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人を活かす組織
ドラッカーが著書『マネジメント』の中で、「人こそ最大の資産である」、「組織の違いは人の働きだけである」といっているが、平素、いろいろな大学を見ていて全く同じことを感じている。前稿で、募集状況があまり良好でない大学はチャレンジ精神が重視されない風土があると書いたが、そのような組織は、もったいないことに最大の資産である人を活かす機会をつくっていないのである。取り巻く環境が順風だった時代には、新しいチャレンジの必要性を感じる組織は少なく、いろいろな人の意見を受け入れること、新しいことにチャレンジすることは、むしろ対立や混沌を生み、失敗という結果も予想される無用のことだったといえる。
しかし、現状のように少子化という構造的な逆風が吹く環境の中では、選ばれる大学にならなければならない。18歳人口は、2021年度になると現在より10万人程度減少することになる。仮に半分が大学に進学すると仮定しても、5万人の入学者が減少することになる。5万人といえば、小規模な大学で考えると200から300校程度の入学者に相当する数である。このため、各大学ともこの先10年間の18歳人口の安定期に、それぞれの存在意義を高める方策を企画し、実行していく必要があるといえる。
先に大学の危機の時代を迎えたアメリカの、マーケティングの著名な研究者カレン・フォックス博士は、2008年に来日した際にインタビューに答えて次のように語っている。「危機に直面した大学が再生するための方策は、3つしかない」と。博士のいう3つの道とは、規模を縮小するダウンサイジング、他大学によるM&A、そしてイノベーション、変革である。
日本の大学の現状を見てみると、既にダウンサイジングやM&Aといった道を選択した大学も出てきている。もちろん人口減少の時代であるから、市場を調整するという意味でのダウンサイジングや、補強しあうM&Aは有用な選択といえる場合も少なくないであろう。しかし最適な選択肢は、やはり時代のニーズに対応したイノベーションという道である。既存の制度の上に立っての大学経営では、社会の活性化は図れないのである。
ドラッカーによると、イノベーションとは既存の資源に対して、新しい価値を生み出す能力をもたらすことである。そして新しい価値を生み出すのは、当然ながら『人』である。イノベーションをもたらすことのできる組織となるためには、そこで働く『人』の意欲をいかにして引き出し、『人』を活かす組織となれるかにかかっているといえる。
人の意欲を引き出すためには
人は、どのようなときに行動意欲が起きるのであろうか。それは、欲求を満たそうとするときである。日本社会がまだ貧しかった頃は、「食うため働く」ということが、仕事の原動力となっていたのである。心理学者のマズローが提唱している『欲求段階説』というものがある。人間の欲求には段階があって、下位の段階の欲求が充たされると、次の段階の欲求を充たそうとするというものである。
現在の日本の社会、とりわけ大学においては、図の下から3つ目までの欲求、すなわち生理的欲求、安全の欲求、所属の欲求は充足されているといえる。問題は、その次の段階にある承認の欲求である。皆さんの職場では、承認の欲求に関しての充足状況はいかがであろうか。日本の社会では、大学だけでなく、企業も含めてこの承認欲求が充たされていないケースが非常に多いといわれている。私の知り合いのカウンセラーが、悩みを抱え相談に来る人のほとんどが「がんばっているのに認められていない」という不満を持っていると言っていた。日本人には、「言わぬが花」という言葉もあるように、すべてを言葉にすることをよしとしないという文化がある。このため、職場においても、なかなか面と向かって褒めるということは少ないし、小さな成果の場合には、そのまま特に取り上げられないというケースも少なくないと思われる。
では、組織において承認されるとは、どのようなことであろうか。分かりやすい具体例は、昇格とか特別昇給といったことである。その人の挙げた成果が認められ、評価された結果としての昇格、昇給ということが当事者に理解されるため、当事者は承認されたという気持ちを持てるのである。しかし、大学の場合は仕事の成果が数字として表れにくい業務が多く、また数字として表れる業務であっても、それが個人の成果と直接には結びつきにくいという事情があるため、なかなかそのような承認は行われにくい環境であるといえよう。また、仮に昇格、特別昇給といった承認が行われたとしても、それは稀な事例であり、日常的なものではない。教職員の意欲を恒常的に高め、維持させていくためには、日常的に行われる承認の方がむしろ重要なのである。
セミナー等で参加者に「認められたと感じるときは、どんなときですか」という質問をすると、いろいろな答えが返ってくるが、多い答えは「自分の話を上司がよく聴いてくれたとき」とか、「重要な仕事を任されたとき」といったものである。このような状況を生むためには、組織の構成員がお互いの存在を認め合い、皆で共同体としての組織を構成しているという意識を持つことが不可欠である。このような意識を持つことができたならば、他人の話をよく聴くこともできるようになり、よく聴いてくれるから『報・連・相』も進んで行いたくなるというように、良いコミュニケーションの連鎖が生じてくるようになり、その結果、組織の活性化が促進されることになるのである。
アリに学ぶ組織論
新聞に、北海道大学の長谷川英祐准教授が書いた『働かないアリに意義がある』という本が紹介されていた。それによれば、生物は集団ではなく、自分の遺伝子を多く後世に残すことを目的に、これまで進化してきたという。長谷川准教授はインタビューに答えて、生物学から考えた機能する組織とは、部下を理解し、尊重し、部下の意見をきちんと汲み上げてフィードバックを欠かさないというように、そこで働くことが自分のメリットとなると感じられるようなマネジメントが存在する組織であるといっている。そして組織全体が、メンバー同士を仲間だと認め合う『承認の共同体』となっていくことが大切であると結んでいる。
大学は個々の営業社員が売上を上げることで全体の売上が上がるという組織とは異なり、チームプレイで成果を上げていく組織である。先日、ソフトボールのコーチを長年経験した人から聞いた話であるが、ソフトボールの試合では、意識は対戦相手でなく常に自分のチームに向いていなければ駄目であると。チームプレイの秘訣を垣間見たと思った。『承認の共同体』、これからの大学運営のキーワードとなるはずである。(文部科学教育通信 No291 2012.5.14)