2010年6月23日水曜日

終わらぬ戦世、まだ見ぬ平和

地上戦で多くの住民が巻き込まれた沖縄戦から65年。沖縄は今日(23日)、犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えました。65年前の沖縄戦で日本軍の司令官が自決し、組織的戦闘が終わった日、とされています。

最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の丘・平和祈念公園には早朝から遺族らが次々と訪れ、沖縄戦の犠牲者らの名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に手を合わせ、「平和の鐘」が鳴り響きました。

本土を守るために、沖縄はずっと犠牲になってきました。今でも本土のための犠牲は続いています。本土の人々が戦争の心配もなく安心して暮らせているのは、故郷を基地に消された沖縄の人々のおかげです。

私達は、日本軍と一体となって戦ってきたのに”捨て石”にされてしまった沖縄の人々の苦しみと平和を求める声を、他人事のように無視する”愚か者”であってはいけません。


昨年も同様の日記を書いていました。

命どぅ宝-沖縄戦を忘れない(2009年6月24日大学サラリーマン日記)

今日の戦没者追悼式典では、普天間高校3年の名嘉司央里(なか・しおり)さん(17)が「変えてゆ く」と題した平和の詩を朗読しました。

米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市に生まれ育った名嘉さんが5月末に書き上げ、県内の小中高校生の1851点から選ばれたそうです。

今日もまたはじまる
いつもの日常
当たり前に食事をして
当たり前に好きなことを学んで
当たり前に安心して眠りにつく
そんな普通の一日

今日もまたはじまる
いつもの日常
当たり前に基地があって
当たり前にヘリが飛んでいて
当たり前に爆弾実験が行われている
そんな普通の一日

一見「平和」に思えるこの小さな島
そこにいつの間にか当たり前ではない
当たり前であってはならないものが
入り込んでしまっていた

普通なら受け入れられない現実を
当たり前に受け入れてしまっていた

これで本当にいいのだろうか

平凡な幸せを感じなが ら
ただただ「平和」を望む今
簡単にこの違和感を
無視していいのだろうか

黒いたくさんの礎
刻まれるたくさんの名前
そこで思い知る
戦争が残した傷跡の大きさ深さ
何も幸せなど生まれなかった
何も手に入れたものなど無かった
すべて失ったものばかりだった

忘れてはならない
この島であった悲しい記憶
目を背けてはならない
悲しい負の遺産
それを負から正に変えてゆく
それがこの遺産を背負い生きてゆく
私たちにできること

変えてゆくのは難しい
しかし一人一人が心から
負である「戦争」を忌み嫌い
正である「平和」を深く愛する
そんな世界になれば
きっ と正の連鎖がはじまるはずだ

6月23日 慰霊の日
あの黒いたくさんの礎には
たくさんの人々が訪れる
そして その一つ一つの名前に触れ
涙を浮かべながら語りかける

「今年も会いに来たよ」と
手を合わせ目を瞑(つむ)り祈りを捧(ささ)げる
その訪れた人々に
「平和」を願わないものはいない

「一度あった事は二度ある」
そんな言葉を聞いたことがある
しかし  こんな悲惨な出来事は
もう繰り返してはならない
だから・・・
「一度あった事は二度とない」に
変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう

その想いはきっと届いているはずだから


(関連報道)

首相慰霊の地へ―沖縄の民意に耳を澄ませ(2010年6月22日朝日新聞)

鳩山由紀夫前首相が辞任したからといって、何ひとつ解決していない。沖縄県の米海兵隊普天間飛行場の移設問題は振り出しに戻ったにすぎない。

菅直人首相は「沖縄慰霊の日」のあす、沖縄県を訪れ、戦没者追悼式に出席する。前首相が「最低でも県外」の公約を果たせず、深く傷ついた政府と沖縄の関係を再構築する出発点にしなければならない。

太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、住民を含む20万人超が犠牲となった。米軍による占領・統治は本土の独立後も20年間続いた。

なぜ沖縄に在日米軍基地の75%が集中するのか。なぜ沖縄県民が前首相の公約違反を「沖縄差別」と怒るのか。その原点に向き合うことから始めたいという菅首相の姿勢は正しい。

政府に対する信頼の回復は極めて厳しい。しかし、この壁を乗り越えない限り、現行の日米合意を基礎にして移設を進めようとしても、出発点にすら立てない。

菅首相は就任早々、名護市辺野古への移設を確認した鳩山政権時代の日米合意を履行する方針を明らかにした。民主党の参院選マニフェストにも、日米合意の踏襲が明記された。

前政権下できしみ続けた日米関係の足場をようやく固め直そうかというところである。首相には、前政権の副総理として閣議決定に署名をした責任もある。

しかし、名護市長は受け入れ反対を崩しておらず、仲井真弘多知事も「実現は極めて厳しい」と明言している。日米合意は滑走路の場所や工法の検討を8月末までに終えるとしているが、地元の理解を得ない頭越しの決定は事態をこじれさせるだけだろう。

辺野古移設を「強行」するようなことは決してあってはならない。それが大原則である。時間がかかっても県民の声を丁寧に聞き直し、最低限の納得は得られる打開策を探るべきだ。

菅首相は、沖縄の負担軽減に力を尽くす考えを強調している。しかし、口先だけでは地元の信用は得られない。訓練の移転でも、訓練海域の返還でもいい。まずは先行して負担軽減の話し合いを米国政府と始めるべきだ。

首相はカナダでのサミット時に、オバマ大統領と会談する。日米安保体制を安定的に維持するためにも、沖縄の負担軽減が欠かせない事情を、正面から大統領に伝えてほしい。

首脳外交をみずから機能不全に陥らせた鳩山氏の轍(てつ)を踏んではいけない。
同時に、沖縄の問題を日本全体の問題として受け止め、同盟とそのコストをどう調和させるか。せっかく生まれた議論の芽を大切にしたい。一政権の崩壊という代償を払った課題である。政治の取り組みも、国民の関心も、ここで失速させてはなるまい。