイトで公表されていますが、3大学とも概ね共通しており、財務省の問題意識は次の点にまとめられるのではないかと思います。
- 国立教員養成系大学・学部出身者の公立学校教員採用者に占めるシェア(占有率)は年々低下(小学校6割、中学校3割、高等学校1割)してきており、そもそもの存在意義、必要性は変わってきているのではないか。役割は終わったのではないか。
- 教員養成系大学の存在意義、使命・役割は何か。”小学校教員の養成”に特化すべきではないか。
- 全ての教員養成系大学・学部で、全ての科目の教員を養成する必要はないのではないか。(例えば、国数英社理の主要5科目以外の科目の教員は、教員養成系大学・学部で養成しなくてもいいのではないか。)
- 全ての教員養成系大学・学部に、教員免許を取得するために履修が必要な全科目の教員を配置する必要はないのではないか。(例えば、小学校教諭第一種免許取得に必要な「その他の科目(日本国憲法、情報等)」については、各大学に教員を置かず、他大学と連携(教員を共有)すればいいのではないか。)
- 免許取得を目的としない「新課程」を維持する意義は何か、不要ではないか。将来の採用増に向けて教員養成にシフトすべ きではないか。
財務省による予算執行調査は、今年度から通年化されました。現地調査を含め、年末(予算査定ぎりぎり)まで続くことが予想されます。財務省から直接関係大学の学長、役員にメールも送られているようですし、したたかな戦略に対して油断は禁物です。
上記の財務省が持つ問題意識に、ある教育関係者の方は次のようにおっしゃっていました。
教育が国家100年の大計であること、その中核は「教師・教員」であることは言を待つまでもありません。「誰に代わることもできない、真のプロ教師とは」「その養成如何?」等々は、権力行使の主体機関が言うのみならず、一人ひとりの教員が真摯に考える問題です。しかし、このことが希薄になっている現状を憂えます。
なぜ、「主要5科目(国数英理社)・・・」と言うことが、こともなげに使われるのでしょうか。「学校は塾にあらず」です。いわゆる「主要5教科」はいずれも「認識教科」です。「認識」は、確かに教育の中核に位置します。しかし、「知徳体」「真善美正」と伝統的に語られてきた教育の真髄は何処に行ったのでしょうか。「感性の教育は?」「心身の健全教育は?」「技術の教育は?」・・・。教育における国際競争への着眼・動機からなのでしょうか。
また、教員として求められる4つの事項*1。私の○○大学での授業体験から言えば、この4項目以前に、学生たちの「社会通念上の常識の欠如」は目を覆うものがありました。対峙には勇気と時間を要しました。
示唆に富むお話だと思います。財務省の経済原理主義が、いかに国を滅ぼす危険極まりないものか、国民の皆さんは知っておかなければなりません。