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大学経営とそれを担う人材(7)

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前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録)から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 ◇ 経営改革の条件 こういった構造的な問題をどう乗り越えるのかということが、私は非常に大きな問題だと思うのです。それはマネジメントの問題であると同時に、根底的にはガバナンスの問題に行きつく。部局の自治というのが非常に強力な限り組織の改革は困難である。なぜならば自分の組織、それを超えた利害、あるいは資源配分、横の資源配分という判断はできないからです。 しかし他方で社会的な不満は非常に高くなっていて、例えば中教審などでは、企業の人は口を開くたびに「大学というのは何のための組織だ、何をやっているのだ」と「企業だったら、こんなことは許されない」というようなことをいつも言っているわけです。先ほど申し上げたように大学はその本質として、官僚制的な、統一的な目的を持ってそこから意思決定を派生させていくようなかたちでの組織運営はできないし、望ましくもないと思います。アメリカの大学でも実はそんなことはやっていない。ただ今のままでいいのかと言えば、そうも思わないです。 ガバナンスに関してはやはり部局の中だけに閉じ込められたガバナンスの形態というのは変化するべきだと思います。ただそれは制度的な改革でもって一括してやれるというものではなくて、何らかの具体的な目標を達成する中で達成されるものだと思います。そういう意味では、教育改革というのは実はガバナンスを改善する上でも、非常に大きな契機になるのではないだろうか。ただし、そういった改革自体も上から押し付けるのはなくて、そのプロセスをやはり透明化するということは重要だと思います。 そのためには、教育のあり方を考え、それから授業をつくり直し、その結果を客観的に把握して、さらに改革に結びつけていく。そうしたフィードバックの過程を作ることこそが、大学経営の重要な課題となっているのではないでしょうか。 そうした変化を起こすには、何が重要なのかということになってくるわけです。もちろん政策も重要でしょう。どこが今、日本の大学の問題であるのか...

大学経営とそれを担う人材(6)

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前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録)から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 ◇ 3 経営戦略と経営人材 では教育を経営課題としてとらえると、具体的にはどのような問題があるのか。 経営課題としての教育 今のところ、一般に大学の経営課題としてとらえられているのは財務・施設・学生募集だと思います。このグラフ(表4:略)は私学高等研究所がやった調査で、中期・長期の経営計画の内容は何かというのを聞いています。その回答をみると、財務改善とか校舎施設の整備、といったものが中心であることは事実です。ただ次第に、大学教育も経営課題として認識されつつあることは事実だと思います。国立大学の中期目標・中期計画には教育に関する情報が含まれていますし、私立大学の中期・長期計画でもこのデータで見るように、カリキュラムとかキャリア教育とかについては計画も立てられているようになっています。 ただそのほとんどは「良くしなければいけない」という目標であって、どういうふうにしてそれを達成するのか、すなわち経営課題として大学教育を捉えているものは、まだほとんどないのではないか。 やはり大学教育というのは経営課題だと思うのです。一つは、それは資源配分の問題だからです。どうやって大学が持っている資源を配分するのか。最適なアウトカムを出すためにどういう組み合わせが必要なのか、今まで学生のニーズのことばかり言っていました。しかし本当は、学生に時間を使わせることが教育成果を上げるために非常に重要なものであるはずです。大学の一つ非常に使われてない資源は、実は学生の時間なのです。しかも、それは非常にクリティカル(critical)な資源であるはずです。あるいは教員についても人数の問題もありますし、その教師の時間をどう使うかというのも非常に大きな問題だろうと思います。同時にそれをどうやって組み合わせるのか、教育方法、授業の方法など、いわば大学教育のテクノロジーも大きな問題であろうと思います。例えば、学生にどうしたら自分で勉強させるかのように、それは一種の授業方法の問題であるはずで...

大学経営とそれを担う人材(5)

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前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録)から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 ◇ 大学教育の日本的特質 もう一つのデータ(表2:略)は、総理府の生活基本調査における生活時間です。小学校6年生、中学3年、高校3年、大学大学院と生活時間を見てみますと、学習時間が小学校から中学・高校にかけて高くなるのですが、大学に入ってガクッと下がる。その代わりに、買い物・趣味・娯楽が上がるというような状況になっているわけです。 もう一つは、われわれが行った大学生の調査(123大学、45,000人)の調査結果(表3:略)です。これによれば、大学生の社会的活動時間は1 日に8時間くらいなのですが、その中で「授業・実験」に出ている時間が2.9時間「授業の準備」をしているのが1時間、「卒論・その他」これは4年生だけですけれども、一応平均すると0.7時間です。これらをあわせて学習時間とすると、4.6時間しかない。1日5時間を切るのです。もともと日本の大学の設置基準は学生が授業と、それから自分で学習する時間を含めて8時間程度は勉強することを基礎として出来ているのですが、基本的には半分しか勉強していない。日本の学生は実はフルタイムの学生ではありません、平均像はパートタイムの学生なわけです。またアメリカと比べても明らかに学習時間が低い。1週間の自発的な学習に、授業に関連して自分で勉強する時間が1日に5時間弱、5時間以下の学生が4割くらいを占めている、アメリカと比べての非常に特異な状況であります。 もう一方で大学教員は、サボっているのかというと、実は必ずしもそうではない。大学教員の業務時間等の調査が3年おきくらいにありますけれども、これを見ますと大外11時間くらい働いていますから、特に普通の人と比べてサボっているわけではない。ただ、教育にかける時間は国立も私立も3時間弱、1日にですね。あと何をやっているのかと言うと、研究もあるし、社会サービスもあるし、そのほかと言いますか、いろんな業務もある。実は教育にかかっている時間というのは1日の勤務時間の三分の一にも達してないとい...

大学経営とそれを担う人材(4)

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前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録)から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 ◇ 2 経営問題としての教育機能 では日本の大学教育はどういう問題を抱えているのか。これは今回の研究集会の課題そのものではないので簡単に申し上げたいと思います。 問題としての大学教育 私は大学教育の質自体が問題になるのは偶然ではないと思います。 大雑把にいえば、グローバル化、知識社会化が進み、同時に高等教育はすでにユニバーサル化して量的な拡大が一定の段階に達してしまった。同時に若者の価値観に変化があり、それからキャリアも大きく変化し、しかも見えなくなってきている、将来の方向が見えなくなってきている。そういった中でさまざまな問題が起こり、それが結果として教育内容の適切化、グリーバンス(grievance)、あるいは効率化、大学教育の効率性、あるいは質の問題、あるいはさらに実質的な学習自体が、ただ表面的に形式的に行われているのではなくて実質的にどの程度のものが出来上がっているのか、その成果が問われるという状況が生じているのではないでしょうか。 それを少しデータでお見せしたいと思います。大学教育は大切だ、大切だというようなことはアチコチで言うのですけれども「なぜ大切なのか」ということについてその切迫性について、私は認識がまだ十分ではないのではないかと思うのです。 一つは大学生の就職です。ご存知のように内定率が低くなったというようなことが言われているわけでありますけれども、しかし実は日本の大学生の就職問題がかなり深刻な状況を迎えたのはもう1990年代半ばくらいからです、もう十数年くらいそういった状態が続いています。これは(表1:略)2010年ころの大学生の就職状況をいくつかのデータを組み合わせて推定したものですけれども、私はこれを基本的に四つに分類しています。「枠内」というのは4月の一括採用で就職した人、これは学校基本調査で就職した年で出るものです。しかし枠内で就職した人の中でも大体3割くらいは3年以内に辞めると言われています。他方で一括採用の枠内に...

大学経営とそれを担う人材(3)

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前回に続き、 広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書 (第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録)から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 ◇   二つのパターン ところで具体的な管理運営の形態には二つのパターンがあったと思います。 一つは大陸ヨーロッパ型です。このパターンでは教授会とともに、「事務局」というのがある。基本的なガバナンス(governance)組織としては教授会があり、それに対して先ほど申し上げた三つの機能を持つ事務局がそれを補佐するというパターンです。教授会は基本的にはギルド的組織ですが、事務局というのは事務局長に統括される官僚組織である。官僚組織というのは上部の命令によって動く組織であるという意味で使っておきます。 もう一つのタイプはアメリカ型です。アメリカ型の大学では、学長の権限が強力であることは事実だと思います。それはどうしてかと言うと学長の選出、承認自体は教授会によって行われるのではなくて理事会によって行われるからです。大学の、言ってみればオーナーというのが明確であって、それは理事会なのです。理事会によって任命・監督されるからその権限の基盤は非常に明確である。 それで管理運営はどうして行われるかというと、学長が任命する副学長、あるいは学部長等々によって幹部教員、幹部職員によって分割統治されていて、それぞれに補佐するというかたちで事務職員が配置される。事務局としての統一的なハイアラーキー(hierarchy)をもつ官僚組織というのは存在しません。その意味では、必ずしも一元的な管理体制ではない。ただし、特に最近になって、管理業務を担当する専門職的な人たちが増えているのは、先ほど山本先生のお話しにもありました。ただこの人たちは、ほとんど大学外部との流動性も非常に高い、従って大学独自の職員とは必ずしも言えない。しかも彼らが専門職団体をつくっていて、その知識技能というのはその専門職団体によってかなり形成され、従ってその専門職の中で大学間を異動するというパターンを取っているわけです。 その中で日本的な特質は何かと言うことですけれども、私は大陸系の学長・事務局型...

大学経営とそれを担う人材(2)

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前回に続き、 広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書 (第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録)から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 ◇ 大学の管理運営 ではそうした「管理運営」はどのように行われたのか。 その担い手の一つは学長、「レクター(rector)」です。プレジデント(president)と言わないでレクターと言いますが、ドイツ語だと「C」が「K」になったりするみたいです。レクトールと言うのですが、これはギルド、基本的にはギルドも組合の代表でありますから教員団の一人なのです。大体2年とか3年交代でやっている。ヨーロッパの古い大学に行きますと歴代総長の額なんていうのが飾ってあるのですが、非常に古い大学でも肖像が飾ってあるのはかなり最近で、それはなぜかというと写真がなかったということもあるかもしれませんが、もう一つは学長があまり大したことなかったわけです。教員の回り持ちだったから、そう言った学長がありました。 では職員にあたるのはどういう人かというと「ビードル」という人がいたそうです。この人は事務長、あるいは総務に当たる人です。ギルド的な組織では規則が明文化されてなくてさまざまなかたちで習慣とか伝統とか、そういったものによって運営されていた。従って組織の規則みたいなものを常に監視している人が必要である、それが事務長であり、総務であった。現在で言う総務的な役割でありました。 二番目は「ノータロ」と言う人です。「ノータロ」というと語感があまり良くないですけれども、これは非常に重要で書記とか学籍簿係に対応する。それは大学の組織としての教育機能に対応するわけで、イギリスの大学では大学の事務局長のことをレジストラー(registrar)と言いますが、アメリカでもこの言葉を使うことがあります。それは基本的には学籍簿の管理係である。これは基本的には学籍簿の管理をする人が事務局の中心となり、管理運営の中心となっていた。 それからもう一つ経済的な側面が非常に重要で、出納係というのがもう一つ非常に重要な機能でありました。 言ってみれば総務、それから学務、それと財務と、この三つというのが管...

大学経営とそれを担う人材(1)

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広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「 これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか- 」の記録) から、 金子元久 さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。 大学経営-課題、組織、人材- 1 大学経営とは何か まず最初にお話ししてみたいのは大学経営、「経営」というのは何か。それを考えるために、組織としての大学というものはどうやってできたのかという、古い話に立ち戻ってみたいと思います。 ギルドとしての大学 大学が作られたのは、12、3世紀の中世ヨーロッパでありまして、大学の起源は、ご存知のように、ギルド(guild)でありました。ボローニア大学は学生のギルドで、パリ大学、ソルボンヌが教師のギルドだというふうに一般的に言われていますが、一般的には教師のギルドでした。ウニベルシタス(universitas)という言葉は、ギルドとほとんど同じ意味で使われており、それが今日のuniversity の語源です。 ギルドとは何なのかというと、これは要するに組合なわけです。なぜそうした組織が必要だったのかと言うと、二つの側面があるわけです。一つは個々の教師ではなくて、教師が集まって組織となることによって、体系的な知識を供給することができ、それを求める学生を集めることができる。今ひとつは、学位というものを出すことができる。社会的に価値のある、知識に対して社会的な価値の証明を与えることができる。それはなぜかと言えば、それと同時に団体として質の保証を政府から受ける、チャーターを受けることによって、質の保証をすることができる。それによって、学生は授業料を払い、教師の生活も成り立つ。個々の一人ひとりの教師ではそういった事は出来なかったわけです。 しかし同時に具体的な教育活動というのは、やはり個々の教師がやるしかない。大学全体でやるものではないわけですね。しかも知識の価値自体は、その教師にしか分からないわけでありますし、知識全体をカバーする論理的な、パーフェクトの体系はない。従ってその中には、知識の体系の中に上下関係もない、従って個々の教師を統制する絶対的な権威というのはないわけです。やはり個々の先生が、独自の信念と研究に基づいて研究活動を...

癒しの力

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愛読している「人の心に灯をともす」から引用しご紹介します。 スタンディングオーベーション(2012年8月19日) 上柳昌彦氏の心に響く言葉より… 2001年9月11日。ニューヨークのマンハッタン島で、世界貿易センターの2棟の高層ビルがテロリストの攻撃を受け、多くの人命が奪われました。「9・11事件」です。 事件が起きてから1ヶ月後、日本全国から11人の消防官が集まって、まだ混乱の残る被害現場で消防・救助活動を手伝うために海を渡りました。この11人の消防官たちは、日本政府や消防庁が派遣したのではありません。 自らの意思で、休暇をとっての「ボランティア」でした。この年の6月に『世界警察・消防競技大会』がアメリカで開催されましたが、そこに、日本の代表として選ばれて出場した、世界レベルのトップ技術を持った消防官たちです。 大会で知り合ったニューヨークの消防官から、「仲間が行方不明になっている。助けて欲しい」というSOSのメールが入ったのです。横浜市の消防局に勤務する志澤公一さんは、それを読むと、一緒に競技大会に出場したメンバーに声をかけました。そして、11人の消防官が集まったのです。 現場に急いだのですが、アメリカ政府は「消防」の目的とはいえ、事件が起きた中心部への外国人の立ち入りは、厳しく制限していました。規制線の張られた外側で、もどかしい思いで情報の収集を行なっていると、一人の高齢の牧師さんと出会いました。 その牧師さんは、志澤さんたちが日本から駆けつけた消防官だと知ると、こんな話を始めました。 「私が第二次世界大戦に参加した兵士だったとき、沖縄に上陸して日本人に銃口を向けたことがあります。それなのに、その日本から我々を助けにきてくれている。心から感謝します。ぜひ、あなたたちに手伝っていただきたい」 その牧師さん、実は、ニューヨークの消防官のOBでもあったのです。そして、すぐに異例ともいえる特別な許可が出て、牧師さんが案内するままに、立ち入りのきびしく制限された現場の中心部にまで入ることができたのです。 その日の作業が終わって、11人の消防官たちはホテルへと引き上げることになりました。そして道を歩いていると、驚くようなことが起きたのです。 道ですれ違うアメリカ人たちが、志澤さんたちの姿を認めると、駆け寄ってきて、口ぐちに「サ...

凡俗の法則

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教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「教育ななめ読み- 学問は面白い 」( 文部科学教育通信 No.297 2012.8.13 )をご紹介します。 ◇ ヒッグス粒子の発見は慶賀に堪えない。「地球の起源」が解明された、というのは、大発見でしょう。でも「それがなんなのさ」というのも、毎日の生活者から見れば言えること。ヒッグス先生は多分、紙と鉛筆で考えついたのではないか。アインシュタインの逸話に「妻のエルザが米国の最先端の実験室に招かれた。これで宇宙を探っていると説明されて妻が言うには、『夫は同じことを使い古しの封筒の裏でやっていますよ』」というのがあった(朝日新聞「夫声人語」2012年6月6日)。 でもまあ、これを実証したのが今回の快挙。CERNなるヨーロッパ共同研究機構の大加速器で粒子をぶつけてその飛び散り方から推測、99.999・・・の確率でその存在を証明したとのこと。実験物理の世界は、こういうことができるから面白い。それにしても、なんとお金がかかっていることか。日本式の「事業仕分け」があったら、多分、『廃止』だったかもしれぬ。ぎりぎりのセーフの発見かしら。 しかし、学問に対する「事業仕分け」の面白さは、昔流行った「パーキンソンの法則」に近い感じがする。その一つ「凡俗の法則」というのが有名。いわく、原子力発電所と自転車置き場の審議の話。「原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「着々と」進むことになる。この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する」という。 昨年の大震災以来の原発事故で「原子炉」には理解が進んだかもしれないが、次の話はもっと面白い。1970年代に、南カリフォルニア大学のドナルド・ナフテ...

学修時間とは何か

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去る8月9日、中央教育審議会の大学分科会(第109回)・大学教育部会(第21回)の合同会議が開催され、 「未来を創出する大学教育の構築に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」(答申案) が了承されたようです。 答申案では、大学生の学習時間が諸外国に比べ少ないとして、授業の関連性を分かりやすく整理して学生に示し、効率よい授業編成をするなど、カリキュラムの改善を進めるシステムの確立が求められています。 ◇ 関連して、桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた「 大学改革の陥穽 」シリーズの二回目「 学修時間の確保とその意味合い 」( 文部科学教育通信 No.297 2012.8.13 )を抜粋してご紹介します。 (関連過去記事) 大学改革-文部科学省と大学は、内向きではなく外向きの議論を進めてほしい(2012年7月22日) 前々回(本誌No.295)の続きである。中教審大学教育部会は今年3月の審議まとめにおいて、学士課程教育の質的転換のために「質を伴った学修時間の実質的な増加・確保」を提言した。このことは文部科学省が6月に出した「大学改革実行プラン」において「主体的に学び・考え・行動する人材を育成する大学教育」への転換を図るためには学修時間の飛躍的増加や学修環境の整備が必要であるとしていることとも共通である。このように、従来から一単位45時間の学修時間が確保されていないと批判があったこの問題が、昨今の新たな大学改革熱の高まりの中で、改めて表舞台に出てきた感がある。 システムとしての大学教育 言うまでもないことだが、大学教育というものは、学修時間だけではなく、教育内容や方法、教育を実施し支える教職員、学生の卒業後の進路、機器や教室などの施設設備、大学運営を支える財務や政策など多くの要素から成る一つのシステムである。また他のシステム、たとえば雇用や科学技術さらには経済・産業、国際関係などさまざまなものと複雑に関わりあっているものである。ということは、仮に学修時間が少ないという現状が教育者や教育政策担当者の目からは問題であるとしても、それは複雑極まりない大学教育システムの一つの構成要素として、現状でとりあえずバランスしているということである。そのバランスは、国によっても異なり、学歴社会で専...