「世の中は不平等である」こう書いてしまうと身もふたもないが、おそらく、多くの人がそう思っているのではないだろうか。
家が裕福なら、金の苦労をしなくても済む。
親がよいコネを持っていれば、就職にも困らない。
要領が良い性格なら、出世も早い…。
それは現実かもしれないが、いくら嘆いたところで、世の中が変わるわけではない。
それよりも、勤勉、努力、体力、勇気、何でもいい、今自分が持っているものを数え、それを生かす方法を考えるほうがはるかに建設的だ。
幸福そうに見える人でも、必ず悩みを抱えている。
自分の思い通りに生きている人など、一人もいない。
「親にカネがない、コネもない」と不平等に文句を言い、「目が可愛くない!」として嫉妬心を強くしたり、世間を恨む前に、「持たないがために、現在の自分がどれほど恵まれているか」に目を向けるべきである。
健康で、仕事もあり、帰る家がある。
どんなにお金があっても、病気だったり、家庭が不仲で会話がなかったり、友人が一人もいない…。
そんな辛く孤独な生活を送っている金持ちや美人をたくさん知っている。
自分をとりまく環境や持っているものに不満を持つどころか、わりと恵まれている方ではないかと思えるはずである。
フランスの哲学者デカルトの幸福論には、「人が支配できるのは世の中でも他人でもなく、自分自身の思想だけである。ベストをつくしても、それ以外のものを変えることができないとわかれば、手の届かないものを得ようとする欲求を起こすことはない」と書かれている。
デカルトは運命に逆らうよりも、自分の欲求を変えようと努めた方がよいと主張しているのだろう。
京都、石庭で有名な竜安寺には「足る(満足)を知れ」と書かれた蹲(つくばい)がある。
真ん中に「口」という字を共有したデザインで書かれているた、「吾れ、唯、足るを、知る」と読む。
「ないことを嘆くのではなく、あるものを数えて喜んで生きる」という言葉がある。
あるものとは、今与えられているものだ。
与えられているものに、感謝をして生きることこそが、幸せに生きる道。
どこに視点を向けるのか。
不平不満を増幅させるようなものばかりを見ているのか。
不平不満は、また新たな不平不満を呼ぶ。
反対に、「ありがたい」、「おかげさま」と感謝する対象を見つけ続けるのか。
感謝の習慣のある人は、感謝したくなるようなできごとがまた起こる。
「われただ足るを知る」
今あるものに感謝できる人でありたい。
われただ足るを知る|人の心に灯をともす から