2007年2月、勤めていたアメリカの企業から異動命令を受け、米西海岸から日本に移り住むことになった私は、4月からの勤務開始まで東京の観光名所をまんべんなく楽しんだ。外国人である私にとって、銀座の輝き、浅草の活気、新宿の陽気など、すべてが新鮮だった。伝統が生きている街、絶えない歴史の物語、食の美しさ、そして秩序ある人々、すべてが初めて感じる風土であり、魅力であった。これからの日本生活がますます楽しみで仕方がなかった。しかし、勤務開始日の初出勤で、その夢は砕けてしまった。
まるでロボットの集団 ここは本当に日本か?
私は赤坂にある職場に、ジーンズ姿にラフなシャツ、スニーカーを履いて出勤した。アメリカのIT業界では働きやすい服装として最も好まれる姿である。しかし、赤坂の風景は、まるで違っていた。同じスーツ姿、同じ顔をした人々が、工場からロボットが生産されるように、エスカレーターで続々と上がってくる。その容姿の同じさと、生気がない顔が、私にはロボットのように見えたのである。朝の余裕などは一切感じられず、小走りで走っていく人々の姿を見て、ここは本当に日本か?と一瞬戸惑ったくらいだった。私の服装が逆に場違いと感じるほど、みんなが同じに見えたのである。少し冷静になって、皆さん忙しいんだな、ニューヨークもこんな感じだしな、と思いながら業務初日を迎えた。
当時、日本では「改革」が社会的テーマになっていた。経済紙やニュースでは、Information Technology(IT)が世間を変えているともてはやされていた。私は最先端を走るといわれる日本の技術が「改革」を起こすことを夢みていた。例えば、当時の日本のWEBは文字ベースで埋め尽くされた日本固有のスタイルを持っていて、アメリカではデザイン性や利便性において、ユーザを考えてないと不評だった。しかし、WEBの中で扱われる蓄積された文化や、アニメ、漫画などといったサブカルチャーが生み出すコンテンツはアメリカにはない、非常に魅力あるものだった。それが「改革」を成し遂げようとするとき、日本を発信源とした新たな文化が生まれ、世界はきっともっと豊かになると確信していた。そう、私としては、日本の「改革」はアメリカが進むべき「改革」の一部を見せているものであり、研究対象でもあったのだ。
突っ込みどころ満載なインフラに呆然
ところが、仕事で直面した日本は、率直に言って「中身がスカスカ」というしかないものだった。特に関係会社の社内インフラを見た瞬間、衝撃を受けたのである。いくつもの企業が、1990年代中盤に米国で使われたシステムをそのまま運用していたのである。また、BlackBerryなどの移動式端末も使われておらず、外部に出たらeメールすら確認できない状況だった。PCのスペックが前時代で止まっていて、アプリケーションが止まったり、エラーになったりと業務に支障を起こすくらいだった。ネットワークにおいては、証明されたネット通信が確保されてなく、一般のプロトコルを使っていて、セキュリティーがまるでない状況だった。専門的な目からすると、まさに突っ込みどころ満載なインフラに私は呆然とした。これが技術先進国日本のインフラなのかと現実を把握したのである。
ロボットのように働く人々は、乏しいインフラを使って効率の悪い業務を行っていた。とある社内セキュリティーを大事にするIT会社は、eメール規則やファイル交換規則において、ある意味最強の対応をとっていた。外部へのアクセスを完全に遮断する。外部とのコミュニケーションを起こさないやり方で、セキュリティーを強化していた。たとえば、eメールはあらかじめ承認された相手としかやり取りができない、ファイル添付は許さないなど、まさにイントラネットを構築したのである。
そして、FTPなどのファイル交換には、社内LANではなく、一般回線につなげてファイルを伝送していた。これにセキュリティーの意味があるのかと、当時の私には全く理解ができない対応を取っていたのである。しかし、何より驚いたのは、この環境を仕方ないとし、効率が悪いまま働き、一切改善しようとしない社員たちだった。ある社員は、社内インフラは乏しいので、自前のノートパソコンや移動式端末を使っていたが、セキュリティーは当然乏しくなる。セキュリティーを大事にするという目的の表面だけを備えて、実際中身がスカスカになっていたのである。
インフラは変えることができる。これを改善するのは私の役目だと考え、張り切って取り仕切ろうとした。しかし、会社もまたロボットのような動きと対策しか取れない状態であった。稟議を上げると数カ所の決済を取らなければならないため、機材購入申請稟議が2カ月以上かかった。業務においても新規事業提案などが実質行われないし、事業予算稟議においては年度中に意思決定が下りないケースもあった。根拠も目標も定まらない人事制度、新商品開発における消極さなど、すべてにまるで意思を感じられなく、単純業務を終わることなく続ける、製造ラインのロボットとしか思えなかったのである。これが、12年ほど前、私が経験した日本の企業の姿であった。もちろんすべての企業がこうではなかったが、納得される読者も多いのでないだろうか? 改善が進んだ現在でも、このような現状は、多くの企業が抱える問題として根強く残っている。
日本企業の「改革」は「改変」にすぎない
「改革」を英語でいうと、一般的に「Innovation」と表記する。日本でもよく使われる単語だ。当時、世界の企業において、「改革」という単語は、売り上げを伸ばす魔法の言葉だった。しかし、日本企業がうたう「改革」は、私には見た目だけを変えて、現代に合わせる「改変」、つまり「Modification」にしか見えなかったのである。私はその原因を個人的経験と、様々な企業のカウンセリングを通して探り続け、ようやく一定の答えを見つけた。
「改革」が「改変」になる原因として、組織の構成において幾重にも重なる上下関係がある。経営をする立場である経営陣は、現代の知識や市場の流れを、体を張って経験し、自社に取り入れるために、日々勉強を重ねていく。これだけでも大変な業務である。日本企業の場合、トップダウン型の組織構成が多く、経営陣の数が少ないため、一定の重要性を持つ業務がトップに集中する傾向が起きる。問題は、経営陣に業務が集中した状態で、トップ同士の交流や活動が続くと、社内に目を向ける意識が薄くなり、物理的な時間が確保できない現象が起きる。
経営陣は各部署の長(管理職)から報告を受け、社内の環境などを整えていくわけだが、日本企業における致命的な欠陥とは、管理職に対する経営陣の評価基準が、短期決算における売り上げという結果値の「数字」が、絶対基準になっていることではないだろうか。数字を気にするがあまり、インフラや従業員の勤務環境に目を向けられない、という立場の問題が発生する。そして、最も気を配るべき企業の構成要素である「環境」を犠牲にする傾向が、世界で類をみないほど強く表れる原因は、この構造が背景にあると考えている。
「改革」には、個人の意識を変えるのと同時に、初期投資という費用が必要になる。そして、毎日のように「改革」が起きている現代の市場では、費用が発生する初期投資を毎日行う必要がある。初期投資とは、人材育成、インフラの整備改善、営業活動、マーケティング活動など、直(じか)に売り上げが発生しないものばかりだ。売り上げという結果値の数字だけを気にする組織が、この事前投資が多く必要とする「改革」を行えるはずがない。表面だけを変え、見栄えのいい「改変」を行うことで、「改革」がない変化を遂げてしまっているのが、今の日本企業の姿である。その結果、商品やサービスにも競争力がない現象を招いている。
ロボットからサイボーグ、そして人間へ
うれしいことに、クラウドの誕生で、インフラ構築の概念が変わり、必要コストもかなり下がった。セキュリティーがある程度確保できる環境が低コストで整えられるようになった。また、スマートフォンが一般的になり、インターネットを通したインフラへのアクセスがスムーズにできるようになった。スマートフォンとクラウドの組み合わせは、日本企業の業務速度を飛躍的に上げている。しかし、意思決定は以前と変わらぬまま、世界トップの所要時間を必要とする。意思決定が遅いのは「改革」を実行してこなかったからだ。この場合、業務速度が速くなったのが「改革」ではなく「改変」であることは理解しやすい。
「改革」にもっとも必要なのは、「意識」だ。長期にわたる努力が、ある一定時間を過ぎると「改革」になる。しかし、今の日本の企業には、長い時間をかけてでも「改革」を行う必要があると意思決定を下し、コストをかけ、日々の状況を把握し、組織の効率性や生産性を数字だけではなく目に見えないところでも改善していくという「意識」が欠けている。この「意識」が企業内で統一されてこそ、軸がある企業になれるといえるだろう。「意識」の統一には、企業の経営体制や運営体制における改善はもちろん、経営者の迅速な意思決定も必要になる。
想像してみよう。最高経営責任者が社内外から正しい情報を得て、ビジョンをもって事業を考え、迅速に実行の意思決定をし、業務命令を下す。そして、各部署の長は、その業務命令を元に、自分の組織で最も効率化できる手段を考え、現場に業務指示を行う。社員たちは下りた指示について議論し、意見を現実と照らし合わせながら、シミュレーションを行う。シミュレーションの結果をもって、上層部とコミュニケーションを行い、より現実的な目標を全社内で統一して、最高経営責任者は目標を確定する。まさに、絵に描いた良組織である。そして、これはITの発達により決して理想ではなくなった。その現代を今、われわれは正しく把握しているだろうか? ただ「わからない」「コストがかかる」などを理由に逃げているのではないだろうか?
最近、赤坂を訪れたら、人々がロボットからサイボーグになっているように感じた。人間に近い形になっているのだ。SF小説などでよく使われるネタとして、サイボーグは人間になりたがるというのがある。このネタを企業で例えると、「人間」とは企業にとっての「成長」といえる。では、人間になるために、何が必要なのか。企業を構成するすべての人々がぜひ考えてほしい。最高経営責任者も、管理職も、社員も、考えるべきである。そして、正しい「意識」をもって、上下関係なく議論し、意見を交わし、ぜひ本当の「改革」を行って、日本の本当の力を発揮してほしいものだ。もちろん、私もその努力を日々続けている。
「改革」と「改変」のあまりにも大きな差~日本企業が超えるべき課題とは|沖縄タイムス から ※下線は拙者(役所でも大学でも実情は同じではないかという趣旨で)