官房副長官が野党の国会対応を「田舎のプロレス」「ある意味、茶番だ」と言った。農林水産相は審議が始まってまもなく、「強行採決」を促すかのような発言をした。
ともに国会審議をバカにする姿勢がありありだ。ただ、2人は発言を撤回し、謝罪もした。その意味では、見慣れた光景だった。
これに比べて、鶴保庸介沖縄・北方相の「土人」をめぐる対応は人権にかかわる、より深刻な問題だと考える。
沖縄県の米軍訓練場の工事現場で10月に、大阪府警の機動隊員が市民に「ボケ、土人が」と口走った。これについて国会で「私個人が大臣という立場で、これが差別であるというふうに断じることは到底できない」と答えた。
12月の国会審議でも、同じような答弁を重ねた。
なぜ、差別ではないのか。
「土人」には「その土地に生まれ住む人」だけでなく、「未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた」(広辞苑)という意味がある。「ボケ」をつければ、相手をさげすんでいるのは明らかだ。
「大臣という立場」の使い方も解せない。カッとなった若い機動隊員とは違う。国民に選ばれた政治家、しかも閣僚ならばこそ、差別だと認めるべき立場ではないのか。
この問題では著名な作家が「私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう」と新聞に書いた。
「土人」という単語に焦点を当てた、問題のすり替えに驚いた。それでも個人的な感想であり、賛同する読者もいたのかもしれない。
だが、沖縄担当相がこの作家と同じ判断をすれば、政府と県の亀裂を深めるだけだ。
それなのに政府は、野党議員の質問に「(鶴保氏が)謝罪し、国会での答弁を訂正する必要はない」と政府答弁書で回答した。
こんな幕引きが、政治の言葉の粗暴さを助長させることを懸念する。
いま、世の中では「正規VS.非正規」や世代間の格差が露見し、不平や不満が鬱積(うっせき)している。そのトゲトゲしさが融和よりも相手を撃破する政治手法への支持を広げてゆく。だから言葉もささくれ立つ。
こんな時代こそ、人権や差別に敏感でありたい。とくに政治家には、そうあってほしい。