新聞やネット上では、来年の改元を控えて、平成時代を振り返る論評が目立つ。
・国の借金が膨れ上がり、将来世代に負の財産を残した
・東西冷戦が終結し、グローバリズムの波が押し寄せた
・デジタル化にょって、ライフスタイルが一変した
60年以上続いた昭和と違い、平成の30年は、誰もが実感をもって回顧できる、程よい長さなのだろう。
大学政策にとっては、平成とはどういう時代だったろうか。
規制緩和による改革の時代だった
昭和50年代に国の財政が悪化し、国立大学の新増設や私学助成の拡大が難しくなると、臨教審は、改革を各大学の自主性に委ねる方針を掲げ、規制緩和を提唱した。
平成3年、大学設置基準の大綱化によってカリキュラムが自由化されると、大学現場で改革論議が巻き起こり、今日に至る大学改革の大波となっていった。
たった一本の省令改正がもたらしたインパクトは、想定をはるかに超えていた。「規制緩和政策の最高傑作」と秘かに思っている。
財政支援策が多元化した時代だった
昭和から平成にかけて、一般会計から国立特会への繰入率(=国立大学への補助率)が低下し、法人化後もその傾向が続いたのは残念だった。
他方、科研費は平成初期の500億円から2000億円超へと拡大し、財政融資資金が使える奨学金は、2000億円から1兆円超へと急成長した。
運営費交付金・私学助成といった機関補助も1兆円以上の規模が保たれており、財政支援のツールは「一本鎗」から「三本の矢」へと多元化した。これだけツールが揃った国は、ちょっと珍しい。
ガバナンス改革が求められた時代だった
ガバナンス問題は、かつては「管理運営」とか「組織運営」と呼ばれ、大学紛争以降は半ばタブー視されていた難題だったが、ようやく国立大学の法人化に伴って、仕組み自体は整った。
ただ、仕組みをどう整えようと、本質的に上意下達が馴染まない大学という組織のガバナンスは、どこの国でも(アメリカでも)面倒なものらしい。「大学ガバナンスに近道なし」と覚悟を決め、時問と手間を惜しまず頑張ってほしい。
平成とは、まさに「大学改革の時代だった」というのが、率直な実感だ。
背景には、昭和の終盤から続く国の財政悪化の影が濃い。所詮、改革とは、そういう苦しい時にこそ前進するのだろう。だとすれば、次の時代も改革が求められるのは、まず間違いない。
やれやれ、また一緒に汗をかきますか。