2019年8月6日火曜日

三流官庁

文科省に対し、マネジメントや政策の妥当性について反省・再考を促す手厳しい記事。共感できるところがあります。以下少し抜粋します。

マネジメント改革に加えて、過去の政策・施策に関する反省こそ、今、取り組むべき最も重要な課題である。当然と考えられてきた政策・施策を含めて、一切の棚卸作業を進めるべきである。文部科学省は、世界トップ100に10大学を入れるといった実現の目途がない目標を無責任に掲げてきた。あるいは、株式会社立教育機関の認可など結果責任の持てない規制緩和を実行してきた。今また、国立大学法人への運営費交付金の流動化(評価に基づく配分)が始まっている。新たな給付型奨学金を含む修学支援システムも、制度の運用の公正性、施策としての費用対効果に大きな疑問がある中で、準備が進んでいる。大学入試改革は、制度設計の当初から迷走を続けており、国民からは改革の理念や成果が全く見えなくなっている。他方で、社会教育など、時代に即した展開を停止しているとしか思えない分野も無為無策に放置されている。渋々やらされたことも多かろうが、やっているのは文部科学省自身であり、決して責任は免れない。過去の失敗への反省なくして、未来の成功は導けない。
行政を担う政策マンとしての専門性を磨いてこなかったために、社会の変化に対応したリーダーシップを施策の形で取れないままでは、三流官庁そのものである。先輩たちからの聞き取りを含めて、政策・施策の棚卸作業を、有望な若手に徹底的にやらせて、鍛錬・勉強の機会にすればよい。危機感だけあって、政策・施策で何をどうしたらよいか分からないのでは、組織の弱体化を止められない。幹部みなが賛成する事業しかやらない企業は、右肩上がりにはならない。文部科学省は、すでに最安値圏にある。過去の反省を糧に、力量と志のある人間には、失敗を恐れず新規のテーマに挑戦させるのが、唯一の再生への道になるだろう。これまでの典型であった消極的・内向的な人間は、幹部であろうとも、もはや要らない。官房付けにでもして、若手に席を譲ってもらえばよい。そんな役所になれば、リーダーシップのある志の高い人間が集まってくる。これまでのように、ひたすら行儀よくしているだけでは、何も変わらない、変えられない。10年後に再び「解剖」があれば、相変わらずの三流官庁だと言われるだけだろう。尤も、文部科学省が存在していればの話である。
文部科学省の解剖で何が変わるのか?|NUPSパンダのブログ