2010年11月18日木曜日

Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (3)

前回に続き、「沖縄戦体験記第21号『連行された逃亡兵』」(平成21年3月発行、宮城恒彦著)から、「第二話 這って逃げた2000メートル(宮平輝重の証言)-尺取り虫のように」を抜粋してご紹介します。

尺取虫のように

右足は麻痺していて動きません。自由になる両手で体を少し持ち上げて、左足で押し出すようにし、両肘を杖にして土を掻いて少しずつ進みます。十メートルばかり進んでは休み、また、這っていきます。あまり喉が乾き、腹が減っているので、近くに咲いていたカボチャの花を摘んで口に入れました。しかし、上歯がないので噛むことができず、花は血に染まって麻痺した口の中に詰まったままです。

近くの山野では小銃や機関銃の音がしきりに響いています。米兵たちに追われているようで、気はあせりますが、カタツムリよりのろい歩みです。

山の麓に差し掛かった時、小川をはさんで左の段々畑に作られた茅葺の小屋を見つけました。そこで一休みしようと入っていきました。中には寝具類が無造作におかれていて、人影は見えません。

布団の上に横になり、一息ついてから茅の壁を両手で掻き分けて覗き、外の様子を確かめました。すると、小川の向こうには柱だけが燃え残った茅葺の小屋があり、まだ、くすぶっています。その中に黒焦げになった子供や婦人の死体が丸たんばうのように重なって見えます。集団自決したんだな、と呆然と見つめていました。何の感慨もわきません。自分の怪我の痛みに耐えかねていたのです。すると、その焼け焦げた小屋の中で黒い影が動くのです。しばらくすると、からだ全体が焼けただれて、亡霊のような姿をした人間が立ち上がってふらふらしながらこちらに近づいてくるのです。確かめたら、男性のようです。これで、彼が助けてくれるかもしれない。と思い、輝重は茅の隙間から顔を出して「フォーイ ホーイ ウーイ」と、唇がやられているので、言葉にならない叫びが出てくるのです。気づいたのか、よろめきながらやってきたのは、知り合いのM男でした。

打ち殺した家族を小屋に投げ込んで火をつけ、自分もその中に入り、家族とともに自決しようとしたが、小屋が燃え尽きても、自分だけは生き残っていたのです。M男は自決を図る前にネコイラズ(野鼠対峙の毒物)を服したらしく、錯乱状態でまるで炎熱地獄をさまよっている亡者のようでした。それでも、茶碗に入れた泥水を輝重に飲ませることはできました。喉の渇きは少し収まってきましたが、二人とも話し合うこともなく、互いに地獄の中をさ迷い、一睡もできず、一晩中、苦しみもだえていたのです。

夜が明けました。何やら声がするので、輝重が茅の壁の隙間から覗いて見ると、麓の方から二人の米兵が銃を構えながら上がってきます。そして、輝重たちが隠れている小屋に近づいてきたのです。今度こそ殺されると、覚悟しました。布団に隠れようとしたら、その傍に白い縄を見つけました。とっさにそれを首に二、三回、急いで巻きつけ、力を抜いてだらりとし、目を閉じました。しばらくすると、数ミリセンチ開けた目に、銃口を向けて入ってくる武装兵の足元が映り、足音が近づいてきます。目を閉じました。上から見下ろしている気配を感じます。息も止めました。心臓が「ドキン ドキン」とたたきます。米兵は何かをかんでいるようで「パチン パチッ」とする音が続いています。

倒れている男は口も裂け、足にも大怪我をしていて出血しています。さらに、息も止まっているので、首をくくって死んだと思ったのでしょう、二、三度足蹴りして一言、二言、意味の分からない言葉を残して二人の兵士は出て行きました。しかし、そこに呆然と立っていたM男は連行されていきました。

また、アメリカーがやってきたら、二度とあのような死んだまねはできないと輝重は思い、その小屋を這い出て行きました。アメリカーたちは川沿いに進攻してくるであろうと、考え、丘の斜面を逃げていくことにしました。

右足は麻痺して動きません。自由になる両手を使って移動を開始しました。十メートル進んでは休み、また、力を振り絞って両肘を立て、左足で土を蹴るようにして前進しました。下半身を引きずっているので、次第にズボンに亀裂が入り、肌に長い擦り傷が生じます。右足にも新しい擦り傷ができて、血が流れているが、痛みは感じません。百メートルも行かないうちに息切れがして動けなくなってしまいました。

近くの山々では機関銃や小銃の音が続いています。座間味の集落内を走っているトラックやジープのエンジンの音が木霊します。アメリカーたちが近づいてくるのではないかとの、恐怖に襲われて気はあせります。しかし、体はいうことをききません。

ふと、顔をあげました。前方に茅葺の小屋が見えます。其処に誰かが避難しているはずだ、助けてもらえるかもしれない、それでなくても、休ませてもらえるだろう、と、途絶えそうになっていた気力を振り絞って尺取虫のように這い上がっていきました。

辿り着きました。辺りは森閑と、しています。入り口の薄の観音開きの戸をゆっくりあげました。しかし、こちらの気配に動く人影も見えません。小屋の暗さに慣れてきて、中の様子がわかりました。七人の黒い人影が並んで寝ているのです。おかしい、と感じ、目を頭のほうに移すと、顔はタオルやハンカチでおおわれているのです。苦しみ、もだえた様子もなく、全員死んでいたのです。

その 一瞬、口や足の痛みも忘れるばかりに驚き、茅の戸は開けたまま、引き返しました。その小屋で死んでいた人達の黒い人影に追われているような恐怖に襲われながら山肌を斜めにすべり落ちていきました。

その後、どこをどう通ったのか、朦朧とした頭に記憶はありません。日は暮れていました。目指す阿真ウフガーラはもう近いが、力を尽きたので、、今晩はここで泊まるうと、松の根元に横になりました。月の薄い光が木の間から漏れてきます。まだ、あちこちに機銃や小銃の音が聞こえています。家族はどうしただろう、ミヤーの次郎オジーは捕虜されたが、今ごろは殺されているかもしれない、オバーたちにも会っていない、壕から連れ出されたのだろうか、といろいろなことが頭の中を駆け巡って傷の痛みも重なって一睡もできませんでした。



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