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「自殺の練習をさせられていた」。マンションから飛び降り自殺した男子中学生をめぐるアンケート結果の内容が明るみに出て以降、警察による強制捜査、大津市による第三者委員会の設置準備、文部科学省によるいじめについての緊急の全国調査へと波紋が広がっています。
今夜は、真相解明の課題について考えたいと思います。
生徒へのアンケート調査の結果は、男子生徒が亡くなった3週間後に大津市教育委員会から公表されていました。その時の結論は、男子生徒は複数の同級生からいじめを受けていた、ただし、自殺といじめの因果関係は明らかではないというものでした。
男子生徒が亡くなった1週間後には全校生徒へのアンケート調査が行われていましたので、ある意味すみやかな対応でしたが、結局真相を解明するための調査を十分にしていませんでした。
いじめと自殺との因果関係を証明することは難しい。その難しさを隠れ蓑にことさら事態を小さく扱い、収束させようとしたことが今回の結果を招いたと言えます。
2つの視点からみていきたいと思います。
一つは、いじめを防ぐことはできなかったのか。
もう一つは、自殺のあと学校の手で真相解明はできなかったのか。
いじめを防ぐことはできなかったのか。
自殺の直後に学校はすべての先生を対象に調査しましたが、男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた先生は一人もいませんでした。
一方、生徒のアンケートには「男子生徒が先生にいじめを訴えていた」という記述がありました。
今回の件が明らかになった後、自殺の1週間ほど前に生徒が「トイレでいじめを受けている」と連絡をしたのに先生たちは「けんか」と結論づけて「注意深く見守る」ことにとどめたことが明らかになりました。訴えがあったのにいじめと認識していなかったというなら、緊張感があまりにもなかったと言わざるをえません。
警察が強制捜査に踏み切ったのは、自殺の2週間ほど前、学校の体育大会で男子生徒が後ろ手に縛られ口を粘着テープでふさがれていた点を重要視したからです。
生徒の目撃情報を知らなかったというのはお粗末ですし、それが本当なら、情報がすぐに上がってこない先生と生徒との関係の希薄さには驚かされます。かりに、小耳にはさんでいたのにいじめとは思っていなかったとすると、いじめを傍観するのもいじめに加担したことと同じだとこどもたちに訴えてきた専門家からの意見とまったく同じことをこの学校の先生に対しても言わなければいけません。
もう一つは、学校の手で真相解明ができなかったのか。
学校と教育委員会は、文部科学省が示したガイドライン通りに先生への聞き取りや生徒へのアンケートを行っていました。しかし、いじめの真相を解明してほしいと願って、生徒たちが勇気を奮って答えた200件以上の情報は活用されないまま、踏み込んだ調査は行われませんでした。
「自殺の練習をさせられていた」「蜂を食べさせられていた」という記述に反応できなかったとすると、生徒一人の命の重みを十分に受け止めていたとは言えません。
学校と教育委員会への風当たりが強くなっていますが、去年の原子力発電所の事故で問われた原子力産業内部の“ムラ的体質”と同様な教育界内部だけで通用するお互い同士をかばい合い、情報を隠ぺいするといった“ムラ的体質”が問われます。
「教育ムラ」とも言える体質の背景に、先生への「評価主義」、むしろ「減点主義」を指摘する意見があります。よいことに積極的に取り組むことよりも、問題をおこさないことが美徳とされる学校の雰囲気があります。文部科学省は教員養成のあり方の見直しを検討していますが、こうした点をどう解消するかも大きな課題です。
平野文部科学大臣は、いじめについて緊急の全国調査を行うことを明らかにしました。学校は夏休みですので、こどもたちからの聞き取りが十分できるかどうかわかりませんが、いじめは絶対に許されないという姿勢を見せる意味合いはあります。ただ、文部科学省よる調査は全国的に総点検を求めた後には高い件数になりますが、ほとぼりが冷めると減るという傾向が繰り返されてきました。
問題にさえならなければ、黙っているという学校や教育委員会の体質こそが問題です。そこをどう変えていくのか、その点に踏み込まないと国民の納得は得られません。先生が忙しすぎてこどもと向き合う時間がないという指摘もあります。本来すべきことができないような現場になっていないかその点の検証が必要です。
大津市は真相解明に向けて有識者からなる第三者委員会を設けることにしています。今月中の発足に向けて準備を進めていますので、提言をしたいと思います。
まず、委員になるメンバーは被害者を含む当事者以外には明かさないこと。航空機事故の調査とは違って、物的な証拠がたくさんあるわけではないからです。周囲からの意見にまどわされず、中立的な立場からいろいろな人たちから聞き取りを重ね、ていねいに事実関係を明らかにしていく必要があります。
2つめは、強力な独立した調査権限を与えること。今回の場合、委員会の設置者である大津市が、あらかじめ先生や生徒たちに全面的な協力を求め、発言したことが本人の処遇につながったりして不利益をこうむることがないことを伝えておく必要があります。
3つめは、調査に集中できる条件を整えること。客観的な立場から事実を積み重ねて判断することは、本来業務の片手間にできることではありません。一時的に仕事を離れられるようにし、その間得られるはずの収入を補てんするなどの措置が必要です。
4つめは、結論が出たらすみやかに内容を公表すること。この段階で同時にメンバーを公表し、その責任において結論を出したことを明らかにすべきです。刑事事件とは違い、だれかの責任を問うわけではありませんので、事実として断定できないことでも調査者の見解を示し、今後への教訓を示すことが求められます。
加えて、委員に対して過度な守秘義務を課さないこと。守秘義務は一定期間に限定し、当事者である生徒たちが成人した後など10年程度過ぎた段階で、委員の判断で専門の学会などで今後の教訓を導き出すために専門家どうしが広く議論できる道を残す必要があります。この調査委員会は今後のいじめと自殺を考える上で、試金石となるものです。じっくりと腰を据えて調査と検証に取り組んでほしいと思います。
こどもの世界で起きているいじめはこどもだけの世界で起きているわけではありません。大人を含めた社会の動きを反映しています。
いじめが指摘されるたびにいじめたとされる側から聞かれる言葉に「いじめたつもりはない。遊びのつもりだった」という言葉があります。「○○のつもりはない。○○のつもりだった」。不祥事が起きたときの大人の言い訳としてよく聞かれる言葉です。いつの間にか、大人の言い回しをこどもたちは学んでいるのです。そうした言い逃れを許さない毅然とした対応を社会的に共有することが必要です。
一方、いじめを受けているこどもたちには、希望を失ってほしくはありません。相談してもダメな先生や大人ばかりではありません。こどもたちの周りには、親身に相談に乗ってくれる大人はたくさんいますし、いじめをなくせない学校なら無理に行く必要はない。あきらめずにいじめについて訴えてほしい。そうしたメッセージをこどもたちを取り巻く大人たちから発することが必要です。(早川信夫解説委員)