2019年8月8日木曜日

諸悪の根源は文科省です

文脈から筑波大学の学生だと思われますが、これは多くの大学に共通する話だと思います。

現役の学生がここまで赤裸々に訴えていることをどのように捉えるかは、受け手の立場や考えによって異なります。

しかし、少なくとも、大学の執行部、教職員、そして文科省や財務省は、これまでの政策・制度・慣行等に大きな問題があることを謙虚に受け止める必要があるのではないでしょうか。

そして、大学人は「大学は学生のためにある」ことを、あらゆる価値判断の基準に据え、「自分が大学に何ができるか」を常に自問していく姿勢が求められていると思います。

以下気になったところを抜粋引用します。
国立大学である以上、大学側は文科省に強く反発し、独自路線を敷けないのが現状なのかもしれません。
文科省→大学→学部への上意下達。しわ寄せが来るのは末端にいる、一人一人の教員や学生です。
文科省から怒られないために、大学の持ち味である専門性がどんどん崩落していく。
外面をとりつくろうことによって中身がますます形骸化するいい例です。そのくせ「大学ランキング」などという外からの評価を気にして、「成果を上げよ」と言うのだからお笑い種です。
日本において学問や研究や教育は、全般がどんどん窮地に立たされているように感じます。
世間において大学は「就職のための踏み台」程度に扱われているようです。ただでさえ4年生の大詰めの時期に、就活に時間を割かれる現状。就活はさらに長期化するとの見込みもあります。
「マークシートでは暗記力しか測れない」とセンター試験を廃止。大学入試改革を謳いながら、その実は民間企業との癒着。
「同世代は働いている人が大多数」と、少数派だからと授業料免除の対象外となる大学院生。「少数派だから」という理由が理由として成り立つことは、少数派というだけで排除されうるという危険を助長しはしませんか。
小学生の早い時期から導入されようとしている「キャリア教育」。
即効性ばかりが重視され、「仕事(ビジネス)や実生活に役に立つ学問」以外を「無駄」と排除しようとする風潮。どんどん削られていく予算。
労働がなければ社会は成り立ちません。それは事実です。けれど、何もかも「働くこと」だけに帰結するのは、もうやめにしませんか。人生の価値は、人間の価値は、労働だけですか。
大学、ひいては文科省に振り回された一学生の嘆きでした。初めに申し上げた通り、国立大学はお国から予算を頂いている以上「シンプルに予算が足りない」「国の犬にならざるを得ない」といった側面もあるように感じます。文科省サマに逆らえない以上、どんな無茶ぶりにも尻尾を振って応えているのが弊大学の現状です。
文句しか言わない学生が悪い? つっぱねられない教員が悪い? 無茶ぶりを横流しする大学が悪い?
いいえ、悪いのはこの上意下達的なシステムです。
諸悪の根源は文科省です。
文科省サマに逆らえない>< ある国立大学の実情|ゆきこ