2019年8月26日月曜日

記事紹介|「時短」の前に「人材育成」を

本来の目的は「生産性の向上」

政府の言う働き方改革の目的は、少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少や、介護の増加などによって働く人の総数が減っているため、働くことを阻害するものを減らし、人々が働きやすくすることで生産性を向上させ、これまでの日本の生産力=経済力を維持・向上させようということ。

生産性とは、「労働による成果(≒利益、付加価値)」÷「労働投入量(≒労働時間、人件費)」という計算式で表せるもの。同じ労働時間、人件費で生み出す付加価値、利益がどれくらいになるかを示す指標。

この計算式を考えれば、生産性を上げる方法は2つしかない。分母(労働時間、人件費)を減らすか、分子(利益、付加価値)を増やすか。どちらかができれば、生産性は向上する。

結局は「少ない労働時間で同じ成果を上げる」ということを目指す、つまり労働時間をいかに削減できるかという問題に行き着く。

今の政府や企業が行っている施策の多くが、「労働時間を減らす施策」。例えば、時間外労働の上限規制(原則月45時間、年間360時間)は、残業代が減ることで人件費が減る。
現状の働き方改革は、生産性を上げるためにインプットを減らすことばかりに注力しているといってよい。

働き方改革の「大きな見落とし」

労働時間短縮(時短)ばかりを進めようとするから「働き方改革」が、「働かない方法の改革」とか「休み方改革」であると揶揄されてしまうわけで、ここには大きな問題が隠れている。

理屈では、確かに同じ利益(付加価値)を少ない労働時間、少ない人件費で出すことができれば生産性は上がるが、実際にそうはならない。

もし働く人の能力が変わらない状態でインプットである労働時間を減らせば、利益(付加価値)とは結局「労働時間」と「能力」の積だから、アウトプットは減る。前述した分母(労働時間、人件費)だけでなく、分子も(利益、付加価値)も減るわけだから、生産性は決して向上しない。

「生産性」の正体は、働く人の「能力」である。つまり、「働き方改革」とは、働く人々の能力を向上させること。にもかかわらず、「能力の向上」に手をつけずに労働時間を減らせば、それに連動して利益も減ることになり、結局、生産性が向上することはない。

「短い時間で成果を出さなくてはならなくなれば、各自工夫して能力向上するのでは?」という意見もあるが、それはあまりにも楽観的な考え。多くの人は、「こうすれば評価され、こうすれば非難される」というインセンティブを作っただけで、そのとおりに動けるほど自律的ではない。

生産性の向上という本来の「働き方改革」の目的を実現するのであれば、最初は社員やチームの能力開発を先行させなくてはならない。「短い時間で同じ成果」を出せる「能力」を身に付けるしかない。

具体的には、暗黙知のままになっている仕事をマニュアル化や仕組み化などによって形式知化し、ノウハウ展開が可能となる素地作りを行う。そして、社員の不足する能力を見極めて目標設定を行い、その能力を獲得できるような仕事への教育的観点からアサインを行ったり、研修やトレーニングを実施したりするということ。

求められるは「人材育成」

能力開発をする前に時短を先行させてしまうと、能力開発に悪影響を与える可能性がある。まず、短時間で成果を出そうとすると、どうしても人材育成は後回しになる。また、仕事を教えるために共同作業したり同行させたりするなど、短期的な生産性の観点からはダブルコストになるようなことは敬遠されるようになる。

仕事上のすべての知識やスキルを形式知化するのは至難の業だから、「見て学ぶ」ことは仕事において大変重要なのだが、それができなくなる。形式知化されたものはオンラインセミナー等でも学ぶことは可能だが、そうでないものは引き継がれずに失われていく可能性がある。

企業はまず「働き方改革」は、現在のような「労働時間の削減」ではなく、「個々人の能力開発」が最重要課題であるということを理解することが重要。そして、改革の順序を、「能力開発の実施」→「労働時間を短くする制度の導入」という順番に変更していくことが望まれる。

「働く時間減らせばOK」と考える経営者の大誤解|東洋経済 から