組織に働くわれわれのほとんどが、驚くほど小さな成果しかあげていない。私は半世紀以上いろいろな組織の人と仕事をしてきた。ほとんどの人がよく働き、いろいろなことを知っていた。しかし十分に成果をあげている人は少なかった。
成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし組織というものが最近の発明であるために人はまだそれらのことに優れるにいたっていない。
成果をあげるための方法は、かつての一人だけの工房の時代と、今日のような組織の時代とでは異なる。一人の工房では仕事が人をつくりあげる。組織では人が仕事をつくりあげる。
成果をあげるための第一歩は、行うべきことを決めることである。いかに効率があがろうとも、行うべきことを行っているのでなければ意味はない。しかる後に、優先すべきこと集中すべきことを決めることである。そして自らの強みを生かすことである。
成果をあげる道は、尊敬すべき上司、成功している上司をまねることではない。たとえ私の本であっても、そこに載っているプログラムに従うことではない。指紋のように自らに固有の強みを発揮しなければ成果をあげることはできない。なすべきは自らがもっていないものではなく、自らがもっているものを使って成果をあげることである。
自らの強みは自らの成果でわかる。もちろん、好きなこととうまくやれることとの間には、ある程度の相関関係がある。また、人は嫌いなことには手間をかけないことから、嫌いなこととうまくやれないこととの間には、さらに強い相関関係がある。
だが、アルバート・アインシュタインのような例外はある。彼は、「シンフォニーで弾けるぐらいバイオリンがうまくなれるなら、ノーベル賞と取り換えてもよい」といっていた。その彼が弦楽器に必要な技をまったく欠いていた。日に四時間弾いていた。それは彼の強みではなかった。数学は嫌いだといっていたが、才能があったのはその数学のほうだった。
強みとはスキルの有無ではない。能力である。読めるかどうかが問題ではない。読み手であるか聞き手であるかが問題なのだ。それは右ききや左ききのように、変えにくいものである。
強みが人によって大きく違うことが広く認識されるようになったのは、ごく最近のことである。朝型人間がいる。知覚型人間がいて、理論型人間がいる。
しかし、人の強みと弱みについて間違って理解されていることが、対人関係の得手不得手である。多くの人が、話し上手だから人との関係づくりは得意だと思っている。対人関係のポイントが聞く力にあることを知らない。